セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「光をくれた人」

2018-07-22 22:38:20 | 外国映画
 「光をくれた人」(「THE LIGHT BETWEEN OCEANS」、2016年、米・オーストラリア・ニュージーランド)
   監督 デレク・シアンフランス
   原作 M・L・ステッドマン
   脚本 デレク・シアンフランス
   撮影 アダム・アーカポー
   音楽 アレクサンドル・デスプラ
   出演 マイケル・ファスベンダー
       アリシア・ヴィキャンデル
       レイチェル・ワイズ

 第1次大戦で心の傷を負い故国オーストラリアへ戻ったトム、自ら住む人とてない弧島の灯台守に志願した。
 連絡地である町で彼はイザベルと出会い、彼女はトムに一目惚れ。やがて、二人は結婚し町から遠く離れた弧島で暮らし出す。
 が、そんな孤立した僻地ゆえイザベルは二度に渡り流産、ショックを受ける。
 そんな時、沖合いに漂うボートを発見、乗っていた男は死んでいたが赤ん坊は生きていた・・・。

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=UtkGouE4wv0

 これは、中々の傑作だと思う。
 D・シアンフランスという監督は「ブルーバレンタイン」、「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命 」を観て、アメリカン・ドリームの裏側と終焉を描く人だと思ってました。
 今作は「ブルーバレンタイン」と同じ夫婦の物語ですが、ネガとポジという感じ。
 穿って観れば、「ブルー~」は監督の生い立ちが元にあり、本作はそんな監督のペアレント・コンプレックス(勝手に作りました)が描き出す「こうあって欲しかった」物語。

 兎に角、トム、イザベル、ハナという3人の人間がよく描けてる、さらに、それを取り巻く人間も同じように愛情をもって描かれていて素晴しい。
 普遍的にある「産みの親」と「育ての親」の問題を扱いながら、この物語の底にあるのはハナの夫が残した言葉「赦し」だと思います、神が人間に与える「赦し」ではなく、人間が人間に与える「赦し」。
 根っから悪い人の居ない物語で、そこに寓話性を感じないこともないけど、神でなく人が人を「赦す」ことで人間の善性に対する淡い希望を感じることが出来ました。
 二人の女性の苦しみ、戦争で多くの人間を殺した罪悪感を背負うトム、感情を持つ人間だからこそ間違え、それを悪とも言えない、正解のない問題に翻弄されていくドラマは見応えがありました。
 
 キリスト教では死によって魂は天に召され、残された身体は物理的なものでしかないそうですが、東洋から見ると、ラストがちょっと素っ気ないような気がして、そこだけは、少し残念に思いました。
 大した事ではないのかもしれませんが・・・。

※月初に観た「LION/ライオン〜25年目のただいま〜」も二人の母親の物語でもあって、あれもオーストラリアだった、迷子と故意で全然違う話だけど彼の国はこういうの好きなんだろうか。
 「光を〜」は故意で明らかに犯罪ではあるけど、時と状況が余りにバット・タイミング過ぎた(あの場合、母親は既に海に流されたとも考えられる訳で)、最悪の展開になるまで、なった後のイザベルの行動を単純に我執と断罪出来る程、僕は聖人じゃない、少なくとも、ああなってしまうのがAIではない人間の弱さだと思うし、誰でもが不幸な偶然の一致の前では傍観者の価値観を持ち得るものじゃない、「ブルックリン」のヒロインと同じように。

 H30.7.22
 DVD
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