3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (井汲 景太) 2008-09-06 04:13:04 > 清く正しい人たちは、こういうものは大嫌いで、ともすれば排除しにかかっ> たりするんですけどね…。でも僕はこれもまた「娯楽」の一つの形として> 保護し、語り継いで行きたいと思っています。以前からのLDさんのテーマで、先日の細野不二彦のサンデー読み切りのときもルイさんと熱く語ってらした話題ですね。このテーマの話だと、私は以前「COMIC BOX」誌上で見かけた呉智英の書評の一節を思い出します。………今引っ張り出してきました。引用します:“…たとえ強姦の素晴らしさを描いたマンガだろうと、朝鮮人虐殺の楽しさを描いたマンガだろうと、政治的には私は真正面から対立するものだが、作品としての完成度が高ければそれは必ず高く評価しなければならない。これが私の立場である。ただ、現実にそういう作品にお目にかかったことは、まだないけれど。”かなり極端な例を挙げているだけに、主題がよく伝わって来ます。プロの評論家ともなると、これくらいの覚悟と信念を以て物事に臨まねばならない、ということを端的に表している文章として、印象に残る一節です。一つ付け加えるならば、そういう問題の多い作品の場合は、評価におけるハードルは自ずと高くなる・ならざるを得ない、ということは言えるでしょうか。 返信する Re:井汲さん (LD) 2008-09-07 14:59:32 >細野不二彦のサンデー読み切りのときもルイさんと熱く語ってらした話題ですね。はい、正にそこに繋げたい話でした。呉智英さんの意見にも同感です。少し大げさにいうと僕はいつも「面白さって何だろう?」と考えながら物語に接しているのですが、その実感として「面白い」あるいは「楽しい」という事は必ずしも「公序良俗」の範囲に収まるものではないと思うんですね。人間の事を「素晴らしい」という時、法律や規範からはみ出さずに行動する事が「素晴らしい」の必要条件ではないよね……っという言い方は多少、詭弁くさいですが…。ここらへんは、また機会を改めて何か書こうかとも思っています。>問題の多い作品の場合は、評価におけるハードルは自ずと高くなる・ならざるを得ないある程度、まともに教育を受けた人間は社会規範が身に染みていて、反社会的なものには“拒絶反応”を起しやすい状態になっていますよね。そこを突破して人間の本性…といったようなものに楔を穿つのは難しい事(ハードルが高い)ですが、それ故、突破するものの評価は自然と高くなるとも言えますね。同時に反社会・反倫理的なものを紹介するのは慎重を要しますね。何かに付けマンガ・アニメ・ゲームの悪影響みたいな事を言いつのる人が絶えないですし、それらの人々の誤解を抜けるためにも相応のエクスキューズ(ハードルが高い)はあって然るべきでしょう。なんか難しく書いていますが…世間には猥褻物陳列罪という規範があるけどミケランジェロの「ダビデ像」とかチン○丸出しだよね?というかねw人間のパトスってものを、そんな覚束ない“枠組み”に収めるのを是とするのか?って話で……むう、結局難しく言っているな(汗) 返信する Unknown (キボウシ) 2021-09-23 20:54:14 恐らく女に痛い目にあった男が読むとスカッとしますね。また、人間心理についてはよく描かれていると思います。自分は面白すぎました。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
> たりするんですけどね…。でも僕はこれもまた「娯楽」の一つの形として
> 保護し、語り継いで行きたいと思っています。
以前からのLDさんのテーマで、先日の細野不二彦のサンデー読み切りのときもルイさんと熱く語ってらした話題ですね。このテーマの話だと、私は以前「COMIC BOX」誌上で見かけた呉智英の書評の一節を思い出します。………今引っ張り出してきました。引用します:
“…たとえ強姦の素晴らしさを描いたマンガだろうと、朝鮮人虐殺の楽しさを描いたマンガだろうと、政治的には私は真正面から対立するものだが、作品としての完成度が高ければそれは必ず高く評価しなければならない。これが私の立場である。ただ、現実にそういう作品にお目にかかったことは、まだないけれど。”
かなり極端な例を挙げているだけに、主題がよく伝わって来ます。プロの評論家ともなると、これくらいの覚悟と信念を以て物事に臨まねばならない、ということを端的に表している文章として、印象に残る一節です。
一つ付け加えるならば、そういう問題の多い作品の場合は、評価におけるハードルは自ずと高くなる・ならざるを得ない、ということは言えるでしょうか。
はい、正にそこに繋げたい話でした。呉智英さんの意見にも同感です。少し大げさにいうと僕はいつも「面白さって何だろう?」と考えながら物語に接しているのですが、その実感として「面白い」あるいは「楽しい」という事は必ずしも「公序良俗」の範囲に収まるものではないと思うんですね。
人間の事を「素晴らしい」という時、法律や規範からはみ出さずに行動する事が「素晴らしい」の必要条件ではないよね……っという言い方は多少、詭弁くさいですが…。ここらへんは、また機会を改めて何か書こうかとも思っています。
>問題の多い作品の場合は、評価におけるハードルは自ずと高くなる・ならざるを得ない
ある程度、まともに教育を受けた人間は社会規範が身に染みていて、反社会的なものには“拒絶反応”を起しやすい状態になっていますよね。そこを突破して人間の本性…といったようなものに楔を穿つのは難しい事(ハードルが高い)ですが、それ故、突破するものの評価は自然と高くなるとも言えますね。
同時に反社会・反倫理的なものを紹介するのは慎重を要しますね。何かに付けマンガ・アニメ・ゲームの悪影響みたいな事を言いつのる人が絶えないですし、それらの人々の誤解を抜けるためにも相応のエクスキューズ(ハードルが高い)はあって然るべきでしょう。
なんか難しく書いていますが…
世間には猥褻物陳列罪という規範があるけどミケランジェロの「ダビデ像」とかチン○丸出しだよね?というかねw
人間のパトスってものを、そんな覚束ない“枠組み”に収めるのを是とするのか?って話で……むう、結局難しく言っているな(汗)