美しき日々 Beautiful Days Epilogue

韓国ドラマ「美しき日々」のその後のストーリーを創作してみました♪

第16話(10)

2008-06-28 | Weblog
第16話 渾 沌

(10)

『ウチは一部屋空いている』

『いつでも泊まりにくればいい』

『お前がショーンの世話をしてくれれば、ヨンスが助かる』


あの時の言葉をソンジェが真に受けたのか、それともヨンスの誘いに魅せられてなのか、はたまたショーンが可愛くて仕方がないのか、その辺りは定かでない。
が、理由はともかく、一緒にランチを共にした週末以降、ソンジェは頻繁にヴィラへ立ち寄るようになった。



『ヨンス、君はソンジェの携帯電話の番号やメールアドレスを知っているね?』
『え?・・・ええ・・・』
『今後はよく連絡を取って、此処にも招くといい』
『・・・?』
『これまでがおかしかったんだよ。僕たちは兄弟なのに、同じソウルに暮らしていて行き来がないなんてあまりに不自然だ』
『・・・!』
『ゲストルームもあるんだ。夜、遅くなったら泊まるよう勧めなさい』
『あなた・・・!』

ヨンスは嬉しそうに肯いた。

『それに』
『・・・?』
『ソンジェがショーンの相手をしてくれれば、君も少しは僕を構ってくれるだろう・・・』

申し訳なさそうに俯く妻の顎を摘み、そっと唇を重ねたのはつい二週間程前のことだ。

勿論、これには意味があった。
ソンジェと近しくしておけば、ヤン・ギョンヒやセナの動向を察知できるかもしれないというビジネス上の下心である。


なにはともあれ、ソンジェは三日に一度来訪し、週に一度は泊まっていく。
ショーンは、最高の遊び相手であるソンジェをすっかり気に入ったようだ。


夜、帰宅すると、広々とした美しい玄関に似つかわしくない大きな薄汚れたスニーカーを目にすることが多くなり、違和感を覚えたミンチョルだったが、やがてそれは感謝の念へと変化していった。
なぜならソンジェの存在が高まるにつれ、ヨンスがショーンに関わる度合いが極端に低下したからだ。


『ソンジェさんがいてくれると、本当に助かるわ・・・』

疲れているヨンスを気遣い、会食があると嘘をついて外食してから帰宅する夜も少なからずあった。
それが最近では、「今夜は、自宅で召し上がる?」と訊いてくれる。
ショーンが登場してから、滅多に耳にしなくなった台詞である。
「何かリクエストはあるかしら?」などと言われると、本当に嬉しくなってしまう。
そして彼女は要望通りに手の込んだ料理を作り、帰宅が夜十時を過ぎても笑顔で待っていてくれるのだ!

『お♪美味そうだな』
『今夜はね、ソンジェさんがショーンをお風呂に入れてくれたのよ』
『ソンジェが?』
『ええ、明日はお休みだって言うから、泊まっていくよう勧めたの』
『・・・ああ、それは良かった』
『ショーンったら一緒に入るって、ゲスト用のバスルームを初めて体験したのよ!』
『下と違って狭いだろうに』
『それが、あの子は気に入ったみたい』

ソンジェが階下にある夫婦のバスルームを使ったとしたら不愉快極まりないが、ゲスト用ならば文句はない。

『・・・それでね、今夜はソンジェさんと寝るって』
『え♪』

思わず、声のトーンが上がる。

『心配でさっき部屋を覗いたのだけれど、二人共ぐっすり寝ちゃっているわ』

ソンジェ様様である。
なんだったら、ずっとゲストルームに滞在してくれて構わない。


ミンチョルの心と身体の均衡は、意外にも弟の出現によりバランスを保つこととなった。




「はぁ・・・ふ」

夕方、ミンチョルは企画室長室で秘かに欠伸をした。
週の真っ只中だというのに、寝たのは明け方の四時近くなのだ。
昼間、仕事に忙殺されながら、夜の長時間に亘る濃密な営みではさすがに睡眠不足を感じる。
妻の寝顔に見惚れ、ささやかな悪戯に熱中しているうちにいつの間にか夜が明けてしまった日も多い。


充実した夫婦生活に身を浸す喜びと、三十路に突入している男の悲哀が入り混じった疲労感を抱えながら、ミンチョルはパソコン画面でスケジュールを確認した。

(権限を)

(もう少しキチャンさんやキュソクさんへ移行するべきだな・・・)

彼に、夜の生活を切り詰めるという発想は毛頭ない。




昨夜、早めに帰宅すると、ショーンはソンジェにまとわりつき駄々をこねていた。
「ソンジェと寝る」と言い張っているのだ。
ヨンスは申し訳なさそうな顔をし、ミンチョルは密かにほくそ笑んだ。

「ソンジェさん、迷惑じゃない・・・?」
「え・・・?ううん、別に」
「でも、夜泣きしたりするでしょう?」
「いや・・・そんなことないよ」
「・・・本当?」
「うん・・・っていうか、僕もショーンも遊び疲れてグッスリ眠り込んじゃうから・・・」


やはり、日中の運動量が断然、違うのだろう。
チマチマとヴィラの室内で動き回っても、近所の小さな公園で遊んだとしても、ヨンスと一緒ではたかが知れている。
それがソンジェが相手だと、行動範囲がグッと広がるのだ。
時には遠くの大きな公園にまで足を伸ばす。
探検と称し、漢江沿いの市民公園まで行ったりもする。
室内でも肩車といった力技から始まり、追いかけっこなど体力勝負の遊びもソンジェはとことん付き合う。
結果、ショーンの身体能力は目に見えてグッと高まり、動作もみるみるうちに機敏になっていった。


「男親って、やっぱり必要ねぇ・・・」としみじみ呟くヨンスの横で、ミンチョルは咳払いをしながら新聞を読むフリをした。

(ショーンの相手をするつもりはない)

(僕の相手は、君だからね・・・)


夕食の後片付けといった家事を翌日に繰り越すことを好まないヨンスが、上階の明かりを消しフンワリと乾いた洗濯物などを手に階下に来るのはミンチョルより三十分以上遅い。
それから入浴し髪を乾かし、ようやく寝室に入ってくる。


彼女がベッドに横たわった瞬間から、その時間が始まった。

「あ、あなたったら・・・」

恥ずかしそうに身をくねらす妻は、本当に初々しい。
まるで、何も知らない生娘のような雰囲気さえ漂っている。

「いいじゃないか・・・」

夜着を瞬く間に脱がせ、生まれたままの姿へと誘(いざな)う。

「・・・っ」

指先で、ちょっと乳首を弄っただけなのに、ヨンスは小さな声を上げた。

「・・・今夜は」
「・・・?」
「君の乱れた顔が見たいな」
「!」

ヨンスは「冗談じゃない」とでもいうように、頭を振った。

「嫌よ・・・っ」

「もうっ」

「あなたったら・・・っ」

しかし、ミンチョルは既に動き始めている。

「あっ」
「・・・最近、僕は不満が溜まっているんだ」
「え・・・?」
「・・・君はショーンの母親代わりかもしれないが、それ以前に僕の妻だろう?」
「・・・」


深刻な表情で黙り込む姿を見ていると、ついついもっと甚振りたくなるのは男の性(さが)という奴か・・・?


「は・・・ぅっ」

ヨンスの腰が大きく跳ねた。
右の一番長い指を、まだそれほど滴ってはいない其処へ根元まで挿入したからだ。

「や、やめて・・・っ」
「やめない」
「ちょっ・・・」


頑ななヨンスの上体をグイと起こし、背後から抱きかかえる。
そして足を開かせ、自分の足で固定する。
こうすれば、ヨンスに自由は無い。

「あぁっ」

突然の成り行きと、その恥ずかしい格好にヨンスは声を震わせる。

「ねぇ、ヨンス・・・」
「・・・」
「あそこの壁に、大きな鏡を置こうか?」
「・・・?」
「そうしたら、身支度にも便利だし」
「・・・」
「君のこんな姿もハッキリと映るからね・・・」
「!」

ヨンスは血相を変えて抗った。
しかし、どう足掻いたところで、この拘束から抜け出すことは出来ないのだ。


耳朶から首筋へと舌を這わせながら、ミンチョルの左手は豊満な乳房を、右手はヨンスの最も鋭敏な場所を責め立てた。
花びらをかきわけ、小さな突起を人差し指と中指で軽く挟む。
十本の指を総動員し、懐の妻を高みへと追いやる。

「あ・・・ぁ」

「は・・・ぁ・・・」

「あぁ・・・」

「はぁ・・・んん・・・」

擦り上げるように強い刺激を与えると、ヨンスはやがて全身をピクピクと痙攣させた。

「あっ・・・」

「んんっ」

「はぁ・・・っ」

上体が幾度か弾むようにわななき、白い柔肌がしっとりと湿り気を佩びてくる。

「・・・ん・・・んんっ」

「あっ」

つま先がキュンと反り返り、震え始める。

「・・・っ」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・っ」


どうやら昇りつめたようだ。
ガクンガクンと肢体を二度震わせたヨンスは、ミンチョルの胸元に崩れ落ちた。

まあるいふくらみの先端は、硬くピンと尖っている。
心臓が、はちきれんばかりの激しい鼓動をたてているのがよくわかる。
華奢な肩も又、大きく上下している。


「・・・大丈夫かい?」

羞恥に耐える妻を苛めておきながら、「大丈夫かい」とは身勝手な言い分だが、しかしその表情にどこか満ち足りたものを感じる。
これは、やはり夫のエゴなのだろうか?

どちらにしろ、こんな時ヨンスが自分に総てを委ねているのは明らかだ。
信頼し安心しきっている。
それが手に取るようにわかるからこそ、究極の幸せを感じる。


「・・・」

愛おしい妻を仰向けに寝かせ、長い黒髪をゆっくりと梳きながらその上から覆いかぶさる。

「綺麗だよ・・・」

薄っすらと赤みがかった白い裸身は、恐ろしいほどの魅力を湛えている。
まるで、請われているような、いや挑発されているような錯覚に陥ってしまう。
淫猥としか言いようがない。

(まったく・・・)

火照った肢体を抱き寄せながら、ミンチョルは唇を重ねた。



顔立ちこそ端整で、施設育ちには見えなかった。
しかし、第一印象は「美しい」とか「妖艶」といった印象とは程遠い。
身なりは粗末だったし、そもそも売り場のアルバイトである。
化粧っ気のない顔に、真っ直ぐな長い黒髪。
スラリとした手足の長い、肌の白い女の子、といった程度の印象だ。


それが今や、これほどまでに自分を惹きつけ放さない。


(女性というのは、残酷だが)

(不思議な生き物でもある・・・)


柔らかい二つのふくらみに顔を埋めて、目を閉じてみる。
硬く尖ったピンク色の其処を舌先や歯を駆使して繰り返し苛めた後、すっかり濡れ滴った右指先を其処から引き抜き口に含む。

「・・・いい味だ」


繰り返し達したヨンスは、今や息も絶え絶えの状態だ。
白く長い脚を大きく裂かれても、抗う力が残ってない。


「ふっ・・・」

素晴らしい眺めだった。
壮観という他、言葉が見つからない。
思わず笑みが零れてしまう。

其処は、何かを求めビクンビクンと蠢いている。

しかし、まだ、早い。


「・・・可愛いよ・・・」

柔肌を掌で撫でまわしながら、ミンチョルはその中心に唇を押し当て「ちゅーっ」と強く吸った。

「はぁ・・・あ・・なたぁ・・・」
「・・・まだだ」
「・・・お・・・お願い・・・」


羞恥に身悶えながらも無意識に懇願する妻を耐え忍ばせ、甘い蜜を強く啜る。
その都度、細腰が大きく揺れる。


「・・・はぁ・・・」

「・・・はぁ・・・っ」

「はぁ・・・あぁぁぁ・・・っ」

可愛い泣き声に耳を傾けながら、これでもかと秘所を嬲る。



ミンチョルにとっては二度目の、そしてヨンスにとっては幾度目かもわからない絶頂をほぼ同時に迎えたふたりは、明け方ようやく眠りについた。




淫靡な笑みを見られた可能性は否定出来ないだろう。
妻との交わりを思い返しながら自分の指先を動かし、ふと視線を上げたら、ユンジュ主任が室長室のガラス扉の脇に立っていた。
そして彼女は、不思議そうにこちら側を見つめていたからだ。

「・・・っ!」
「室長、何かいいことでもありましたかぁ?」


能天気な表情は言い換えれば率直そのもので、そこに疑念とか嫌悪、好奇といった感情は含まれていないようだ。
誤解をしてくれるのなら、それに越したことはない。

軽く微笑み肯きながら、「忙しいのに、申し訳ない」と言葉を添えつつコーヒーを依頼すると、主任は「はいっ♪」と嬉しそうに飛んでいった。



椅子に深く身を沈め、机上の山積みされた決済書類に目をやる。

「やれやれ・・・」

ペーパーレスを奨励しているはずなのに、近頃どういうわけか書類が多い。


その時、電話が鳴った。

『社長、2番に外線が入っておりますが・・・』

独特の濁声は聞き覚えがある。
確か、同フロアに席を置く新入りの女性契約社員だ。
やや年嵩で太め、お世辞にも美人とはいい難い容姿だったが仕事は出来たはずである。


『・・・ヤン・ギョンヒ様という女性の方です。社長と直接お話したいと仰っておりますが、お繋ぎしても宜しいでしょうか・・・?』
「・・・有難う」


回線の切り替わる音を耳にしながら、ミンチョルは顔を歪めた。


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第16話(9)

2008-06-22 | Weblog
第16話 渾 沌

(9)

『あのね、ソンジェさんは子供が好きみたい・・・』


さり気無さを装い、「そう・・・」と呟きながらの小さなため息。


「ショーンもね、ソンジェさんのこと、気に入ったみたいだわ」


こちらの心の内を気付くはずもなく、ヨンスはそんなことを口にする。


「・・・」
「ねぇ・・・」
「・・・ん?」
「VARIOUSに・・・ソンジェさんにお似合いの方、いないかしら?」
「!」


ミンチョルは妻を真っ直ぐに見つめた。


女性は突如、残酷な生き物へと変身し、男の前に君臨するものだ。
そしてヨンスも例外ではなかったらしい。
しかし、妻の口から出た言葉に小躍りするほど単純ではない。


「・・・なぜ、そんなこと言うの?」


ヨンスは躊躇いがちに、小さな声で喋りだした。


「・・・私、ソンジェさんにはセナを選んで欲しかった」
「・・・」
「今でもね、その気持ちは変わらないの・・・」


言葉を切り、深呼吸する妻の表情は真剣そのものだ。


「・・・でも・・・」
「・・・」
「でも、セナはショーンを産んだわ」
「・・・ああ、そうだね」
「・・・つまり・・・」
「・・・」
「もう・・・ソンジェさんのことを愛していない、ということでしょう?」


(それは、どうかな・・・?)

そう思ったが、口には出さない。


「だったら、ソンジェさんには誰か・・・」
「・・・」
「そう・・・誰か素敵な女性(ひと)と結婚して、幸せな家庭を築いて欲しいの」
「・・・」
「私は幸せだから」
「!」
「ソンジェさんにも、同じ様に幸せになって貰いたいわ・・・」



(君は、わかっていないな・・・)

弟が妻を見る目、あれは決して義姉を見る目でも友達の目でもない。
愛おしい女性(ひと)を見つめる時の、熱い何かが籠もっている。

(そう・・・)

(僕がヨンスを見る目と同じだ・・・)


「・・・」



わかっている
君は僕を選んでくれた

君が望んでくれたから
僕は君の傍にいることを決意したんだ

ソンジェは君を愛していた
けれど
君の中に
ソンジェへの恋情は一切無かったと
好意はあっても
恋情はなかったと
今なら断言できる

そして
僕だけを見つめ
僕だけを愛してくれる君が
そんな君が僕には必要だったのだ

でも
それはいつしか
エゴになってはいなかったか?

ミンジに留学のチャンスを与えくれた君を
僕は縛り付けている
束縛しているくせに
いつも寂しい思いをさせ
そして
傷つけてばかりだ
子供を持つ夢さえ
叶えさせてあげられない

それなのに
君は
こんな僕との生活を
幸せだと言ってくれるのかい・・・?


切なくなった。

『私は幸せだから・・・』


(・・・本当に?)

(本当に、君は幸せなのか・・・?)


ミンチョルは、正面に座る妻へ腕を伸ばした。
テーブル上の細い手首を掴み引き寄せると、甲に口付ける。

「あなた・・・?」
「・・・愛しているよ」
「!」


(ああ、僕は心から君を愛している)

(これからも)

(ずっと、ずっと)

(君だけを愛するよ・・・)


ヨンスは周囲が気になるのか少し照れくさそうな表情をしつつも、嬉しそうに笑みを浮かべ肯いた。




ショーンを肩車したソンジェは、中庭の一角から二人を見つめていた。

「はやくっ!はやく・・・ぅ」
「ちょっと待ってて、邪魔をしちゃ悪い」
「・・・?」
「今、兄さんとヨンスさんはいい感じなんだから」
「・・・?」
「ショーン」
「はいっ」
「ふたりが仲良くしている時は、邪魔しちゃ駄目だぞ?」
「・・・?」
「お前もそのうち好きな人ができたら・・・」
「・・・?」
「・・・そんなこと言っても、未だわからないよなぁ」



ソンジェと二人きりで話がしたいという夫の意向を受け、ヨンスはショーンを連れて一足先に店を出た。


「・・・場所、変えるか?」
「いや、僕はここでいいよ」


二人の周囲は満席で、かなりざわついている。
一方、中庭はだいぶ空席が目立ってきた。


「・・・じゃあ、外で話そう」
「うん」

店員へ合図をし、新しいコーヒーを頼む。


「ヨンスさん、凄いね」
「・・・」
「まるで、本当のお母さんみたいだ・・・」


冷酷さなど微塵も感じられない弟の無邪気な表情が、勘に触った。
昔からそうだ。
この顔を見ていると、どういうわけか攻撃的な口調になってしまう。


「お前、わかっているんだろう」
「え・・・?」
「ヨンスが妊娠する可能性はないよ」
「!」
「自分の子供を抱くことは恐らくないだろうな・・・」


どうすることも出来ない。
あの父の血が自分には流れている、というのは言い訳なのか・・・?



一方のソンジェは、ハッとして思わず唾を飲み込んだ。
かつて医学部の優秀な学生であった彼は、骨髄移植に伴うリスクを当然ながら承知している。
度重なる投薬と放射線治療が、生殖器とその機能に大きなダメージを与えることも十分に理解していた。
が、しかし、それらを頭では把握していても、実際に兄夫婦が直面している現実と繋げることが出来ていなかったのだ。


「・・・ごめん・・・」

ソンジェは唇を震わせ、頭(こうべ)を垂れた。

「別にお前が謝る必要はない」
「・・・」
「どちらにしろ、子供が欲しいと思ったことはない」


「結婚することさえ、考えていなかったんだから」とミンチョルは自嘲気味に笑う。


(そうさ・・・)

(子供どころか)

(ヨンスと出逢っていなければ)

(結婚などしていなかった・・・)


「だが、ヨンスは子供を切望している」
「・・・」
「わかるだろう・・・?あの様子を見れば」

ソンジェは押し黙ったまま、小さく肯いた。

「ショーンを預かること自体、僕は本意ではなかった」


けれど
セナの子供では
反対することなど出来なかった

ヨンスのセナに対する深い思いを
誰よりもよく知っていたから・・・


「妙な希望でも持たれたら困るし、第一、ヨンスが可哀相だ」
「・・・」


ミンチョルはコーヒーを一口飲むと、上着の内ポケットから封筒を取り出しテーブルに置いた。


「話は変わるが」
「・・・?」
「あの時は、本当に有難う」

深々と頭を下げる兄に、ソンジェは慌てふためいた。

「に、兄さん!なんなの?急に・・・」
「・・・」
「あの時って、いったい・・・」
「・・・あの時、お前が助けてくれなかったら、ヨンスはどうなっていたかわからない」
「!?」
「お前が大学病院に振り込んでくれた金のことさ」
「!」

ソンジェは封筒を見つめながら、「兄さんだって、いざとなれば工面出来たはずだよ」小さく呟く。

「勿論、全力で金策に走っただろうが・・・」
「・・・?」
「恐らく当時の僕の力では、無理だったように思う」
「兄さん・・・」
「今なら、なんとでも言える」
「・・・」
「だが、正直、あの時は会社を維持していくことで精一杯だった」
「・・・」
「もし、資力の全てをヨンスの為に使っていたら」
「・・・」
「今のVARIOUSは無かったかもしれない」
「・・・」
「僕達がこうして不自由なく暮らしているのは、皆、お前のお陰なんだ」
「・・・」
「心から感謝している」


幼い頃から、いつも蔑まれ見下されてきた。
どんな状況になろうとも、兄は冷静で決して本心を見せなかった。
それが今、頭を下げ礼を言っている。
素直に自分の窮地を認めている。


(・・・)

(ヨンスさんの為だから・・・)


兄の生涯の伴侶に対する深い心情を、ソンジェはヒシヒシと身に染みて感じていた。


「相応の利子も付けた」
「・・・」
「どうか、遠慮なく受け取って欲しい」


小切手を付き返す行為は、兄に対して非礼である。
しかし、これをヤン・ギョンヒへ返したところで、あの契約が無効になることは決してない。

ソンジェは小さく肯くと、封筒をパーカーのポケットへ押し込んだ。


「・・・MUSEに戻る予定は?」
「絶対に、ない」


その毅然とした口調は、まるでヤン・ギョンヒとの決別を意味しているように受け取れる。
ミンチョルは違和感を覚えた。


「・・・それなら、お前、VARIOUSで仕事をする気はあるのか?」
「・・・」
「もし、あるならポストを用意・・・」
「兄さん」
「・・・?」
「僕・・・しばらく音楽から距離を置きたいんだ」
「ソンジェ・・・?」
「そういう気分なんだよ」
「・・・じゃあ、今の仕事は・・・?」
「肉体労働ってところかな?」
「!?」
「これでも、結構、稼いでいるんだ」
「・・・向こうで、音大の講義は受けたのか?」
「いや・・・」
「・・・」
「そんな余裕は・・・」


その表情からは、渡米中の厳しい生活が垣間見える。

(・・・)

ヤン前社長の援助を受けている気配は、全く感じられない。
いったい、二人の間に何があったのだろうか?


「ところで、セナさんとは」
「・・・」
「セナさんとは、会っていたのか?」
「・・・何回か会った」「アパートに押しかけてきて・・・」
「それで?」
「それでって、追い返したよ」
「・・・」
「セナの気持ちはわかっているんだ」「でも・・・」


長い沈黙。
店員達が、ランチタイムの残骸を忙しなく片付ける音だけが周囲に響く。


「お前、まだヨンスのこと・・・」


(好きなのか・・・?)


決定的な言葉は呑み込んだのに、ソンジェは真っ直ぐに見返してきた。
その瞳には、穏やかというよりは淡々とした何かが満ちている。


「・・・それは失礼だよ、兄さん」
「・・・」
「父さんが死んだ時、僕は総てを水に流そうと心に決めた」
「・・・」
「あの時、ヨンスさんへの想いも一緒に流したつもりだ」


ソンジェは視線を遥か遠くへと漂わせた。


「ヨンスさんが兄さんと結婚した時」
「・・・」
「僕はヨンスさんと約束したんだ」
「・・・」
「これからもずっと親友でいる、男友達でいるって・・・」


ミンチョルは口の端を微かに動かすと、コーヒーカップを見つめた。


「・・・さっき、ヨンスがこう言った」
「・・・?」
「ソンジェさんは子供が好きだから、早く結婚した方がいい・・・とね」
「・・・」
「VARIOUSに、いい子はいないのか?って・・・」
「・・・」
「残酷だな、女性っていうのは」


ソンジェは苦笑いすると、明るく言った。


「ヨンスさんより素敵な女性(ひと)がいたら」
「!」
「そしたら、紹介して・・・」

ミンチョルは弟を見つめた。

「・・・難しいな」
「・・・」
「・・・」


二人は、どちらからともなく視線を逸らした。



「お前、金に困っているわけじゃないよな?」

四人分の会計を手早く済ませたミンチョルは、さり気無くそう口にした。

「え・・・?」

ソンジェが身につけているものは清潔だったが、決して上質なものでも新しいものでもなかった。
MUSE社長としてミンチョルの前に現れた時とは、全くの別人である。


「今、何処に住んでいる?」
「・・・」
「言いたくないのか?」
「・・・」
「ウチは一部屋空いている」

ソンジェは怪訝な表情だ。

「お前は僕の弟だ」
「・・・」
「いつでも泊まりにくればいい」
「兄さん・・・」
「お前がショーンの世話をしてくれれば、ヨンスが助かる」
「・・・」
「僕は全くの役立たずなんでね」


ミンチョルはそう言って、笑った。
ソンジェもつられて笑顔を見せ、ようやく空気が和む。


「兄さん」
「ん・・・?」
「ヤン前社長は、ソウルにいるよ」
「・・・」
「この間、偶然、会ったんだ」
「・・・そうか」
「ということは、セナも戻ってきたんだろうか?」
「・・・なぜ?」
「セナはロスで、ずっとヤン前社長の世話になっていたから・・・」
「そうなのか?」
「ウン」
「・・・」
「兄さん」
「ああ・・・?」
「ヨンスさんを守って」
「・・・?」
「頼んだよ」


ソンジェは「ご馳走さま」と手を上げ、立ち去った。



(歩きか・・・)

あの白いメルセデスは、MUSEの社用車だったのかもしれない。
それにソンジェの手も気になった。
大きく指の長い、ピアノ向きの綺麗な手をしていたはずだったのに、今日何気なく見たら爪が汚れていた。
擦り傷もあったように思う。

『・・・じゃあ、今の仕事は・・・?』
『肉体労働ってところかな?』

「・・・」

今の彼の状況が恵まれているとは、どう考えても思えない。
そして、なぜそんな境遇に甘んじているのか、皆目見当が付かない。
ヤン・ギョンヒとセナの動向も気になるし、ソンジェとの関係も気がかりだ。

「・・・」



道路際に止めたシルバーのSLKは、春の日差しを受け光り輝いている。
そして、この車に颯爽と乗り込んだVARIOUSの若き社長であるイ・ミンチョルも又、飛びぬけたオーラを放っていた。
Vゾーンは完璧で、濃紺のスーツは一目で上質なものだとわかる。
袖口からチラリと見える腕時計も、靴も、何もかもが高級感に溢れ、しかもしっくりと馴染んでいる。

行き交う人々が羨望と嫉妬の視線を浴びせかけるが、彼はそんなことには興味がない。
運転席に座ると、そそくさと携帯を取り出し妻を呼び出す。


『・・・もしもし?』
「僕だ」
『あなた、もうお話は終わったの?』
「店で別れたところだ」
『そうだったの』
「今、何処?」
『大通りの交差点を渡ったところ』
「何をしているの?買物?」
『ううん、ショーンが疲れて寝ちゃったから、バギーを押しながら散歩しているわ』
「そうか」
『もうそろそろ帰るつもりよ。空気がまだ冷たいもの、風邪をひいたら大変・・・』
「・・・」
『あなたも会社に戻るのでしょう?お仕事、頑張ってね・・・』


こんな時、いつもなら速攻でピックアップし、口直しにホテルのラウンジへ繰り出すのだが、生憎、愛車はツーシーターだ。
そして、チャイルド・シートのないこの車に、ヨンスは決してショーンを乗せない。


「・・・じゃあ、又、後で電話する」

仕方なく電話を切ったミンチョルは、車を急発進させた。



(もう一台、車を買うか・・・?)

しかし、ヴィラの駐車場は一台のスペースを確保しているだけである。
二台目は今の状況では難しく、かといって外部に駐車場を借りるのも面倒だ。
そもそも、その駐車場に空きがあるかもわからない。

(車を買い替えるか・・・?)

だが、いつまで世話するかもわからない子供の為に、この愛車を手放すのもムカつく。
理不尽この上ない。

「・・・っ」

不機嫌さを顕わにしたミンチョルは、アクセルを踏み込みこんだ。


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第16話(8)

2008-06-12 | Weblog
第16話 渾 沌

(8)

ヨンスが顔を上げると、そこにソンジェが立っていた。
ルーズフィットの洗いざらしのデニムに、灰色のパーカー姿。
足元には履き古したスニーカー。


「ヨンスさん、久しぶり・・・!」

その笑顔は、彼女をどういうわけか和やかな気持ちにさせる。
医大生の頃の、屈託の無い柔和な表情。


「ソンジェさん!」

ヨンスは満面の笑みで応じると、着席するよう促した。



大きな窓から陽射しの降り注ぐこのカジュアル・レストランは、オープンエアの席を設けている。
空気は未だ冷たい。
が、厚手のブランケットが用意されているせいか、若者の多くは敢えてテラコッタ張りのパティオで飲食を楽しんでいた。


ヨンスは、窓辺の四人がけのテーブルに座っている。

「・・・」

ショーンが訝しげな表情でソンジェを見上げた。

「さっきお話したでしょう?」
「・・・」
「ほおら、ソンジェお兄ちゃんよ・・・」
「こんにちは、ええと・・・」
「ショーンよ」
「こんにちは、ショーン」

ショーンはニヤッと笑った。

「とても人懐っこい、可愛い坊やだね」

ソンジェは感心したように肯きながら、ショーンの向かい側に腰を下ろす。

「不思議だわ」
「・・・何が?」
「この子、どういうわけか同性に対して警戒感が強いのよ」
「同性・・・?」
「ええ」
「じゃあ、兄さんに対しても?」
「駄目なの・・・全く懐かないわ」


「まぁ、兄さんも子供好きってタイプではないしね」と呟きながら、ソンジェは店員の持ってきたメニューを手にした。
なんとなく心が弾む滑稽な自分を意識しながらも、つい朗らかになってしまう。


「ヨンスさんは、もうオーダーしたの?」
「ええ、ショーンはキッズ・プレートで、私はドリア・セット」
「美味しそうだね」

ソンジェは少し考え、ハンバーグ・セットに決めた。
この店は、雰囲気がいい上に安価と評判である。
尤もソンジェからすれば場末の大衆食堂での飲食が続いているので、お洒落な場所に位置するこの小奇麗なカフェ・レストランの雰囲気はこそばゆい。
おまけに、目の前にはすっかり洗練されたかつての想い人が座っている。


「・・・で、お友達のお子さんだって?」
「ん・・・」

ヨンスは口を濁した。

「・・・ええ、まあ・・・」
「可愛いね」
「・・・」
「なんだかヨンスさんの子供みたいだよ、そうしていると」
「・・・私もね、時々そんな錯覚を起こしちゃうの」
「・・・だけど、ショーンがちょっと可哀相だね」
「え・・・?」
「こんな小さいのに、お母さんと離れ離れだなんて」


刺すような痛みを胸元に感じたヨンスは、少し顔を歪めた。

(そう・・・)

(わたしは、ショーンのお母さんじゃない・・・)


「・・・事情があって」
「あ・・・ゴメン・・・」
「・・・いいの、ソンジェさんの言うことは尤もだもの」



少しの沈黙の後、ソンジェは口を開いた。

「あの、ヨンスさん」
「・・・?」
「最近、変わったことはない?」
「変わったこと・・・?」
「うん・・・」
「・・・?」
「いや、例えば、珍しい人から連絡があったとか・・・」

ヨンスは首を傾げた。

「いいえ、別にないわ」
「そう・・・」
「なにかあったの?」
「いや、なんでもないんだ」

ソンジェは慌てて手を横に振る。

「そういえば、兄さんも来るんだって?」
「ええ、メール見てくれたのね?」
「うん」
「ソンジェさんと話したいことがあるんですって」
「・・・」
「会議が十二時に終わるから、それから直行するって、今朝・・・」

ヨンスが腕時計をチラリと見た。
小ぶりなトノー型のフェイス。
淡いピンク色のリザードのベルト。
高級品であることは、その質感からすぐに見て取れる。

「そろそろ、来ると思うけれど・・・」
「・・・」


ソンジェは小さく息を吐くと、ポケットから何かを取り出した。
その手先を見つめ、ショーンは興奮して大きな声を出す。

「あっ!」

「あはっ♪」

「ふふふ・・・」

それは指人形だった。
コミカルな動きに、ショーンは完全に惹き込まれている。


「ソンジェさんって、凄いわ」
「え・・・?」
「ショーンはね、本当は公園で遊びたかったのよ」
「そう?」
「だから此処へ来る途中も、ずっと機嫌が悪くて」
「そうだったの?なんか、ノリノリだけど・・・」



やがてキッズプレートが運ばれてきた。
ヨンスは傍らのバッグから手馴れた様子で青いスタイを取り出し、ショーンの首元に巻く。
チャイルドチェアのショーンは、フォークを片手に目を輝かせプレートを見つめている。

「食べる気、満々だね」
「この子、よく食べるのよ」
「へぇ」
「足も大きいし、きっと大きくなるわ」

目を細めながら、ショーンの小さな指先をオシボリで丁寧に拭う。

「さあ、召し上がれ」


その後のテーブルの惨状は、想像通りである。

「はぁ・・・」

ソンジェは「食欲を満たす」という動物的本能を、まざまざと見せつけられることとなった。



傍目から見ると、それは幸せな家族団欒の一場面である。
― 若夫婦と幼い長男が、外食を楽しんでいる図 ― なのだ。
ショーンの表情に愛嬌があるせいか、ヨンスとソンジェの取り合わせが目立つのか、週末のカジュアル・レストランのランチ時という喧騒の中で、その一角は際立っていた。

「可愛い!ほら、見て、あの子」
「本当だ」
「いいわねぇ、子供って」
「ウンウン・・・」

客達は、好き勝手にそんなことを語る。



入店した瞬間、窓際の席でショーンの世話を焼いているヨンスとソンジェの姿が目に飛び込んできた。

「・・・」

どういうわけか足が止まる。
その時、すぐ脇を二人組の若い女性が、お喋りをしながら通り過ぎた。

「可愛い男の子!」
「パパ似だね」
「絶対、パパ似」
「目元なんて、ソックリじゃない?」


ミンチョルの顔が微かに強張ったその時、ヨンスが手を振った。

「あなた・・・!」

ソンジェも振り返り、兄の姿を認め「こっち、こっち」と手を振る。

「・・・」

咄嗟に笑顔を浮かべると、ミンチョルはゆっくりと窓際へ歩み寄った。



「お先に頂いているわ」

腰を上げようとする妻を手で制し、「久しぶりだな」と弟の肩を軽く叩きながら座席に座る。
斜め前では、小さな怪獣が両手をも使って食べ物を貪っている。

「・・・」

ミンチョルは眉を顰めながら、視線を正面の妻に戻した。

「どうだい、ショーンのご機嫌は?」
「それがね、ソンジェさんったら子供の相手が上手なの」
「アハハ・・・たまたまだよ」
「ううん!ビックリしちゃったわ!あんなに機嫌が悪かったショーンが、たちまち大笑いよ」
「だから、偶然だってば」


妻と弟のやり取りを、ミンチョルは黙って聞いていた。
ソンジェはショーンの頭を撫でている。

「ショーンは、あなたよりソンジェさんが好きみたい」
「酷いな」

ヨンスはクスクスと笑った。
ミンチョルも又、口元に笑みを浮かべるが、しかしその瞳はショーンとソンジェの顔を冷静に見比べている。


(・・・)

確かに似ているかもしれない
目元が優しそうで
温和な顔立ち
セナに似ているところは・・・
それは、よくわからない

ただ
こうやってショーンを挟み
ソンジェとヨンスが並ぶと
親子そのものだ
なぜか、しっくりとくる・・・


「・・・」

不愉快になり、咳払いを二回繰り返した。


「ショーン、もっとゆっくり食べなきゃ駄目」
「しかし凄い食欲だよね!僕のブロッコリーまで・・・」
「ええぇ!?ちょっとショーンったら、いつの間に・・・!」


和やかな会話の聞き役に徹しながら、ミンチョルの思考はフル回転していた。


ヨンスはショーンなど産んでいない
結婚以来
ずっとヨンスだけを見つめてきたのだ
あの裸身を見た男は
自分以外にはいないと断言できる

そうさ
あの美大の副教授だって
ヨンスには
指一本触れてはいないだろう・・・


(いや、触れたかもしれない・・・)


「・・・っ」


どうでもいい
彼はもう、この世にはいない


(じゃあ、弁護士は・・・)


「・・・っ」


そんなことはどうでもいい!
そもそもヨンスは
子供を産める身体ではないのだから・・・


(馬鹿馬鹿しいっ)


ミンチョルは頭を左右に振った。


(ショーンが、ヨンスとソンジェの子供であるわけないじゃないか・・・!)


しかし
だとすると
まさか
セナがソンジェの子を産んだということか・・・?


(ソンジェが)

(セナを、抱いた・・・?)

(・・・まさか・・・)


一瞬、有り得ないと思った。
・・・が、セナはソンジェに好意を抱いているとヨンスから聞いている。
ソンジェにその気はないように見えたが、それでも師弟としての強い絆は存在するはずだ。
二人のコラボレーションは、かつて一世を風靡したことは事実だし相性はいい。
しかも、二人はアメリカで暮らしていた。
異国の地で一度や二度の過ちがあったとしても、決して不思議ではない。


「・・・」

ハンバーグを美味そうに食べる弟を、ついつい横目で見つめる。


だが、セナの妊娠・出産をソンジェは知らないだろう。
知っていたら、真っ先にヨンスへ報告するはずだ。
・・・単に音信が途絶えていたということだろうか?
いや、ソンジェは慎重な性格だ。
万が一そのような流れになったとして、芸能界に身を置くセナを避妊具無しで抱くような無責任な真似はしない。
確信犯ならともかく、弟に限ってはそんなことは絶対に有り得ない。


(わからない・・・)

(わからないことだらけだ・・・)


『パパ似だね』
『絶対、パパ似』
『目元なんて、ソックリじゃない?』

レストランを出て行った若い女性二人組の会話が、なぜか耳を過(よ)ぎる。



「あなた・・・」
「・・・」
「あなた?」
「・・・あ、ああ」
「大丈夫・・・?」
「・・・え?」
「食欲ないの?お肉が半分も残ってるわ・・・」
「・・・」
「もしかして、お口に合わなかった?」
「いや、そんなことないよ」

ナイフとフォークを手に取り、残りの肉片を片付けることにした。


雰囲気は洒落ているものの、この店の料理は値段相応である。
不味いというわけではないが、わざわざ出かけてくる場所では決して無い。
しかし子連れとなると、こういう場所が気楽なのだとヨンスは言う。


『お値段も手ごろだし、チャイルドチェアはあるし』

『それにね、トイレにはオムツを替える台もあるのよ』

『あなたが出入りするお店は高級過ぎて、ショーンを連れて行くのは億劫だわ・・・』


結果、洒落た場所での外食の機会が無くなった。
ヨンス好みの新しいリストランテを何軒か見つけたのに、彼女は全く興味を示さない。
とにかくショーンが現れて以来、すっかり生活のリズムが崩れてしまっている。



ソンジェがゆっくりと席を立った。

「ちょっとトイレに行ってくる」

ショーンがモゾモゾと身を乗り出し、チャイルドチェアから抜け出そうとする。

「あなたはオムツでしょ?」

膨れっ面のショーンを、ソンジェは優しく抱き上げた。

「その辺を探検してくるよ」

意味がわかったのか、彼は大喜びである。



二人の後姿を目で追いながら、ミンチョルは「まるで父親だな」と呟いた。

「本当ね」

冷めきったブレンドを啜り、顔を顰める。

「ねぇ、あなた・・・」


正面に座るヨンスが、真っ直ぐに見つめてきた。
ガラス越しの陽射しが、僅かな疲労感を漂わせた白い顔を柔らかく包み込んでいる。

「・・・」

そういえば、こんなにも明るい自然光の中で妻を正面から見たのは久しぶりだ。
長い黒髪は艶やかで、瞳と共にキラキラと光っている。


華奢な上半身を包むカシミアのツインニットも、細身のデニムも、手首に巻かれた時計も、イヤリングも、そして足元のバレエシューズも、総て見覚えがある。
どれもこれも自分が選び、買い与えた物だ。
いつ、どこで買ったのか、それさえもよく覚えている。
そしてそのことが、ミンチョルの自尊心を満足させる。


(いい女だ・・・)

口にこそ出しはしないが、つくづくそう思う。


素直で従順で、守らなくてはと思いたくなるような隙がある。
それでいて、到底敵わない強靭さを内に秘めている。
邪気の無い、その清廉な心が何よりも愛おしいが、しかしこの女性(ひと)の魅力はそれだけに止(とど)まらなかった。


今、目の前にいる
この女は
僕のものだ

そして
僕は
この女の総てを
知り尽くしている

その総てを・・・!



「ねぇ、聞いている?」
「ん・・・?ああ、勿論さ・・・」
「あのね、ソンジェさんは子供が好きみたい・・・」



愛する妻の小さな赤い唇から漏れ出たのは、弟の名前だった。


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第16話(7)

2008-06-07 | Weblog
第16話 

(7)

鮮やかな朱色のニットスーツは、恐らくフランス製だ。
ギョンヒは、MUSE社長時代よりこの高級ブランドの服を好んで着用していた。


『お久しぶりね、ソンジェ君』


古めかしい空間に不釣合いな、優美な出で立ち。
その姿を目の当たりにしたソンジェは、一歩も動くことが出来なかった。



清譚洞の大通りを歩いていたソンジェを偶然、目にしたのは、ヤン・ギョンヒの側近であるヨム・チスである。
MUSEの第一線から身を引いていた彼は、考試院まで尾行した後、ヤン・ギョンヒへ連絡し、その結果、ソンジェは奇襲を受けたのだ。


『ソンジェ君、こんなところで何を燻ぶっているの・・・?』

『あなたは、肉体労働をする為に医学部を中退したの?』

『イ・ヨンジュン先生もソンジェ君のお母様も、あの世でさぞかし嘆いていることでしょうね・・・』


三畳強の狭い部屋。
トイレやシャワー、台所は勿論、共同。
粗末な造作家具に、年代ものの小さなブラウン管テレビ。
月二万五千ウォンの部屋は、ヤン・ギョンヒにとって眉を顰めたくなるような空間だったようだ。


『あなたが、こんな落ちぶれた生活をしているというのに』

『イ室長ご夫妻は、それは優雅な暮らし振り・・・』

『いい気なもの・・・ね』



ソンジェは身震いした。
なぜヤン・ギョンヒが現れたのか・・・?
想像するだけでも恐ろしい。

(まさか・・・)

(まさか、ヨンスさんと接触するつもりじゃ・・・)


あの女性(ひと)を病魔から救ったのは、勿論、当人の強靭な意志に違いない。
そして、あの女性(ひと)を精神的に支えた兄の存在も大きいだろう。
だから、せめて自分は金銭面を負担しようと思ったのだ。
一億ウォンを超える金を用立てる術は、当時の自分にはなかった。
結局はMUSEの社長になることを条件に、ヤン・ギョンヒを頼る結果となった。

しかし今となっては、当時なんの自覚も無いまま交わした契約が仇となっている。
VARIOUSで兄と共に仕事をし、あの女性(ひと)の笑顔を垣間見られれば幸せなのに、それさえも叶わない・・・。


「・・・」

ソンジェは携帯電話を握り締めた。





フットライトの微かな灯りだけでも、妻の表情は見て取れる。
なんとも表現し難い艶麗な気だるさが、その端整な顔立ちを包み込んでいた。


「・・・」

濃密な交わりの直後。
その弛緩した肢体をギュッと抱きしめ、白い額に口付ける。


「ねぇ・・・」

小さな赤い唇が、ほんの少し動いた。

「・・・なんだい?」
「・・・あなたって・・・」
「・・・ん?」
「・・・どうして、こんなに優しいの・・・?」


不意を突かれたミンチョルは、思わず動きを止めた。



その日、いつものようにヴィラの近くにある小さな公園で遊びまわったショーンは、帰り支度を始めたヨンスが目を離した僅かな隙を狙い滑り台に突進した。
それは、最後にもう一回滑りたいという子供心だったのだろう。
ところが運悪く、順番を待っていた三人の年上のグループの中に割り込んだ為、喧嘩となってしまった。
ヨンスが駆けつけた時、ショーンは既に砂場へと押し倒された後だった。

『順番を守らなかった貴方がいけないわ、ショーン』

『皆に謝りましょう』

こんな時、意外と冷静なヨンスは、理路整然とした態度でショーンを窘(たしな)めたらしい。
渋々と頭を下げたショーンは、しかし、その屈辱が忘れられなかったのか、帰宅後、相当の剣幕で泣き叫んだと言う。

『鼓膜が破れるかと思ったわ・・・』

ヨンスは、柚子茶を淹れながらぼやいた。

『あの子ったら、小さいわりにはプライドが高いのよ』

『セナによく似ているわ・・・』

『やっぱり、血は争えないのね・・・』

今夜も又、ショーンの話を延々と聞き続けるのかと、正直、ウンザリしかけた。

『あの子、今日はずっと公園でのことをブツブツ言って家中を歩き回って、私を恨めしそうな顔で時折、見つめるの』

『その表情がね、本当に可愛くて・・・』

「又、始まった」とばかりに天井を仰いだミンチョルは、しかし、ヨンスの次の言葉に思わず身を乗り出した。

『寝る時ね、いつもは絵本の読み聞かせを強請るのに、今日は「あっちへ行って」なんて言うのよ』

『あんな子供でも、ふて寝をするのかしら・・・』

胸が高鳴る。

『つまりショーンは、熟睡中ということ・・・?』
『ええ』
『!』
『さっき寝室を覗いたけど、鼾をかいて寝ているわ』
『!』
『日中、あれだけ騒いで泣き叫んで歩き回って体力使い果たしたんですもの、今夜はグッスリでしょうね・・・』



ひょんなことから、愛を確かめ合うことと相成った。

(公園の子供達に、感謝しなくちゃならないな・・・♪)


一週間に二回でも三回でも・・・いや、贅沢は言わない。
せめて最低一回、砂場にショーンを押し倒してくれと心の中で念じながら、愛おしい妻の軀を抱く。
久しぶりの感触に多少、興奮しながらの愛の交歓はついつい激しくなってしまい、結果、ヨンスは我を忘れ大きな声をあげてしまう。
その都度、ミンチョルはヒヤッとしたが、しかしショーンはそれ以上に大きな寝息をたて続け、夜泣きをすることも目覚めることもなかった。


寝不足のはずのヨンスに申し訳ないと思いながら二回ほど己の迸りを放出したミンチョルは、満ち足りた気分でその白い肢体から匂いたつ色香に身を委ねていたのだ。


『どうして、こんなに優しいの?』

突然の問いかけに、戸惑うのも無理はない。


「やさしい・・・?」
「ええ、だってあなたはとても優しいでしょう・・・」
「・・・」
「だから、女性にもてるのね・・・」
「・・・それは違うな」
「え・・・?」
「僕は、別にもてないよ」

ヨンスは怪訝な表情でミンチョルを見上げた。

「だって、僕は冷たいから」
「・・・?」
「興味のない人間とは視線も合わせない主義だし」
「・・・そうなの?」
「ああ」
「でも・・・」
「ん・・・?」
「いつだったか、ナレが言ってたわ」
「なんて?」
「室長はいつもモデル系の凄い美人を連れてパーティーに現れるって」
「・・・ただの噂だろう」
「・・・って、キュソクさんが言ってたって」


ミンチョルは心の中でキュソクを罵倒しながらも、大きなため息をついた。

「悪かった」
「・・・」
「それは事実だ」

「やっぱりね」というように、ヨンスは小さく笑う。

「でも、それと優しさは関係ないよ」
「・・・どういうこと?」
「僕は女性を分類していた」
「分類?」
「うん」
「・・・?」
「役立つ女性と、どうでもいい女性とにね」
「まあ・・・」
「酷いかい?」
「酷いわ」
「そう、僕は酷い男だったんだよ」
「・・・」
「役立つ女性・・・つまり連れて歩くのに都合のいい姿かたちをした女性」
「・・・」
「そういう女性をパーティーへ同伴することは何度もあったけど」
「・・・」
「・・・でも、愛した女性は君だけだ」
「・・・」
「優しいのは、君に対してだけだよ」



これは事実だ。
女性を礼儀正しくエスコートすること自体は、手馴れていた。
数多の女性と食事をし、踊り、ベッドを共にしてきたのも確かだ。
が、優しくしたり嫉妬したり、ましてや同じ女性を何度も激しく求めたりするようなことは未だかつて無かった。
こんなことは、ヨンスに対してだけである。
そもそも恋愛感情を持ったことがないし、そういう感情を顕わにする女性は鬱陶しいので排除してきた。
それでも近づいてくる女性は酷く傷つけられたはずで、二度と近寄ることはなかった。
自分が傍らに置いたのは、「割り切った付き合いの出来る女」だけだったのだ。



セピア色の瞳が、暗がりの中で妖しく光っている。


『愛した女性は君だけだ』

『優しいのは、君に対してだけだよ』


愛おしくてたまらないひとから、このようなことを言われては降参である。


「私も・・・」
「ん・・・?」
「愛した男性はあなただけよ・・・」
「・・・知ってる」

「ふっ」と笑ったミンチョルは、ヨンスの鼻先にキスをした。

「!?」
「クスクス」

ヨンスは頬を真っ赤に染めながら、厚く広い胸を打つ。

「クスクス・・・」
「・・・もうっ」
「そんな面白い顔しないで」
「あ、あなたっ」
「くっくっ」
「もうっ」
「ふふふ」
「・・・もう、いやっ」

純白のシーツへ顔を埋めようとする妻を捕らえ、仰向きにさせてその肢体を覆う。
露わになったまあるく白いふくらみを掌で揉み上げ、指先でその先端の突起を丹念に弾き続けると、やがてヨンスの息が乱れてきた。


「あっ・・・」

「・・・っ」

小さな唇から漏れ出る言葉が悲鳴に近くなるにつれ、ピンク色の突起は硬さを孕む。



(優しい・・・だって?)

(僕は優しくなんてないよ・・・)


「・・・もう少し」


(もう少し)

(我慢して・・・)


右の指先は既に花びらを掻き分け、秘めやかな処を弄り続けている。
粘り気さえ入り混じる熱く潤った其処を五本の指で蹂躙しながら、ミンチョルは妻の乳頭を口に含み歯をたてた。

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