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今週の一番追記:「バクマン。」が見据えるもの

2008年09月02日 | マンガ
http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10374.html#549



先にふっと思った事を書いておくと「バクマン」って「サルまん」みたく漫画内連載をするかも?

…とか思いました。それも「とんち番長」みたくパロディ的な要素はかなり低くして完全オリジナルに近いような…。まあ、それはどっちでもいいんですが。少年ジャンプ2008年37+38号にて小畑健先生+大場つぐみ先生の最新作「バクマン。」が連載開始されました。
二人の少年が漫画家となる事を目指すこのマンガ。僕はとても期待しています。…といいつつリンクを張った「今週の一番」ではあんまり話題にしていませんが(汗)しかし、小畑、ガモウ両先生は(←決めつけた!)辛酸も栄華も味わったというのは、本当にそうで、この点において彼らはライト・スタッフだなと思えます。

ガモウひろし先生は「臨機応変マン」(1985年)を経て少年ジャンプ本誌で「ラッキーマン」(1993~1997年)をヒットさせ、アニメ化までこぎ着けましたが、その後「僕は少年探偵ダン」、「バカバカしいの!」と立て続けにハズし、ジャンプ本誌から姿を消します。「ラッキーマン」でいきなり一発当てたと言える漫画家人生ですが、連載中、全ての作品に渡って「絵が下手!」との批判にさらされ続けます。…僕は「ラッキーマン」はとても素晴らしい作品だと思うし、「少年探偵ダン」もすごく好きな連載でした。…「バカバカしいの」はどうだろう?……ってか憶えてない!!w(汗)ただ、まあそんな僕にとってはガモウ先生の絵の拙さなんかは“味”の一つに過ぎず「マンガが好きなら内容を観て欲しいよなあ~?」などと思っていたのですが、しかし、この項で話そうと思っている“人気”という観点からいけば、常に大きなハンデを抱えていた作家である事は否めません。

一方、小畑健先生は「サイボーグじいちゃんG」(1989年)が連載デビューなんですが、この作品、10週打ち切りでは無いんだけど、ビミョウーに当らず(汗)その後の作品、「ランプ・ランプ」も「あやつり左近」も……10週打ち切りじゃないんだけど…ビミョウーに当らない……orz という連載を繰り返していました。絵は昔から相当に上手かったんですけどね。…こうランプも、左近も、かなり考えて出してきたキャラだというのは分るんですが…今ひとつ「回りきってない」印象がありました。(作画のみという事ではなくある程度、作品作りにも入っていると思うんですよね。その視点で話をしています)逆に、僕の印象ではそれほどキャラを考えてはいない(キャラにインパクトある特徴を持たせていないという意味)「ヒカルの碁」(1998~2003年)が当たって、その後(「デスノート」後ですが)「ラル・グラド」を描いた時はやはりキャラは薄味だった気がします。でも、これも従来の小畑作品っぽくwビミョウウーに短く終わりましたが、僕は好きでした。

要するに両者とも様々な苦労を経て「ラッキーマン」や「ヒカルの碁」を当てて、その上で「デスノート」(2003~2006年)を当ててきているワケです。そしてガモウ先生も小畑先生も、一方の才能は素晴らしい人だと思うのですが、もう一方の才能はどうにも儘ならず、そのため、紆余曲折というか試行錯誤の連続で辛酸を嘗め尽くしている。その二人が漫画家を目指す「バクマン。」を描くという事は何を意味するのか…?

少年ジャンプという超々最前線でおよそ20年に渡って足掻き続けた漫画家二人の「マンガ」に対する視点が今「バクマン。」という作品に載せられようとしているという事なんです。

…もう、本当にそれだけで、僕のおたくな心臓は高鳴っています!w……手の内の全てを見せるとは思いませんけどね。でも、相応の情報を載せてゆかないと続かないでしょうし、どうにも零れ落ちてくるものだとも思います。
また、主人公であるサイコーとシュージンは「面白いマンガ」を描きたいと思って行動していません。根底でそれはあるのかもしれませんが、彼らが口にする目指すマンガとは「人気のあるマンガ」であり「ウケるマンガ」です。これもまた興味深い。
僕なんかは一観客に過ぎず、「面白いマンガ」を読みたいとは渇望していても「人気のあるマンガ」というものには……多少の興味は沸きはしますが、いささかの魅力も感じていないので、ある程度趣味的に思索しても、最後には「まあ、人気様の考える事は分からないから…w」と、放り出してしまう人気作とは何か?という命題に、片羽のような才能で(失礼!)正面から挑み続け、時に当て、時に外した二人が、正にその話を描こうとしているワケです。……“天才”にゃ分らないのよ!こんな話は!w


そして、サイコーが漫画家だった叔父さんの部屋に行き、そのダンボールにぎっしり詰まったネームの量の多さに慄然とするシーンも印象的です。お前たちにこれだけの努力ができるのか!?と問いかけているようです。
少し畑の違う話ですが、どこかのコラムで作曲家の田中公平先生が言っていた事を書いてみますと(うろ覚えなんで、細かな内容は違っていると思いますが…)「もし、この世界(音楽)で食って行きたいと、君が思ったら、試しに100曲ほど創ってみなさい。どんなに不恰好な曲でも構わないけど、でも、違う曲を100曲創ってみなさい。……それができたら、もしかしたら君は、この世界でやって行けるかもしれません」…こんな感じの話だったかな?当然、裏には100曲できないなら、作曲家になろうと思うだけ無駄なので諦めなさい!という意図が込められているはずですw
この世界ってのは、そういう努力のレベルを超える努力というか?才能がないとできない努力がひしめきあう世界で、そこでは生半可な夢想は吹き飛んでします。サイコーとシュージンの“才能”がどれほどのものか?という事はまだ描かれていませんが、それによって彼らの人生とこの連載の物語も、大きく変わって行くでしょう。

…しかし!それも人気あればこそ!大して描けずにいきなり10年後…とかでエンド!ってオチも有りうるワケです!w

こればっかは“人気様”の思し召しですからねえw…まあ、何とか最後まで観たいなあ~?などと思いながら付き合って行きたいと思いますw