日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

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鯨が可哀相

2007-11-21 13:25:19 | Weblog
戦後間もない頃である。わが家の近く和田岬に三菱工場群があった。工場の退け時になると従業員が群れをなして通勤道を埋め尽くす。その沿道は立ち食いの掘っ立て小屋や屋台が延々と並んでいた。蒸し芋、かんころぜんざい、巻きずしに加えておでんなどもあり、串刺し肉を勤め人が美味しそうに食べていた。この串刺し肉が鯨肉で、それが私と鯨肉との初めての出会いであった。

「買い食いは卑しいこと」と食糧難の時代にも母にいいきかされていたので、この『闇市』は探検して回るだけだった。父は鯨の「ころ」とかベーコンが好きであったが、私は鯨肉を食べたことは間違いないもののその記憶は残っていない。それよりも主食代わりに配給された米軍放出の缶詰コンビーフに、世の中にはこれほど美味しいものがあるのか、と感動した記憶が残っている。

大学の食堂で食べた「すげい」の話は以前に書いたと思う。豚肉の代わりに鯨肉を使ったから酢豚が酢鯨になったのである。牛肉、豚肉より鯨肉が安かったのだろうか。「すげい」の張り紙があるときはよく注文したものである。しかしこの「すげい」を境として私と鯨肉とのお付き合いはなくなってしまったように思う。もともと代用食のイメージだったから、牛・豚肉が出回るようになると鯨肉はわが家の食卓からはやばやと姿を消してしまった。だから半世紀も私は鯨肉を口にしていないことになる。現実的には無縁のものとなってしまったのである。ただひとつ、このようなことがあった。ミオグロビンを研究している仕事仲間がいて、ある時「もしマッコウクジラが捕鯨禁止になったら困るでしょう」といったら「いや、一生仕事が出来るだけの肉を極低温冷凍倉庫に預かって貰っている」という返事が戻ってきたのである。

一昨日だったかテレビが日本の捕鯨船団が南極海での調査捕鯨に出かけたことを報じていた。その捕獲対象はクロミンククジラ765‐935頭、ナガスクジラ50頭、ザトウクジラ50頭。新たに加わるザトウクジラも含め、大型クジラの捕獲数を前回の10頭から大幅に増やしたとのことである。そしてさっそく反捕鯨団体が非難の声明を出した。また米国務省報道官も《「我々は日本に対し、今年の捕鯨、特にザトウクジラとナガスクジラを対象とした捕獲を自粛するよう呼びかける」と語った。
 報道官は「捕鯨条約によって、日本には法的に調査捕鯨を実施する権利があることは認める」と断った上で、科学研究が目的ならば「殺傷しなくても必要なデータを取れる複数の研究方法がある」と指摘した。 》(asahi.com 2007年11月20日10時29分)とのことであった。

アメリカが日本の捕鯨に反対などすると、私は反射的に反感を抱いたものである。その昔、アメリカが自国近海のマッコウクジラを取り尽くしたものだから日本近海まで遠征し、その捕鯨船の中継基地が欲しいためにペリーの率いる黒船で日本に開国を迫った、と歴史を理解していたからである。自分の過去の所業を棚に上げて、日本の捕鯨伝統にイチャモンをつけるとは片腹痛い、というような反発である。しかしテレビニュースでホエール・ウォッチングの光景で、今回あらたに捕獲の対象となったザトウクジラが大海をわが庭として遊泳する悠々たる姿を見てジーンときたのである。

捕獲というのなら生きた鯨を捕まえて日本の鯨牧場に運んできて、そこで放牧するようなイメージが浮かぶが、現実は殺戮なのである。捕獲はあくまでも言葉のすり替えであって、だからこそ米国務省報道官が《科学研究が目的ならば「殺傷しなくても必要なデータを取れる複数の研究方法がある」と指摘した》といっているのであろう。そういえば調査捕鯨という言葉自体も誤魔化しで、実際は鯨を殺戮してその鯨肉(鯨油も?)を売り物=商品にしているのではなかろうか。

私にはこういう経験がある。仕事柄、屠場(賭場にあらず)に出入りしていたことがある。牛を屠殺し解体して取りだした心臓を研究室に持ち帰り実験材料にしていたのである。ある時、牛の屠殺の現場を見てしまった。牛が屠殺人の前に引き据えられる。屠殺人がやにわに鶴嘴大の玄翁を牛の眉間に叩きつける。この玄翁の鉄槌面には尖った突起があってそれで眉間を一撃するのである。牛は声も立てずにドタッと床に倒れた。このシーンは私には衝撃的だった。殺される直前の牛の眼が脳裏に焼き付いて、それから一年以上も肉を食べることが出来なくなってしまったのである。

あの雄大なザトウクジラも捕獲の名の下に捕鯨砲で殺戮されるのであろうか。可哀相としかいいようがない。幸いといおうか、私はもう半世紀も鯨肉のお世話にならずに済んでいる。ことさら食べたいという食物でもない。これは私に留まらず多くの日本人にとってもそうではなかろうか。長い間、なしで済ませてこられたのであるから、これを食生活の変遷と素直に受け入れたらどうなのだろう。調査捕鯨に名を借りての殺戮にグリーン。ピースではないが私は抵抗を感じ始めた。商業捕鯨を再開するよりも、売れ残り食べ残しの食品を大幅に減らすことの方にまず力をいれたらどうなのだろう。
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