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【映画】第五福竜丸

2007-05-15 | 邦画 た行

【「第五福竜丸」新藤兼人 1959】を観ました



おはなし
1954年3月1日、ビキニ環礁で水爆実験が行われました。その際、近くを航行していたマグロ漁船、第五福竜丸の乗員23名が被曝。日本をそして世界を揺るがす大事件になったのです。

もとより、悲劇的な事件であることは言うまでもありませんが、その悲劇性が当時と今日では根本的に違うため、「記録」としてはともかく「映画」としての評価は、なかなか難しいものがあります。

1954年1月22日。焼津港を一隻のマグロ漁船が出港しました。船の名は第五福竜丸。マグロ漁は長い航海です。乗組員たちは甲板に出て、名残惜しげに手を振り、家族たちは船と岸壁をつなぐ細い紙テープをいつまでも離す事ができません。

漁撈長の見島は、今度の航海の目的地を東に取ることにしました。東の海には高値で売れるメバチマグロがいます。しかし、ミッドウェイ付近まで進出したものの、網にかかるのはサメばかり。木槌で頭をぶん殴り、ナイフで喉を裂き、ひたすらサメを殺す作業が続きます。その上、大事な延縄が切れ半分を失ってしまうに及んで、とうとう漁撈長は船を南の海に向ける決意をしました。

南太平洋のビキニ環礁近くで漁をする第五福竜丸。たとえ安いキハダマグロでも、大漁は大漁です。乗組員たちの顔が喜びに輝きます。
そして迎えた3月1日。「これでようやっと仕込み代は出たな」と漁撈長は、ひと安心の面持ちで、六分儀を覗いています。と、その時、空が光りました。「あ、西から太陽があがった」「ピカじゃねえか」「なんだろう」乗組員は口々に言いますが、特に変わったこともなさそうです。「飯食うか」。と、その時、轟音が襲ってきました。太陽に見えた光も、今は禍々しいきのこ雲に変わっています。慌てて進路変更をする第五福竜丸。光から音までは、だいたい7分から8分かかったから、距離は75海里(約140キロ)くらいでしょうか。
無線長の久保山愛吉(宇野重吉)は、「無電は打たないよ。キャッチされると困るからな」と言います。スパイに間違われると面倒なことになりそうだからです。やがて、降ってくる白い灰。次から次へと降ってきた灰は、やがて甲板に足跡がつくほど、降り積もってしまいました。

それから約2週間後の、3月14日。第五福竜丸は焼津港に帰って来ました。乗組員たちの顔は一様に真っ黒。驚いた船主はどうした、とビックリ顔です。ピカを見た、という返答に、どうして連絡をしなかったんだ、と重ねて問いかける船主。無線長の久保山はアメリカの軍艦に見つかるとスパイに思われるかもしれなかった、と答えます。「アメリカの秘密、見たんだからな。スパイにされちゃ元も子もねえぞ」と船主は納得しました。なにしろ講和条約が、発効したのはわずか2年前。人々の心に刻まれた、占領の記憶はいまだに薄らいでいないのです。

船主の勧めもあって、乗組員23名はぞろぞろと地元の病院に向かいました。しかし、医師だって放射線のことは専門外です。とりあえず症状の重そうな二人を代表に、東京の病院に行かせることにしました。何かの参考になればと「死の灰」もビニール袋につめて持っていこう。

第五福竜丸が、ビキニ環礁で被曝したらしいという噂を地元の記者がかぎつけました。早速、一面トップの大見出しが踊ります。続々と焼津に詰め掛けるマスコミ。市助役も「どうします」「どうします」と聞かれて困惑します。どうしようがある?

東大から来た調査団がガイガーカウンターで調べると、針が激しく振れました。「こりゃひどい。タイヘンな放射能だ」。ゾロゾロと附いてきていた記者たちも慌てて逃げ出します。医師の勧めで髪を切ることにした乗組員たち。しかし、床屋はノイローゼになって散発を拒否。すっかり、汚いもの扱いをされてしまう乗組員たちです。

アメリカから調査団がやってきました。しかし、彼らの目的はあくまで調査。治療ではありません。日本の学者たちは、死の灰の成分を教えて欲しい、と声明を発表しますが、結局は軍事機密の壁に阻まれてしまうのでした。

焼津の病院に隔離されていた乗組員たちは、さらなる治療のため、東大附属病院と厚生省第一病院に、分散収容されることになりました。しかし学者たちは苦衷の表情を浮かべて言います。「正直なところ、研究しながら治療するんだ」

東京への移送に、米軍の輸送機が協力してくれることになりました。しかし、乗組員たちは反対します。このまま、どこかに拉致されてしまうんじゃないか、と不安なのです。今だったら、一笑に付してしまうことでも、当時としては大真面目です。ついこの間まで、占領軍として振舞っていたアメリカを、どこまで信用できるというのでしょう。

そんな中、一つだけ心強いこともありました。「国家が責任を持たなければ焼津が、静岡県が責任を持ちます」と知事が明言したのです。もちろん、働き手が入院してしまった家庭は悲惨です。しかし、最低限の保証は、これで確保されました。

退屈な入院生活。しかし乗組員たちの真っ黒だった顔は普通にもどり、黄疸も治まりました。とりあえず危機は脱したようです。息をつめるようにしていた焼津の町も平静を取り戻し、全てが良い方向に向かっているように思えます。ただ、無線長の久保山さんを除いて。

久保山さんの様態が急変しました。テレビでは久保山さんの昏睡を伝えます。そして、いったん回復したかに思えたあとの死。町に臨時ニュースが流れます。看護婦、医師、そして仲間たちの涙に見守られ、久保山さんのお骨は、焼津に帰ることになりました。そしてお葬式。走り回るカメラマンに国務大臣の挨拶。さらに米大使代理の挨拶。仲間たちは東京の病室で黙祷します。そして式場ではハトが飛び……。

まず、この映画のキャストは豪華そのもの。もちろん映画会社の金をかけた超大作とは方向性が違いますが、新劇俳優たちがたくさん出てきます。民芸の宇野重吉、清水将夫に内藤武敏。俳優座からは、重鎮の千田是也、小沢栄太郎、さらに三島雅夫、稲葉義男、浜田寅彦、永井智雄、中谷一郎、田中邦衛、井川比佐志などと枚挙に暇がありません。おそらく金の無い近代映画協会ですから、みんな手弁当に近い状態だったんでしょう。当然、新藤映画にかかせない乙羽信子と殿山泰司もちゃんと出ています。

しかし、これだけの豪華キャストでありながら、不思議と一人ひとりの顔が印象に残りません。強いて言えば宇野重吉の穏やかな笑みが心に残るくらいでしょうか。もちろん、これは悪いことではありません。俳優たちが個性を抑えて役になりきったために、徹底的なドキュメンタリータッチが生まれたのですから。

これは「被爆」の映画ではありません。「被曝」の映画です。ここに微妙な部分があります。ヒロシマ、ナガサキのように米軍が投下した原爆によって被爆したのではなく、ビキニ環礁で行った水爆実験によって流れてきた放射能を浴びた(被曝した)のです。

これは、同じようですが明確に違います。例えてみれば、殺そうという意思を持って車で撥ね殺すのと、暴走運転であやまって撥ね殺してしまったくらいの違いです。
つまり、前者であれば明確に犯人あつかいできますが、後者だと恨む対象としては弱くなってしまいます。

ここが、この映画の「物語」として弱い部分ではないでしょうか。誤解を恐れずに書くと、第五福竜丸事件は、あくまで事故です。米軍は、水爆の威力を少なめに見積もってしまい、危険範囲を少なめに設定してしまいました。これは「実験」である以上、当然起こりうることです。だとすれば、例えば「第五福竜丸事件」と「えひめ丸事件」(2001年に起きた、米潜と実習船が衝突して9人が死んだ事件)のどちらが、より悲惨な事故だというのでしょう。えひめ丸事件の結果、日本全体がアメリカ憎しになったでしょうか。そうではありませんでしたよね。

結局、この第五福竜丸事件は、当時の世相を抜きにしては語れない事件なのです。
あの戦争に負けた日本。
原爆を落として、虫けらのように日本人を殺したアメリカ。
何も無くなった日本に物資を援助し、意外と気さくだったアメリカ人。
占領軍として、たった2年前まで駐留していたアメリカ。
いろんな感情が、この当時の日本人には渦巻いていたでしょう。その感情は、愛憎が入り混じった複雑なものだったに違いありません。
そういった、複雑な感情が、講和後2年経って起きたこの事件によって一気に爆発しました。ここから書くことは左派の人たちにとっては、許せないことかもしれませんが、あえて書きます。「最後の」戦争に敗北したため、永遠に「加害者」であることを確定させられてしまった日本人。しかし、その日本人が、戦後はじめて「被害者」の立場を手に入れることができたのが、この事件だったのではないでしょうか。そこに生まれたのは、原水爆反対という錦の御旗を通じて手に入れた、ささやかなナショナリズムの昇華だった、そんな気がします。

映画の後半。久保山さんの様態の急変によって流される臨時ニュース。まるで、日本人全員が久保山さんの家族であるかのような沈うつな雰囲気に包まれます。そして臨終。お骨になって焼津に帰る列車のシーンが見事です。お骨を抱いた奥さんと、遺影を抱いた小さなお子さん。列車の乗客は、本当にさりげなく、そこに近づいては黙礼をします。ひとり、またひとり近づいて、黙礼が続きます。途中停車の小田原駅では、ホームに並んだ女子高生たち。その代表が、車中に入り、久保山さんのお骨に花を捧げます。静岡駅では、知事が乗り込み黙祷を捧げ、目的地の焼津では、大群衆がただひたすら沈黙するばかり。
ぼくは、この一連のシーンを見て、なにか得体の知れない感動に襲われてしまいました。自分が日本人だと実感したというか、当時の人の気分になって、一緒に久保山さんの死を悼みつつ、それと同時に何か甘酸っぱい一体感を感じたような不思議な気分でした。その不思議な高揚感というか、いても立ってもいられないような気持ち。これは、いったい何だったんでしょう。





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