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カーン・リーの歌うチン・コン・ソン作詞・作曲「美しい昔」 追記有り

2011-09-24 15:18:43 | 音楽・美術
最近ブログの更新を怠っている。なんとなく書く気がしないのである。書けばほとんどが政治家の無能振りを浮かび上がらすだけの政治ネタばかり。それに台風12号、15号による国土の荒廃。気が重くなるだけなので気が乗らない。ところがちょうどタイミング良く、時には柔らかいブログでもとアドバイスしてくれる友人がおり、気分を切り替えることにした。

最近私の日課の一つは歌を歌うことである。それもほとんどが懐メロで、YouTube で昔の歌手を探しだしては一緒に歌うのである。藤山一郎の「白鳥の歌」などがあるのには驚いた。五郎部俊朗が「藤山一郎とその時代~歌が美しかった: ~」でも歌っていて私も声を合わしたことがあるが、五郎部俊朗はテナーであるのに対して藤山一郎はバリトンなので、この方が私は声を合わせやすいし発声のリハビリに無理をしなくて良い。そのようなことをしているうちに、面白い歌を見つけた。それがカーン・リンの歌うチン・コン・ソン作詞・作曲「美しい昔」である。

ベトナム戦争は1975年4月30日のサイゴン陥落で終結を迎えた。その後しばらく経って読んだのが近藤紘一著「サイゴンから来た妻と娘」である。彼は産経新聞のサイゴン支局長を1971年から1974年まで勤め、さらに1975年に臨時特派員としてサイゴンへ派遣されて、サイゴン陥落を経験している。先妻を亡くした彼は一人娘を抱えたベトナム女性と再婚し、その二人を呼び寄せて日本での生活を始めた。この著書はそのドキュメンタリーとも言える。この著書に基づいたドラマがNHKで放送されて、私も本を読んでいたものだからこのドラマを楽しむことにした。そこで魅せられたのが挿入歌というか「美しい昔」であった。誰が歌ったのか記憶にはないが、心にジーンとくる歌だった。そして楽器店を訪れるたびにLPを探したがなかなか見つからず、焦らされた末にようやくお目にかかったのが次のLPである。


日本コロンビア株式会社から1981年8月にリリース(AF-7071)されており、ノンフィクション作家角間隆さんの歌手と作詞・作曲家にまつわる詳細な解説が付け加えられている。1968年2月3日、サイゴンでは夜になっても砲撃の音が絶えない。そして歌舞音曲が一切禁止されているはずなのに、死を待つ静寂のなか透き通った唄声がどこからか聞こえてくる。角間さんが通訳に誰が歌っているのかを尋ねると「カーン・リーンさんのテープですよ」と返事が戻り、次のように説明が続く。

「カーン・リー?」
「ええ、ユエから来た美人歌手です。彼女は、同じユエから来たチン・コン・ソンさんの作った唄しか歌いません」
ユエというのは、北緯17度線で分断された南北ベトナムの境界線に近い小さな町である。日本でいえば、さしずめ古都・京都といったところであろうか。

しかし数年前の北ベトナム軍の大反撃によって、その美しい町は完膚無きまでに破壊され、辛うじて死をまぬがれた人々も難民となって南へと逃げ延びた。

「あのとき、チン・コン・ソンさんはユエ大学の三年生でした。21歳の誕生日を迎えたばかりの彼は。数人の仲間とともに、最後まで王城の地下蔵(昔の石牢)に立て籠もり、『なぜ、僕たちの魂のふるさとまでが破壊されなければならないのか!』、『どうして、ベトナム人同士が殺し合わなければならないのか!』・・・・・と、血を吐くようにして叫び続けました。そしてわずか一晩のうちにに、58曲の反戦歌を作りました。『いつの日か、ここでまた、南と北に引き裂かれた同胞が、固く固く手を握りあうときが来るだろう。その日のために、僕たちは生き延びよう。その日あるを、僕たちは信じよう―』という58曲目の作品”同胞の歌”を、古ぼけたギターで力いっぱい弾きならしながら、チン・コン・ソンさんは涙ながらにユエに別れを告げ、サイゴンまで落ちのびてきました。


「同じころ、16歳の少女カーン・リーさんも、命からがらサイゴンにたどりつきました。父母も兄弟も失い、たった一人でショロンのスラム街にころげこんだ彼女は、すっかり生きる張りをなくしていました。そして、死のうかと思ったとき、風の便りにチン・コン・ソンさんのことを聞き、みも知らぬ彼のもとへたった1人で訪ねていきました。チン・コン・ソンさんは、身も心もボロボロになった同郷の乙女を見て、何も言わずにギターの弾き語りを聞かせてやりました。58曲目の最後の歌を聞いたときには、東の空が白々と空け始めていたということです『私も歌ってみたい―』、希望そのもののような朝陽の光を浴びながら、カーン・リーさんがそうつぶやいた瞬間、後に”ベトナムの太陽”とまで謳われるようになった一大国民歌手が誕生したのです。


1975年4月25日、サイゴンで角間さんはカーン・リーと初対面を果たす。ベトナム戦争はまだ続いており「歌舞音曲厳禁、違反者は即刻射殺・・・・」といわれているが、民衆達はテープ・ノイズだらけのカーン・リーの唄の複製に耳を傾けている。その間、彼女は旧南ベトナム政府の下級官僚と結婚し二人の子供を儲けていたが、ついにサイゴン陥落の日を迎えた。そしてある日、黒服に身を固めた共産軍の兵士が妻子の見ている目の前で夫を射殺してしまう。ベトナムに留まると確言していた彼女もチン・コン・ソンに勧められて生後五ヶ月になる乳のみ子をを胸に抱えて船で脱出しようとするが、その後の消息が不明になる。

1980年4月1日にNHKを退職した角間さんは、”ベトナムの太陽”の消息を探り当てることを最重要の課題とた。そして1981年5月3日、サンディエゴで再会を果たしたのである。

「海賊に襲われて虐殺された」とか、「南シナ海で沈没した」、「人肉まで奪い合う飢餓地獄の犠牲になった」・・・・・など、様々なうわさが飛び交う中を丹念に調べながら、パリからアルジェ、アルジェからマニラ・・・・・という具合に次第に糸をたぐり寄せ、アメリカはカリフォルニア州、サンディエゴの難民村でついに彼女に再会したのは、それからまる1年後のことであった。(中略)

このアルバムにおさめられている10曲のうち8曲は、彼女が新しい人生の第一歩を踏み出したアメリカという”新大陸”で新に録音したものである。そして、『美しい昔』と『ユエの子守歌』な、ベトナム戦争のさなかに開かれた大阪万博のコンサートに来日した際、日本で録音されたものである。

YouTubeにアップロードされているのは、おそらく戦後に日本を訪れたときのものであろう。加藤登紀子さんが司会しているようである。演奏の形式はこのLPと同じである。「美しい昔」の背景を知った上でベトナム戦争の悲惨な災害の中から生まれたこの唄に耳を傾けたとき、それぞれの人がどういう思いを抱くであろうか。それにしても美しい曲である。LPからアップロードしたかったけれど、直ぐにカットされそうなのでYouTubeの曲で我慢することにした。




追記(9月25日)

加藤登紀子さんのブログに、07.03.05 『美しい昔』から始まったベトナムとの縁というカン・リーさんとチン・コン・ソン・さんとの関わりを記した記事を見つけた。ぜひ一読をお勧めする。

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