いくらおにぎりブログ

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【映画】智恵子抄

2009-04-10 | 邦画 た行
【「智恵子抄」中村登 1967】を観ました


おはなし
東京に空が無いといった智恵子は精神病を発症し……

昔、国語の教科書で習った智恵子抄。もちろん、言わずと知れた高村光太郎の詩集のタイトルです。狂気の世界に行ってしまった妻のことを書いた詩は、なんていうか中学生にとっては、正直、腹の底から理解しようがないというか、難しい部分がありました。でも、この年になると、かなりの実感を持って迫ってくる感じがします。しかし、今でも学校で智恵子抄を読んだりするんでしょうか。

智恵子は / 東京に空が無いという / ほんとの空が見たいという / 智恵子は / 遠くを見ながら言う /
阿多多羅山の山の上に / 毎日出ている青い空が / 智恵子の / ほんとの空だという
というテロップがどーん。えーと、「智恵子抄」にある「あどけない話」という詩の一節です。ちなみに、以後も詩の一節がテロップで出ますけど、基本的に省略版というか、抜けているフレーズがあったりするので、ご注意を。

明治44年。ここ下町の西洋料理店では「パンの会」という集まりが行われているようです。この「パンの会」というのは、別にパンを食べる会ではなくて、若手芸術家たちの集まり。そう、パンはブレッドではなくて、牧神のパンです。そこで、ひときわ異彩を放っているのは、彫刻家の高村光太郎(丹波哲郎)。芸術に関してはいっさい妥協を許さない強い性格の光太郎は、鋭い舌鋒で、相手をやりこめるのを日常としているようです。
さて、その西洋料理店に、光太郎の先輩、椿(岡田英次)が訪ねてきました。「明日分かってるね」と言い出す椿に、「明日?何でしたっけ」と答える光太郎。どうやら、明日のお見合いを光太郎はど忘れしていたようです。
そして、翌日。椿の奥さん(南田洋子)に連れられ、お見合い相手の長沼智恵子(岩下志麻)がやってきました。目白の女子大を出て、雑誌「青靴」(平塚らいてうの作った雑誌)の表紙絵を描いているというから、どんな「新しい女」かとビビっていた光太郎ですが、意外や意外、智恵子は男の人相手にろくに口も聞けない恥ずかしがりやさんです。そんな智恵子を見て、一目で好きになった光太郎は、頼まれもしないのに芸術論をぶったり、家事自慢を始めたりと、ちょっと暴走気味。かたや暴走、かたや無言に困った椿の奥さんが「智恵子さん、あなたも少し、お話しにならない」と水を向けると、智恵子は「わたくし、今にお話しするようになるわ。必ず」と光太郎に熱視線を向けるのでした。えーと、とりあえず、好きにしてください。

なんとなく付き合い始めた二人。しかし、光太郎といえば、智恵子を絵の弟子とでも思っているような雰囲気。智恵子の絵をセザンヌの亜流だと批判してみたり、展覧会に連れまわしたりと、まあそんな感じです。と、そんなある日、二人が絵を見ていると、横で見ていた男(寺田農)がいきなり発狂しました。ギャーっと叫びながら、絵を切り裂き、3階の窓からダイブしてしまう男。これには智恵子もたまらず失神です。しかし、意識が戻った智恵子は言うのです。「怖かったけど、わたくしも美しさに対して、あれくらい激しくなりたい」。まあ、こんなところからも、いずれくる破局の影がチラチラと見えるかのようです。
ともあれ、いつまで経っても煮え切らない光太郎に智恵子は若干キレ気味。「もう一年近くなりますわね。初めて、アトリエにお伺いしてから。あたくしのこと、どう思ってらっしゃるんでしょう。あなたはいつも、なんにも仰ってくださらない」と恨み言の一つも言いたくなります。しかし、光太郎は扇子をパタパタするのみ。思わず泣いてしまう智恵子。光太郎は、もっと凄いイキオイで扇子をパタパタしつつ言います。「分かってます。分かってるんです」。光太郎はパタパタ。智恵子はシクシクです。

「なぜ、別居したいんだ。理由を言え。黙ってちゃ、分からん」と激怒しているのは、光太郎のお父さん。というか、あの高村光雲(佐々木孝丸)です。西郷さんの銅像を作った人ですね。このお父さんにまったく頭の上がらない光太郎は、怒られるとビクビクして何も言えない様子。結局、智恵子のことは言い出せないままです。しかたがないので、暗に智恵子に覚悟を促す詩を雑誌に載せたりして。なんていうか、優雅というか悠長というか。

そんな詩を見て、「優しい愛を込めた忠告ね。高村さん、とても悩んでいらっしゃるみたい」とタメイキをつく椿の奥さん。智恵子は「わたくし、覚悟はできています」と力瘤いっぱいです。とりあえず、奥さんが、芸術家の妻ってタイヘンよー、と忠告をしてみるものの、決心は揺るがないようです。

早速、光太郎が画題を探しに訪れていた犬吠崎に、自分も押しかける智恵子。「あたくし、あたくし、来たんですー」と猛ダッシュです。「よく来てくれました。本当によく来てくれました」と喜ぶ光太郎。怒られるかも、と思っていた智恵子はひと安心です。なにしろ「もし怒られたら、海の中に潜って、もう二度と浮かび上がってこないつもりでいたんです」だそうですから。まあ、お志麻さんなら、やりかねないと思わせる迫力があります。

ガンガン、ガンガン。そこに空き缶を叩きまくっている男が登場。この男は犬吠の太郎(石立鉄男)といって、ちょっと頭がおかしい人です。光太郎によると、以前、犬吠にやってきた曲馬団の娘・お染さんが、とても親切にしてくれて、以来、太郎はすっかり娘のことが好きになってしまったそうです。しかし、曲馬団は夜逃げ同然に犬吠を去り、娘のことが忘れられない太郎は、こうして、空き缶を叩きながら、娘が戻ってくるのを待っているのです。その話を聞いて、「いつか、いつかきっと、あの音を聞きつけて帰ってくるわ、お染さん」とつぶやく智恵子でした。

さて、相変わらずハッキリしない光太郎に苛立つ智恵子。太郎の話を持ち出して、光太郎の真意を探ろうとします。「お染さん、きっと帰ってくる。どんなに離れていても、あの激しい心がお染さんに届かないはずはないんですもの」、ジィーッ。智恵子の熱視線に耐え切れず、団扇をパタパタする光太郎。ゴクッ。「ち、ちえこさん」。あのう、お風呂ができましたけどー。タイミング悪く、女中の声がかかって、慌てて智恵子から離れる光太郎でした。

悶々とした気分で、風呂に入っている光太郎。と、男湯と女湯の境から、かけ湯を汲もうと女の手が伸びてきたのが見えましたよ。「智恵子さん、智恵子さんですか」、……コンコン。湯桶を叩く音が返ってきました。「智恵子さんですね」、コンコン、コンコン。思わず、自分もコンコンしてみる光太郎。すると向こうからもコンコン。あとはもう、コンコンするだけです。コンコン、コンコン。コンコン、コンコン。えーと、なにやってるんだ、この人たち。
いきなり夜明けの海岸をキャハハと走っている二人。そこにテロップが重なります。

私にはあなたがある / あなたがある / そしてあなたの内には / 大きな愛の世界があります
私は人から離れて / 孤独になりながら / あなたを通じて / 再び人類の生きた気息に接します
あなたは私のために生まれたのだ / 私にはあなたがある / あなたがある あなたがある

大正4年。二人は結婚したようです。とは言え、家計は火の車。なにしろ、芸術家な二人ですから、稼ぐより創作なのです。たまに、お父さんの光雲が木彫りを「恵むんじゃない」と言い訳しつつ買ってくれた時などは、大いに食べ、おおいにアンなことをしてますが、基本は貧乏そのものです。そんなある日、光太郎は智恵子の描いた絵をみました。「これならいい。これだよ」と絶賛する光太郎。たまたま来ていた椿の奥さんも「日本の女セザンヌ」だとか「光太郎さんが認めてくれたんですもの。絶対に大丈夫」とおだてまくりです。ということで、絵を文展(今の日展)に出品することに。ドキドキ。ドキドキ。はい、電報が来ましたよ。「残念ながら選に漏れました」。ガーン。ショックを受ける智恵子。思わず泣いてしまいます。思わず、翌日、家出してしまう智恵子。光太郎があせって探し回ると、いました。雑木林に立った智恵子がいました。「あたし、あきらめたわ。東京で本当の空を探すの」と智恵子はつぶやきます。
さっそく、田舎に向かう二人。大好きなお父さん(加藤嘉)に会ったり、これまた大好きな阿多多羅山(安達太良山)を見たりして、智恵子はすっかり元気になりました。もう絵はやめた。これからはいい奥さんになるわ。そう決心した智恵子でしたが、しかし、運命の皮肉な歯車は、悪いほう、悪いほうに回っていくのです。というのも、大好きなお父さんが二本松の大火で、焼死してしまったというのです。

昭和7年。智恵子の姪のふみ子(島かおり)が高村家に同居するようになりました。最近、とみに元気のない智恵子のためには、きっといいことです。しかし、安心して創作旅行に出かけていた光太郎のもとにふみ子から連絡が。なんと、智恵子が自殺を図ったというじゃありませんか。慌てて、旅先から戻る光太郎。幸い、智恵子の命に別状はなかったようで一安心です。「おばさま、昨日久しぶりに絵を描くんだと仰って、銀座に行って果物買ってこられましたわ」「絵を描く?」。しかし、光太郎が見ると、キャンバスは真っ白。なにか不吉な予感が漂います。さらに、ふみ子が言うには、智恵子の実家で、200年の伝統を誇った長沼酒造はつぶれてしまったそうです。「おばさま、何にも言えずに一人で苦しんでらっしゃったのね。おじさまにも言えずに。今考えると、そのことがおばさまの心を……」。
それから、智恵子の異常な行動が始まりました。他人の赤ん坊を奪ってダッシュしてみたり、ふみ子を赤ちゃんと錯覚して、おっぱいを飲ませようとしたり、それに描く絵もなんだか、抽象的というかサイケ方向にイッちゃってます。ビックリした光太郎が「これは。これは何。智恵さん」と聞くと、「見えるんです。この目に見えるんです。目をつぶっても見えてしまうんです。見ないで、あたしの絵を見ないでえーー」と絶叫する始末。

こうなったら、あの阿多多羅山を見せるしかない。智恵さんが元気になるには、それしかない。そう思いつめる光太郎。ねえ、阿多多羅山にまた行こう、智恵さん。しかし、光太郎をじっと見つめていた智恵子はいきなりゲラゲラ笑い出しました。「あなたの顔、馬に似てる。優しい、優しい馬に似てる。ね、馬になって。馬になって私を乗せて」。唖然とする光太郎を押し倒して馬乗りになる智恵子。「走って、走ってぇ」。思わず半泣きになる光太郎。しかし、智恵子は叫ぶのです。「走れコウタロー!」。光太郎は耐え切れずに、突っ伏して泣きじゃくるのでした。えーと、ここは感動的なシーンです。本当に感動的。しかし、「走れコータロー!」で思わず、ププッと吹いたのも事実。とんでもないことをしてくれましたね、山本コウタロウめ。

阿多多羅山を見にに行った二人。ううっと智恵子が泣き出しました。「どうしたの智恵さん。どうしたの」とオロオロする光太郎。「あたし、もうじき駄目になる。駄目になる」と智恵子はダッシュです。「怖い。自分が怖い。分かるの。駄目になるって分かるの」。

わたしもうじき駄目になる / 涙にぬれた手に / 山風が冷たく触れる /
わたくしは黙って妻の姿に見入る / 意識の境から最後にふり返って / わたくしに縋る /
この妻をとりもどすすべが / 今は世に無い

智恵子を病院の医師(内藤武敏)に見せても、治療方法がないと言われてしまいました。「すると、さらに悪化を待つより仕方ないってワケですか」「ハッキリ言ってそのとおりです。今の日本では」。ガーンとショックを受ける光太郎。しかし、これでは共倒れです。それに智恵子にとって、東京の生活がいいとは思えません。そこで、光太郎は九十九里に移り住んだ智恵子の母親(宝生あやこ)に、智恵子を引き取ってもらうことにしました。「智恵子、悪いことしたのね。なんかとても悪いことしたのね。だから海に行くのね。智恵子、どんな悪いことしたの。智恵子、どんな悪いことしたから海に行くの。……。でも行く。あたし海に行く。あなたの言うとおりにする」と無心な笑顔を向ける智恵子。お母さんは思わず、顔を覆って号泣です。

九十九里に移った智恵子の病状は、月が夜空を渡るように、徐々に、しかし確実に進んでいるようです。もはや自分の母親の顔さえ見分けがつかない智恵子は、光太郎が訪ねてくる時だけはご機嫌。あとはどうなっているのかは、ボロボロの障子が物語っています。光太郎は思わずつぶやきます。

智恵子は見えないものを見 / 聞こえないものを聞く /
智恵子は現身のわたしを見ず / わたしのうしろのわたしに焦がれる /
わたしを呼ぶ声をしきりに聞くが / 智恵子はもう / 人間界の切符を持たない

光太郎が九十九里を訪れたその夜、父危篤の連絡が入りました。智恵子を寝かしつけて、そっと東京にもどる光太郎。翌朝、目覚めた智恵子は光太郎がいないのに気づいてパニックです。「光太郎、光太郎」と空き缶を叩きながら、走り回るのでした。まるで、犬吠の太郎のように。そうすれば、光太郎が戻ってくると信じているかのように。

昭和13年。精神分裂症(今の統合失調症)という診断を受けた智恵子は、ゼームス坂病院に入院しました。ふみ子に付き添ってもらい、静かな日々を送る智恵子。楽しみといえば、紙絵を作ることと、光太郎の面会です。そんなある日、今までふみ子にさえ見せなかった紙絵を見せてもらった光太郎はビックリ。「ほう、こりゃ素晴らしい。凄いよ、智恵さん。素晴らしい造形だ。素晴らしい色彩感覚だ。これこそ智恵さんの詩だよ。芸術だよ」。うれしそうにお辞儀をする智恵子。「何にも分からなくなってしまったおばさまだけど、この切り絵だけで、おじさまに心を通わせているのね」とふみ子が感動している横で、智恵子は何度も何度もお辞儀を繰り返しています。
その夜、智恵子は光太郎に言い出しました。「あたし、もうじき汚くなってしまう。あたしを描いて。描いてください。あたしにもきれいな時があったって、あなたに思い出してもらうために。描いて、描いてください」。「描くよ、智恵さん。いくらでも描くよ。でもねえ。今は無理だ。智恵さん、きっとそのうち良くなる。ね、そしたら描こう」。しかし、そんな社交辞令は智恵子には通用しません。「智恵子、ウソ嫌い」と見抜かれています。

ある日のこと。夜中にドンドンとアトリエの戸が叩かれました。光太郎が驚いて飛び起きると、やってきたのは智恵子です。どうやら、病院を脱走してしまったようです。「あたしを描いて。描いてください。きれいに、きれいに」「駄目だ、智恵さん。そんなにフラフラしてるじゃないか」「描いてーっ」。結局、光太郎が折れました。「描くよ、智恵さん。今のきれいな智恵さん、思いっきりきれいに描くよ」。うれしそうに微笑み、モデル用の椅子に座る智恵子。しかし、光太郎が絵筆を取って描き始めると、智恵子の目が大きく開き始めました。そして、絶叫。辺りのものを手当たりしだいに壊し、獣のような唸り声をあげます。そこに、病院から迎えがやってきました。「イヤだー。病院に行くのイヤだー」と光太郎の背中に隠れる智恵子。光太郎は、まるで親鳥が雛を守るかのように、ゆっくり、ゆっくり両手をあげて、通せんぼをするのです。

とうとう、その日が来ました。智恵子、危篤の連絡。慌てて、枕頭に駆けつけた光太郎に、ゆっくり手を差し伸べる智恵子。「うん、持ってきたよ。レモン」。ニコっと笑った智恵子は、何かを言ったようです。「なあに、なんてったの、智恵さん」「智恵子、泣かない。泣かない、智恵子」、ポトッ。レモンが智恵子の手から滑り落ちました。

そして、お葬式。

あんなに帰りたがっていた / 自分の内へ / 智恵子は死んでかえって来た
人は屏風をさかさにする / 人は燭をともし香をたく / 人は智恵子に化粧する / そうして事がひとりでに運ぶ
夜が明けたり / 日がくれたりして / そこら中がにぎやかになり / 家の中は花にうずまり
何処かの葬式のようになり / いつのまにか / 智恵子が居なくなる

一人、アトリエで、呆然としている光太郎の耳に、智恵子の声が聞こえてきました。「あなた、あなた」。とてもきれいな智恵子が、モデルの椅子に座って微笑んでいます。取り付かれたように絵筆を走らせる光太郎。「今日の智恵子、きれい?」「ああ、きれいだ」「いつもより」「ああ、いつもより」。ふと、気づくと、もちろん椅子には誰も座っていません。「智恵子と光太郎。もう泣かない、もう泣かない」、そんな智恵子の声が聞こえたような気がして、「智恵子ーっ」と叫びながらアトリエ中を探し回る光太郎。

光太郎智恵子は / たぐいなき / 夢をきずきて / 昔 / ここに住みにき

誰もいないアトリエが暗転し、真っ暗な中に、智恵子の紙絵が舞います。ひらひら、ひらひら。いくつもの、いくつもの紙絵がひらひらと舞います。

雪に閉ざされた岩手の山小屋。ここで年老いた光太郎は、黙々と胸像を作っています。もちろん、それは若かりし日の智恵子。胸像の智恵子は静かに微笑んでいるようです。


なんていうか、身につまされるお話です。愛する人が、体はそのままなのに、心が壊れていく。それを横で、ただじっと見つめていなければならないっていうのは、どんなに苦しいことでしょうか。その苦しさは、ちょっと想像できないし、そもそも目をそらして、見えないフリをしたいとさえ思ってしまいます。

ちょっと気弱で、でも優しい光太郎を、丹波哲郎がとても見事に演じていました。日頃の丹波哲郎のキャラクターからは正反対の役どころですが、しみじみとした優しさの伝わる名演技だったと思います。
智恵子役の岩下志麻。これもまた見事です。入神の演技というか、なにかが憑依しているような迫力の演技でした。特に、病院を脱走して、アトリエに来たシーンは、ものすごいのひと言。別にアニメやCGを使っているわけでもないのに、目を見開いていくところでは、本当にどんどん、どんどん、大きくなっていくように見えますし、その後の高周波音としか表現しようのない絶叫や、野生動物のような唸り声など、絶句する凄さです。もちろん、そういった分かりやすい部分だけがうまいのではなく、そこに至るまでのしっとりした演技がベースにあるからこそ、その落差が際立ってみえるのでしょう。
監督は中村登。木下恵介のような天才肌ではありませんが、とても端整な映画作りは好感が持てます。松竹らしく派手さのないかわりに、しっかりと丹精した「本物」の持つ質感を感じました。

丁寧に作られた、とてもいい映画です。





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