日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」と思いたいが

2011-09-10 21:37:09 | Weblog
のろのろ台風12号がもたらした和歌山県と奈良県での未曾有の台風被害で、私が反射的に思い出したのが万葉集巻第一の二番目にある舒明天皇の歌である。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は (後略)

「ほんとうに結構な国だ」と天皇自らうっとりとなさっている。私もつい引き込まれる。その延長に小学唱歌「故郷」が、さらには仲間も多いと思うが源田俊一郎編曲「唱歌メドレーふるさとの四季」があり、この日本に生まれた幸せをしみじみと味わう。

しかしこの歌はわが国のある一面を歌ったに過ぎない。その証拠がこのたびの台風災害である。ただ舒明天皇はこの「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」が、時には自然災害で壊滅的打撃を受けることもあることをご存じの上で、この歌を詠まれたのだろうかと疑問が生じた。歌の深みがそれで大きく変わると思ったからである。自然災害は昔からあった筈である。しかし私には万葉集に自然災害を詠んだ歌があるような気がしないので、調べてみることにした。自然災害ではないがまず思い出したのが山上憶良の「貧窮物語」(巻第五 八九二)で、このように始まる。

風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我を除きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 有りのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子どもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る

風、雨、雪と自然現象は出てくるが、それは「風に交じって 雨が降る晩 雨に交じって 雪の降る晩 やる方もなく寒いので」と、貧乏人が寒さにいかに耐えるかの話に繋がって行くもので、家の中に雨が降り込んできたとか、ましてや風雨の猛威を取り上げたものではない。ではそのような歌が万葉集にあるのだろうかと、万葉集検索Ver 2.2.0で、雨、風の含まれる歌を検索してみた。

雨で引っかかってくるのは125首、でもそのどれも日常の中の雨で変異をもたらすものではない。また風では191首があり、その風の強くなった状況を歌っているのに次のようなものがある。でも白波止まりである。

風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ 03/0294

住吉の沖つ白波風吹けば来寄する浜を見れば清しも 07/1158

海の底沈く白玉風吹きて海は荒るとも取らずはやまじ 07/1317

ちなみに「日本国語大辞典」(小学館)に次のような項目(引用は抜粋)がある。

たいふう 【大風】はげしく吹く風。強い風。おおかぜ。*続日本紀━大宝元年八月甲寅「播磨、淡路、紀伊三国言 大風潮漲。田園損傷」

台風とか颱風という文字は使っていないが、言葉として「たいふう」はすでにあったのだろう。大宝元年は701年だから、万葉集が成立したと伝えられる延暦2年(783年)頃よりも古い。しかし万葉集検索にこの言葉は引っかかってこない。それよりも注目すべきなのは、続日本紀という公の記録には台風12号と同じような台風被害がはっきりと記載されていることである。自然災害は今も昔も同じ、ただそれが万葉集からは排除されていただけのことなのである。しかしよく考えてみると、排除されていたのではなく、その様な自然災害を詠んだ歌などが入り込む状況ではなかったというのが正しいのかも知れない。

今なら居間で居ながらにヘリコプターが伝えてくれる台風被害の状況を目にすることができる。しかし万葉の時代では細い山道一本が土砂崩れで塞がるだけで、もうその先には進めない。個人の見聞できる範囲はそこ止まりでで、これではよほどの何かがなければ感情の発露としての歌なんぞは生まれないだろう。この時代の人にとって自然災害は、あくまでも怖れそのものであったのである。これが私なりの推論である。

もし万葉の時代に土砂崩れで崩壊された家でもあれば、住民にできることはこのような恐ろしいところからとにかく逃げ出すことであろう。家を復旧してまで住もうという考えが出てくるなんておよそ想像しがたい。ここから私の想像が大きく広がるのであるが、そのキーポイントがのろのろ台風12号のもたらした災害で思うことの最後に次のように述べたことである。折りを見て舞い戻ってくることとする。

地震・台風・津波による自然災害の、日本は宝庫?とも言える。近年は原子力災害がそれに加わった。住みやすい日本にすると政治家は折に触れて口にするが、自然災害対策一つを取り上げても、ただ自然の猛威に振り回されているだけで、被害が生じたらそれを修復するを繰り返しているだけのように私の目には映る。破壊されればそのままにして人間が逃げ出せば良いだけのこと、そんな対応をまともに考えるような人がいないものだろうかとふと思った。


最新の画像もっと見る