舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

秘すれば花なり

2007-08-02 01:58:03 | ダンス話&スタジオM
今年のメリーモナーク・フェスティバルでミス・アロハフラに選ばれたケオニレイ・フェアバンクスさんは、去年のバーニスさん同様非常に優秀なダンサーです。
今年は、優雅に踊るフランス人形のような(これが普通のミスコンだったら優勝間違いなしの)美女ダンサーもエントリーしていたのですが、実際にミスに選ばれたのは彼女ではなくケオニレイさんで、私はこの結果に心から満足しました。
それほど彼女の踊りは秀でていたのです。

実際に会場で観たとき、遠く離れた席だったにも関わらず、まず彼女のカヒコにほかの出場者にはない説得力を感じました。
後で聞いたらそれも当然の理で、彼女はなんと生まれたときからハワイ語を母語に持ち、英語はもう少し大きくなってから修得したのだそうです。
つまり、オリ(踊りをともなわない詠唱)も与えられた台詞を暗記しただけではなく、自分で意味を完全に理解して語っていたわけですね。そう、確かに彼女のオリには、「語りかけている」という印象がありました。

そして踊りもハワイ語同様、小さい頃からの積み重ねで身体が身に付けている踊りでした。振りは彼女の中で自然に消化され、彼女のものとなって表現されるのです。
ケオニレイさんはミス出場者の中でも稀な20年以上のフラのキャリアを持つダンサーです(といっても、実際にミスになるのはたいていそういう人です)。
その長い時間をかけて彼女の踊りから無駄なものが削ぎ落とされ、洗練されていったのでしょう。
パッと見が派手ではないけれど、本当に美しく、鑑賞にたえ得るフラとはかくあるべきと思います。
そういう真の美しさは本物の審美眼を持つ人ならきっと気付くはずだし、そうでない人さえ、その踊りに宿る説得力を感じ取ることはできるでしょう。

ケオニレイさんの踊りを見て私が思い出すのは、世阿弥の「秘すれば花なり」という言葉です。
私の解釈が正しければ、これは「美や趣の真髄は秘されたところにこそ在る」というほどの意味だと思いますが、そうだとすれば能とフラには思ったより共通点があるのかもしれません。
といってももちろん踊りの特徴のことではないですよ。その踊りに対する考え方の点がです。

フラは彫刻に似ていると私は思います。
絵のように絵具を塗り重ねることによってできるものではなく、不要なものを削り取るほど完成に近付くたぐいの踊りなのです。
つい技術、つまりいかに腰を大きく振るかとか、いかに指をくねらせるかなどに意識がいってしまうと、それらは不自然に後付けされたものになってしまいがちです。
しかし、実際の美しい腰や手の動きは、無駄な力を抜いてよけいな動きを抑えることによって生まれます。というより奥底から顕れてきます。
それはごてごてと装飾するより難しいことですが、もし色眼鏡を外してきちんと学んだならきっと身につくものですし、その方が遥かに人を感動させられる踊りになるはずです。

私たちはケオニレイさんのようにハワイ語を母語として育つことは出来なかったけれど、だからといって見かけ倒しの技術しか持たない薄っぺらい踊り手にしかなれないわけではありません。
まず意味についてはできるかぎり理解を深めるようにし、そして踊りについては本物の美しい踊りをなるべくたくさん見ることが大切です。

ちなみに世間一般がフラダンスとフラメンコの区別もつかなかった十数年前、私はメリモの上位入賞者と母マミちゃんの踊りしか知りませんでした。だから自分はとんでもなく踊りの才能がないと思って生きてきました。
でも今になってみると、見る目を養うという点に関していえば、そういう環境で育ってきたのも悪くなかったと思えます。たしょう劣等感には苛まれますが(笑)。

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