リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

贅沢の定義は人それぞれの価値観

2018年11月09日 | 日々の風の吹くまま
11月8日(木曜日)。曇りがち。朝はどよぉ~んとした曇り空で、こういう日は気分的に何となくエンジンのかかりが悪い。日本から帰って来て2週間経ったけど、自覚するほどの時差ボケはなかったのに、生理的なリズムが戻ったと感じるまで時間がかかったのは、日本時間で過ごした日数が長かったからかもしれない。でも、クルーズでの船内のレストランと寄港地での観光と、出発前夜に泊まる空港のホテルの予約が済んで、残った「準備」はアメリカドル、香港ドル、シンガポールドルの調達と旅行保険の購入と留守番のシーラが使うビジター駐車場の延長パスの印刷くらいだから、今日は(また)ちょっとひと息。

リタイアを決めてから、脳内に染み付いてしまっている「仕事に備えて常に待機」の思考癖がどうなるのかとふと考えるんだけど、ワーカホリックと言われるくらいがむしゃらに働いて(ついでに)バカ稼きして来た駆動力だったと思うから、さあリタイアするぞ!と言ってパチッとスイッチを切ってしまえるもんなのかな。この「ちょっとひと息」を毎日こまめにはめ込むことでフェードアウトできるかな。それができたら、仕事をしなくてもよくなる時間と常に仕事に備えていた精神的な時間がそっくり自分のものになるってことで、それだけで何だかリッチな気分になるけど、人生の時間を売って稼いで貯めたお金で今度はその時間を買い戻すのがリタイア生活のように思えなくもない。

ひと息の暇つぶしに小町横丁をのぞいたら、人に自分の消費行為を「贅沢だね」と言われてモヤモヤしている人がいて、贅沢の定義がどうのこうの、価値観の違いがどうのこうの、相手を見てから話だの何だのと、何とも賑やかなこと。ワタシも「贅沢している」とか「お金があっていいね」とか言われることがあるけど、どれだけあるかをきちんと把握して、(暮らしに必要なもの以外は)使っても問題のない範囲内で自分が好きなことに使ってハッピーなもので、「うん」とにっこりうなずくだけで、モヤモヤしないけどな。でも、何を「贅沢」と言うかは人それぞれで世間一般の基準がないから、ここはお金(あるいはお金を使うこと)にまつわる価値観の違いと言うことに落ち着くしかなさそうな感じ。

何でも「お金があっても幸せでない人はたぶんお金の使い方を間違えている」という大学の研究結果があるそうで、つまりお金も時間も使いようで楽しく贅沢ができるってことかな。

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