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戯言シリーズ~西東天の物語

2010年10月24日 | 思考の遊び(準備)
【メタキャラクター】

【戯言シリーズ@漫研ラジオ】
http://www.ustream.tv/recorded/9974636

・ハイライト【西東天の物語】
http://www.ustream.tv/recorded/9974636/highlight/111140
・ハイライト【いーちゃんの物語】
http://www.ustream.tv/recorded/9974636/highlight/111121

※ネタバレ全開で書きます。…といってもミステリーのタネに触れる必要はないかな?



【【メタキャラクター】戯言シリーズ~いーちゃんの物語】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/ea4f6d21ad008b0fd9a095766dfaed56

(↑)前回の続きです。戯言シリーズのもう一人の雄とも言うべき“西東天”(さいとうたかし)について語って行きたいと思います。前回の話の冒頭で『戯言シリーズの不思議さ』と題して、僕は敢えて(というか素直な実感として)このシリーズを「何をやりたいのかよく分からない話」と評しました。繰り返しますが、これ、どうなんでしょうね?他の方々の感想は?(いや、批判を展開するつもりはないので、悪しからず読み進めて下さい)

僕としては、最初のブランクな感想としては、戯言シリーズは非常にカオスで、不明な設定が多く、曖昧で、テーマそのものを測りはねる、あるいはどこに行くか分からない展開そのものをテーマとしているような、そういう印象を持ちました。
…それを、メタ視点/『メタキャラクター』という“視点”で選り分ける事によって、ある程度、その形が観えるようになってくるという話を今からしようとしているワケですが、それが無いとあんまり解けないというか、かなり不思議なだけの物語に見えてしまう気がしてしまうんですが…どうなんでしょうね?

その戯言シリーズの展開の分からなさ、目標の分からなさを生み出している大半の原因は“西東天”というキャラクターが持ち込んでいると言えます。いや、そもそも、西東天が現われるまでは展開の分からなさみたいなものはないんですよね。設定の分からなさはある。それは物語の最後まで分からなかったりするんですが、それは“いーちゃんの物語”として隠されているもので、その物語の在り方は前回話しました。

繰り返しますと「何故か行く先々で殺人事件に巻き込まれてしまう」という“推理小説の主人公”の設定を背負った主人公・いーちゃんが~推理小説である以上、その潜在設定は読者にとって突っ込む必要も無い程、当たり前の事象としてスルーされているんですが、まともに考えると、この設定を背負わされたキャラクターは堪んないよなって話ですが~その設定を心的に克服して行く物語というのが観える…というのが前回の話なんですが、その“文脈”をほとんど顧みずに乱入し、“展開の分からなさ”を持ち込んだのが西東天というキャラクターと言えます。

■“物語の遊び人”西東天



ここで、西東天という物語のあらすじを追ってみます。

1.『ヒトクイマジカル』で初登場。匂宮理澄に零崎人識の足取りを調査させている人物としていーちゃんと邂逅する。
2.突然、いーちゃんを“俺の敵”と見定め、狂喜する。
3.十三階段(西東天の部下)を招集し、様々な手段でいーちゃんを挑発し、追い詰める。いーちゃんに敵対を余儀なくさせる。
4.対いーちゃん用の切り札であった、想影真心に逃げられる。
5.ここで突然、投了を宣言。いーちゃんとの戦いを集結させる。
6.哀川潤と想影真心を再戦させたらどっちが勝つか?といういーちゃんの賭けを受ける。
7.十三階段を解散
8.哀川潤vs想影真心を見とどける。そして終幕。

…ぱっと見、「お前、一体なにしに来たんだ?」と言いたくならないでしょうか?wいや、多分、西東天は“そう突っ込まれよう”として作られたキャラだと思うんですがwそれでも、いーちゃんを“俺の敵”と見定める時の、西東の喜び方といったら、そりゃなかったもので、宿敵が復讐相手を見つけた時のようだった。
それが、数手チョッカイを出してみた所で、すぐに、駄目だとばかりに「投了宣言」……そうですねえ、想影真心が逃げたあたりでそう思ったみたいですから、将棋とかにたとえると、数手進めて形勢が悪くなったら「あ~負け負け!」とばかりに駒を放り出してしまった感じでしょうかw
…じゃあ、あの時の仇敵に対峙した時のような狂いっぷりは何だったの?そんなあっさり、諦められる事で、あそこまでやったの?と不可解な気持ちはどうしても出てくると思います。これは何を指しているのか?

また、西東天にはもう一つ謎があって、彼の目的が「世界の終わりを見る」事である事は、様々な局面で語られているのですけど、それは一体何の話しをしているのか?何故、いーちゃんと戦う事が世界の終わりを見る事になるのか?これが、西東天の最大の謎で、これをどのように解釈するかによって、西東天というキャラクターの観え方が分かってくると思います。

ここで結論というか、この話をはじめた時から言葉に出している事なんですが、西東天が『メタキャラクター』だという捉え方をすると、彼の動作が(ある程度)観えてくるようになると思います。
先に断っておくと、戯言シリーズをはじめ西尾維新先生のキャラの中にはメタ的な視点や発言をするキャラクターは山ほどいます。そうじゃないキャラの方が珍しいくらいです。それらを総てメタキャラクターと言う事もできますけど、ここで言う『メタキャラクター』とは、その視点を行動に変えて、物語の展開を大きく変えたと解釈されるキャラクター…という言い方になります。
具体的には西東天はそのメタキャラクター性をもって戯言シリーズの主人公である“いーちゃんの物語”をある程度、ねじ曲げてしまっている。だから戯言シリーズは「よく分からない話」になっている…というのが僕の“解釈”で、その解釈に従って、今の話を進めています。

西東天のメタキャラクター性は作中の表現でも様々な局面で確保されています。
「……そんなこと、できるんですか?その仮説が正しいとするなら、物語、世界の外に出る事、自体が難しいという気がしますけど」

「難しい………が、不可能とはいえない。否、俺はもうほとんど、その外側にいると言ってもいい存在さ――


俺は既に、因果から追放を受けた身だからな。


――精々、お前みたいなお兄ちゃんとこうして会話する程度のことしか、物語には参加できねえんだよ。中途半端で、曖昧なのさ」

(文庫版『ヒトクイマジカル』P.209)

「あなたは昔、物語に逆らったんですか?だから、因果から追放を受けたって…そういうことですか?」

「まあね。ちょっとした手違いで。、あわや因果を、本来的に壊しようがないはずの因果を、ぶち壊してしまうところだったんだ。神殺しは楽園追放と相場が決まっているからな。…ふん。今から思えばありゃ考えの浅い行為で、それが今も尾を引いているわけだが――俺はそれを若気の至りとは思わない、あのときやってなけりゃ、今同じことをやるだけだろう……バックノズルだな」

(文庫版『ヒトクイマジカル』P.210)

…ここらへんが代表的でしょうが、他にも西東天は“この世界”を物語として捉えて説明するような場面が多々あります。(二年後に死ぬ事が絶対予言されていたキャラ姫菜真姫が西東に前倒しに殺されるのもメタキャラクター性の顕れじゃないかと思います)つまり物語上で承認された『メタキャラクター』という事ができます。…“メタ”という語義を考えると、物語上で承認されたメタ~なんて物は矛盾する言葉なんですが、まあ、ここでは流しておきます。
※…いや、やっぱ、少しだけ語りましょう(´・ω・`)西東天が「俺は因果から追放された身だ」と宣言する上の引用文ですが、よくよく読むと(それが)“不可能とは言えない”とか“ほとんど”とか、“中途半端”とか、この主張の断定を打ち消す言葉が添えられている事に気づくと思います。
これは『メタキャラクター』が持つ、ある種恒常的な問題で「描いた時点でメタじゃない問題」と言いましょうか。西東天がいくら「因果から追放された。物語の外へ出た」と宣言しても「いや、今、現にいーちゃんと話して因果を紡いでるじゃん?物語に登場しているじゃん?」というツッコミからは逃れられない。西東天が「物語の外側にいるキャラ」である事をデザインしても、それが宣言された瞬間、それは物語内のキャラという事になってしまう…という問題ですね。
まあ、この問題は難しいので、ここでは置いておきます。というか、何であれ、西東天がそうデザインされたキャラだと言う事はできると思います

そうして西東天が『メタキャラクター』であると、そういう視点を持って、かつ行動するキャラクターであるという視点を確保すれば、西東天の言う“世界の終わり”という意味が明確になってくると思います。
西東天の言う“世界の終わり”とは何か?そしてなんで、いーちゃんと敵対すると、その目的が達成されるのか?それは「この世界がいーちゃんの物語として成り立っていて、いーちゃんがこの世界の主人公」だから、彼と関わると“世界の終わり”が見れると…そう、西東天は考えたのではないでしょうか?

…なんかえらく引っ張った書き口になってしまいましたが「え?そんな、ことは分かってるけど?」みたいな感じですかね?(汗)いや、まあ、話を続けます。
読んでいると、最初どうも西東天はいろいろ情報を精査した所で「この世界の主人公は、零崎人識って奴かな?」というあたりをつけたように思えるんですよね。(その後、人間シリーズで主人公になりましたがw)だから十三階段の匂宮理澄に、人識の調査をさせて死んだと分かると「残念だ」と感想を漏らす。
その後、いーちゃんがこの物語の主人公だと分かると、突然、狂喜して次に“俺の敵”宣言を下すんですよね。この二つの場面の西東のセリフ、下に引用します。最初は人識へのセリフ、次はいーちゃんへのセリフ。ここ、西東が物語から追放されて、それでも物語(世界)の終りを見ようと、主人公を探し続けていた…と捉える事によって、そのセリフの意味する所がよく分かるようになると思うんです。
「『お友達か何かで』。ふん、全然知らない奴さ……全然知らない。会ったこともない。ただ、ちらっと話を聞いてみればちっと面白そうな《運命》を持っている奴だったんでな、かかわってみようかと思っただけ…死んでるならそれは不可能だからどうしようもない」

(文庫版『ヒトクイマジカル』P.196)

「お前が正解だったか!前に会った時もまさかとは考えていたが――だが、まさか以上だ!この上ない!実に比類ないぞ!どうしたことだ、これは!零崎人識じゃあなく、お前の側か!あんな《なんでもないところ》で《たまたま》会った平凡そうなこの男が――あははははははははははは!木賀峰、貴様は本当に本当に本当に見る眼があるじゃないか!曲がりなりにもこの俺の続きに続き続けてきただけのことはある!いいぞ、俺は最後に貴様を尊敬した!貴様の前に俺は跪く!」

「ちょ……あの?」

「お前か!あはは、お前、お前って奴は一体なんなんだろうな!お前自身はまるで何ともない平凡なガキでありながら――周囲に渦巻くその大黒き混沌は一体どうしたことだ!異端と異形の坩堝、お前こそが地獄か!あはははははははあははははあははははははははははは!はははははははは!愉快愉快!面白い面白い!こんなに面白いのは久し振りだ!なんでこの世の中はこんなに面白いんだ、摩訶不思議!どこまで殺人的にイカれてんだ、この宇宙は!」

(文庫版『ヒトクイマジカル』P.634)

そうして、西東は“主人公いーちゃん”に関わって、展開を産み出そうとするんですが……こっからが、このキャラの『面白さ』と言うべきなんですがwなああんか、この狐さん、主人公に(敵として)関わる事は決めているみたいなんですが、そこから先のプランは、相当いい加減、何も決めてないに等しい状態なんですよねw
自分の団体戦かあるいは勝ち抜き戦用の駒である十三階段を「誰が敵となっても対抗できるようなオールラウンドの布陣ではなく」(←重要!!)あくまで「いーちゃんの敵として苦戦する」ように組み直すのは『メタキャラクター』として、なかなか、何ですが。そっから先がないw「……戦っていれば何か展開してくるんじゃない?」なんて、お前は車田正美か、ゆでたまごか!!w(`・ω・´)

そのくせ、途中で展開が行き詰ってしまうと「あれ~?なんか上手く行かないから、や~めた!」みたいな適当な事を言い出すw(ここらへん、一連のセリフを読むと、他にも主人公はいると踏んで、別の主人公を探しに行こうとしているみたいですね)
「俺の手に、奴はあまりにも大き過ぎる。どうやら、やってはいけないことだったらしい」

「………」

「お前にあんなことを言ったがな――俺もまた、甘く見てたよ。過大評価が過小評価――さ。奴の無為式を甘く見ていた」

(文庫版『ネコソギラジカル(中)』P.469)

これ、狐さんが、いーちゃんの“主人公補正”を甘く観てやられたって事だと思いますが、いろいろ考えるとこの人の何も考え無さが敗因だと思うんですよね。主人公と関わると物語の展開に乗れて“世界の終わり”が見れると考えていた。だから“主人公いーちゃん”を見つけた時、彼は狂喜した。…でも、その主人公の物語がどんな物語かはほとんどまるで関知していなかった所があります。
そのくせ部下にして(世界を終わらせる)同志の時宮時刻の終幕プラン~これは想影真心の復讐による“全滅エンド”って事のようなんですが、それはちょっと違うとダメ出しをする。我侭w

なんかもう、バトルがしたいからバトルしたって言うか、言ってしまいますと西東天は推理小説シリーズの戯言シリーズの物語に勝手に伝奇バトルの展開を持ち込んで場を引っ掻き回して去っていったキャラなんですよね。いや、伝奇バトル展開になっている全てを彼の責任とするのは正しくないですけどねw
むしろ「え?この物語って伝奇バトルじゃないの?」と狐さんが勘違いする可能性が充分にある状態だったと言えますけどね(汗)
でも、彼が(想影真心を連れてきたりしたけど)本当の意味での空気を読まず、いーちゃんの物語の場をひっかきまわしたという見立てはできると思います。少なくとも最終章の『ネコソギラジカル』で推理のすの字も出てこないのは彼の責任でしょうw

そんな中で、物語を終わらせる“主人公として覚醒したいーちゃん”が、狐さんが放り出して何だかよく分からなくなった事態を、一通り収めてから、最後に自分自身と玖渚友に関する問題に決着をつけるという形で、この物語は終わって行きますよね。
玖渚の事はともかく、狐さんが放り出した事態の収拾は「とってつけたようなまとめ方」という言い方ができると思います。哀川潤vs想影真心のマッチメイクも安易といえば安易だし(想影については狐さんがいなくてもバックノズルが掛かった気がします)、その結果に、自分と狐さんの生命を賭けるというのは……まあ~ほとんど必然性がないでしょうwだけど“主人公として覚醒したいーちゃん”としては、今更、西東天という存在をスルーして未決着というワケには行かないんですよね。彼は『メタキャラクター』じゃないから「お前も登場人物の一人だろ」と対応するしかない。これは悪い意味じゃなくね。

また、狐さんも、事態を放り出すから『メタキャラクター』だとはっきり思えるんですよね。別に不利だと分かっても最後まで戦っていーちゃんに破れても良かったというか、それはそれで“世界の終わり”を見れたんじゃない?とも思うんですが、ちょっとテクニカルに指摘すると、それだと何だかとち狂った悪役との区別がつけづらくなる。『物語』を読んで、手を引くから、はっきり『メタキャラクター』だと分かる所があって、それはこの『物語』において意識されていると思うんです。

これは過ぎた想像の域に入っていきますけど、元々、メタじゃない登場人物としての西東天は、最初は本当に「世界の終わり」を見ようと科学的(?)な研究を行っていた人じゃないかと思うんですよね。
そして彼が“現実世界”の登場人物だったら、え~っと?宇宙とか、量子とか、対象はなんでもいいですが、現実の“終わり”を探求する学究の徒であり続けたと思うんですが、彼は“物語世界”の登場人物だったために、その研究を進めたけっか、自分が“物語”の“登場人物”である事を突き止めてしまった……もう少し曖昧に、直感的に理解してしまった…のではないかなあ?でも、それが分かっても特に動揺もなく「じゃあ、その終わりって何だ?」と探求を続けたんじゃないかなあ?などと妄想を暴走させています(汗)

…大体、こんな所でしょうか。『メタキャラクター』に関する話は今後も僕は続けて行くと思いますが、西東天は、僕が探していた結論の一つとも言えるキャラクターで、今後も何かと引っ張り出して来る事になると思います。


ヒトクイマジカル<殺戮奇術の匂宮兄妹> (講談社文庫)
西尾 維新
講談社