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今週の一番:11月第2週:新約「巨人の星」花形 第100話「造花が笑う」

2008年11月17日 | マンガ
http://www.websphinx.net/manken/come/wek1/wek10386.html#561



今回、話題にしている「魔界戦記ディスガイア2」ですが最近、最終4巻が出てきたので買ってきたりしました。…全巻買っちゃいましたね。(あ、こういう時、アフィリエイトにするといいのか…)ただ、まあ、あんまり人にオススメするつもりもないんですよね…。何というか他愛もないマンガです。ただ、ゲームで「ディスガイア」と「ディスガイア2」をクリアした人はちょっと読んでみて欲しい…という気もしています。それらを比較すると何というか“演出”というものの形が分かるような気がするんですよね。

もともとゲームはやりこみSLGが主体でキャラやストーリーは、やりこませるための導入なんで、そこの評価がどうこう…というのも的外れな面があるんですが…「ディスガイア」第一作のコアグループ、少年魔王ラハール、従者悪魔エトナ、愛天使フロンの三人は非常に完成されたキャラクターで、僕はハッキリ言って4クールアニメをこなし、さらに放送延長可能な程の完成度を持っていると思っています。(意味分からないかもしれないけど、すっげ~誉めているって事です)対して「ディスガイア2」のコアである、勇者アデルと、魔王女ロザリンドは、キャラとしては普通…なんですが。それはストーリー性を重視したキャラクターなんですね。

どういう事かというと、1作目のラハールたちは「キャラクター重視キャラクター」という属性で、彼らは彼ら自身で独立したキャラクターなので、どこか別の物語に巻き込まれてもキッチリ彼らなりの解決方法で物語を紡いでゆけるキャラなんです。「ルパン三世」とか劇場版「ドラえもん」をイメージしてもらえると良いんですが、彼らは様々な別ルールの異世界(エピソード)に乗り込み事件を解決して行く能力を持っている。
対して「2」のアデルたちは「ストーリー重視キャラクター」の属性と言え、これは「強い運命設定」を受けたキャラクターで、彼らは様々な“運命的秘密”を所持しているワケです。その秘密は明かされた時点で終わりで、別ルールの異世界(エピソード)に来ても、その運命設定に対する輝きは戻ってこないんですね。

総体的に「キャラクター重視キャラクター」は息長く観客を楽しませてくれる構造を持つのに対し、「ストーリー重視キャラクター」は短期で基本は1回こっきり…故に強く盛り上がる…という傾向を持っています。なんで「キャラクター重視キャラクター」はけっこう「ストーリー重視キャラクター」…つまり何らかの運命的設定を持ったキャラクターと関わる事で物語を展開して行くことが多いですよね。「ルパン三世」SPなんか思い起こしてもらうと分かると思いますが。

ああああ~…orz 何か話が長くなりましたが(悔)そんなワケで「魔界戦記ディスガイア2」の世界ヴェルダイムで魔王ゼノンの呪いから唯一逃れている勇者アデルと、世界に呪いをかけて人々を悪魔化させている魔王の娘ロザリンドには、いろいろと運命的秘密があるのですよね。素地は「ロミオとジュリエット」で、ほか特に斬新な設定というワケでもないのですけどねwでも組み合わせというかけっこう色々考えて面白く組んである……と思うんですね。先ほど説明した「ストーリー重視キャラ」として咲かせる華は一回こっきりでもそこを突き詰めている感がある。

でも、それはゲームだと何かほとんど演出せずにステージとステージの幕間に淡々とセリフで説明しちゃうんですよね。僕はそれが歯がゆくて仕方なかった。たとえばアデルは実の両親には捨てられていて、今の両親に預けられた…って設定があるんですが、ゲームだとそれをわりと突然しゃべり出してそれっきりなんですよね。何というか説明しただけ…という素っ気なさで。
それはねえ……見たこともない父親(魔王ゼノン)を慕って父上、父上、言っているロザリンドと対比を利かせるべきだろう…?って思うんですよね。(さらにネタバレするとここらへんの関係もいろいろ逆転するんですけどね)コミックだとそこは押さえていて、アデルのその設定が明かされる前に、伏線というかマーカーを付けている。

父王の愛情深さを嬉しげに話し「しかし、それはお主(人間)とて同じであろう?」とアデルにロザリンドは投げかけるんですね。自分は親に捨てられたのかも…と思っているアデルに。そうとは知らずにですけどね。そこで育ての母親は堪らずにロザリンドを制止しようとするのですが…。







アデルは「いや、その通りだ。オレだって家族のために戦っているんだ」と言って、育ててくれた母を背に立つんですね。読者もその設定を知る前の行動なんですけどね。僕は演出っていうのはこういうものなんじゃないかと思っていて、ただアデルが捨て子なんていう設定を聞かされても「ふ~ん?あっそお?」ってなもんなんですよ。
でもこうやって、アデルにチクッとくる出来事を積み上げて、そのリアクションで、今の家族こそが自分の家族だから…と胸を張るアデルにキュンと来たりするワケですよね。こういう細かい作業を「積み」上げてアデルというキャラを組んで行く。「演出」をつけない限り、設定なんて無味無臭の素材に過ぎないわけでね。

まあ、コミカライズのへかとん先生は「ディスガイア」のキャラをかなり自分のものとして「回している」感があって楽しかったので、是非とも用意された物語全てをリライトして欲しかったのですが、なんかリミットが来たらしく、ばたばたと巻きが入って終わってしまいました(汗)ゲーム知らないと呼吸がつかめないだろうし、オススメのマンガにはなっていないんですけどねえ………wwちょっと買ってみようか?って思う分には止めないですw


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