リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

めんどうだから、アレクサ、ちょっと考えてみて

2020年01月15日 | 日々の風の吹くまま
1月14日(火曜日)。☁☁❅。雪は夜の間にまたちょっと積もってひと休みというところ。朝8時半のバルコニーの気温はマイナス7度だったから、下ではマイナス10度くらいに下がったのかな。でも、けさあたりが寒波のピークらしい。先週は一時マイナス16度なんて予報を出していたけど、鳴り物入りで喧伝された「北極並みの冷え込み」は1950年代末の記録的な寒波に匹敵するまでには至らなかったということか。金曜日の朝には最低気温がプラスに転じて、週末はまた大雨の予報と、何とも忙しい話。ワタシとしては早くレクルームで避寒しているゼラニウムを外のミニ温室に戻して、ほぼオフの状態にあるサーモスタットの日中温度を上げて、ミニチュア工房を再開したいところ。

やっとこさドイツから出たキャンピングカーは、けさ早朝にアメリカのメンフィスに到着して、やっと大団円への第一歩。元々アメリカ側のミスが発端だったんだから、この先どうなるかまだわからないけど、今度はボケッとしてないで、やるべき仕事をちゃんとやって欲しいもんだ。まあ、人手を省略する(コストを削減する)ための技術がどんどん開発されて、これまでは自分で考えて仕事をして来た人間が社会、経済、政治、労働の環境すべてでマニュアルの通りにやればいいという、いわばシステム依存症になってしまったようにも見える。もっとも、そうなってくれれば、開発したアプリをどんどん売ってウハウハのにわか長者になる筋には願ったり叶ったりだろうけど。

新しい技術や機械がこれでもか、これでもかとばかりに「何でもやってくれる」便利さを前面に押し出して宣伝されて、その波に乗った巷の人間にも「自分で考えなくてもいい便利さ」があたりまえになって、デジタル時代がいかにもユートピアの到来のように持てはやされるようになった観がある。でも、デジタルの世界には本質的に「1」と「0」しか存在しない。アナログならその「1」と「0」の間、そして「1」の外、「0」の外に無限の世界があって、周囲の状況を分析して思考を展開するわけだけど、それは1か0でスパッと割り切るようなデジタル思考に慣れ切った頭には混沌としてつかみどころがない不安な世界に見えるのかもしれない。人類は考えることで発達した分析能力や想像力を駆使していろんな発明や発見をして来たのに、その進化の行き着くところがめんどうなことはシステムやAIに任せれば自分はもう考えなくてもいいということだとしたら、何とも皮肉な話。

人間の世界はパラドックスが満載で、詰まるところはにっちもさっちも行かない膠着状態ってことなのかもしれない。だからこそ、自分の頭で考えて、知恵を絞って日々の物事に対応して行かないと自分という人間が危うくなると思うんだけど、ねえ、アレクサ、ちょっと考えてみてくれない?


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