セピア色の映画手帳

古い映画を中心に

「僕たちは希望という名の列車に乗った」

2019-07-23 13:33:35 | 外国映画
 「僕たちは希望という名の列車に乗った」(「Das schweigende Klassenzimmer」、2018年、独)
   監督 ラース・クラウメ
   原作 ディートリッヒ・ガルスカ
   脚本 ラース・クラウメ
   撮影 イェンス・ハラント
   音楽 クリストフ・カイザー
      ユリアン・マース
   出演 レオナルド・シャイヒャー
      トム・グラメンツ  レナ・クレンケ
      ヨナス・ダスラー  イシャイア・ミヒャルスキー
      ロナルト・ツェアフェルト  ヨルディス・トリーベル

 冷戦は始まっていたがまだ壁の出来る前、東西を結ぶ鉄道もあり許可があれば行って帰ることができた1956年の東ベルリン。スターリンシュタットにある自由ドイツ青年団(FDJ〜東ドイツ共産党の下部組織)のエリート高校で小さな事件が起きた。
 ハンガリー動乱にシンパシーを感じた卒業間近のクラスで、授業中、2分の黙祷をしたというもの。
 しかし、動乱に敏感になっていた当局を刺激するには充分過ぎるものだった・・・。

  予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=bFBqvD98Jvw

 先週が1949年〜1964年のボーランドとフランスで、今週は1956年の東ベルリン、重なるなぁ。
 少し綺麗に纏めた感無きにしも非ずだけど、青春群像として時代と友情を上手く描けてると思いました。(実話ベース)
 大人なら誤魔化してすり抜ける所を青春期特有の潔癖さで事態をどんどん悪化させてしまう、邦題のように「希望(未来)」がテーマなのでしょうが、僕は若さ故の友情に対するキラキラした「仁義」の物語と受け止めました〜似たシーンが「いまを生きる」('89、米)に有ったけど、こちらの方が僕は胸に来る〜、それは誤解されがちな学生さえ、彼なりに告白という形でけじめを付けてる所からも伺えます。

 反面、全体主義の中の異物は個人責任に留まらず、家族、親族に類が及ぶ。台詞で未来を暗示はしても過酷な運命を過ごさなければならなくなった家族の描写が、無かったようになってるのはアンフェアな気もしました。
 それでも、中々に優れた青春群像劇だと感じます、役者さん達は敵、味方問わず皆、好演。(クルト役の人、ちと二枚目過ぎるかも、テオ役の人は時々、デビューした頃のティモシー・ボトムスを思い出しました)
 原題は「静かな教室」

 R1.7.21
 吉祥寺アップリンク
 
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