徒然なるままに 

BGMはモダンジャズ、暇つぶしの自分史

君津香木原カントリークラブ(千葉県)

2017年09月09日 | スポーツ

館山自動車道/君津ICより25km(約30分)あり、都心からだと少し遠い。
開場は1987年4月(昭和62年)。
設計は、日本ゴルフ泰明期の第一人者・宮本留吉である。
宮本はゴルフ場の完成を見ることなく、1985年(昭和60年)に他界している。
倒産の過去は無いが、経営者は頻繁に変わり、そのたびにコース名も変わった。
香木原国際CC、君津CC、新香木原CCと変遷し、今の名前になったのは3年前である。

施設、設備は一昔前のものだが、綺麗に使われている印象だ。
コースは起伏のある丘陵コースで、距離は無いがフェアウェイは狭く、ややトリッキーである。
フェアウェイ、ラフの状態は良好だが、グリーンは凸凹だ。
セルフプレー中心なので致し方無いところもあるが、それにしてもひどい状態だった。
君津香木原CC
この日は秋晴れのゴルフ日和。
アクアラインの渋滞のせいで到着が遅れ、あわただしいスタートになった。
詰め込んでるかんじではなかったが、毎ホール、毎ショット、うんざりするほど待たされた。
待ちの長いゴルフは緊張感がなくなり、注意力散漫に陥りやすい。
そのせいなのか、アウト3番のティーグランドで転倒し、左手首を捻挫してしまった。
時間経過とともに痛みがひどくなり、ついにはペットボトルも握れなくなった。
インからスタートし46とまあまあのスコアだったのに、アウトは怪我のせいで59の大乱調。
せっかくのゴルフ日和が台無しになってしまった。

お気に入り名盤! マイルス・デイヴィス:A Tribute To Jack Johnson


 

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丘の公園清里ゴルフコース(山梨県)

2017年08月15日 | スポーツ

山梨県企業局により開発された総合スポーツ・レクリエーション施設「丘の公園」内にあるゴルフコース。
標高1160mに高地に造営された丘陵コースで、富士山コース、駒ケ岳コース、八ヶ岳コースの27ホールからなる。
開場は1986年7月1日である。
清里ブームが起こったのは1970年代から80年代にかけてだから、開場した頃にはブームも下火になっていた。
あれから30年が経ち、施設や設備にも古さが感じられるようになった。
そのせいか、リゾートコースの雰囲気はない。

各ホールはフラットで距離も十分あり、極端にレイアウトの悪いホールもない。
反面、記憶に残るようなホールもなく、やや単調である。
雨のせいなのか、コースの状態は良くなかった。

丘の公園清里ゴルフコース
2日間にわたってプレイした。
初日は、八ヶ岳ー富士山コース、翌日は富士山ー駒ケ岳コースである。
天気は両日とも良くなく、近隣の山々の景観はまったく見ることができなかった。
特に2日目は、本格的な雨になり、霧にも包まれ、ゴルフには最悪の天気だった。
スコアは、八ヶ岳ー富士山コースが50、46の96、富士山ー駒ケ岳コースが48、55の103だった。

お気に入り名盤! エディ・ヒギンス:Don't Smoke In Bed


 

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プレステージカントリークラブ(栃木県)

2017年06月03日 | スポーツ

1986年、ゴルフ場経営大手のSTT開発(株)が、倒産した梓GCの用地を買い取って全く新しいゴルフ場に作り直した。
なんでも、山岳コースを林間コースに改造する大工事だったらしい。
2年後の1988年7月(昭和63年)に開場。
完成した新しいゴルフ場は、その後のバブル景気を先取りしたような豪華なコースだった。
STT開発は、関東中心に11ヵ所のゴルフ場を所有していたが、いずれも高級ゴルフクラブとしての高いステータスがあった。
しかしバブル崩壊後、不動産開発にともなう多額の借入金負担が経営を圧迫し、あえなく倒産。
所有していたコースの多くがPGMに買収された。
施設はいまでも高級だが、かつてのようなステータスはない。

最初に訪問したのは開場して間もない頃である。
1992年ぐらいではなかったかと思う。
驚いたのは、車が到着するなり、係員が駆け寄って来てドアを開けてくれたことだ。
高級車で乗り付けるビップならいざしらず、こちらは5ナンバーのブルーバードだったから妙にきまりが悪かった。
コースの記憶はほとんどないが、浴室の外に作られた巨大な滝を覚えている。
PGMになった今は、ドアを開けてくれることもなく、滝は雑草が生い茂る石垣に変貌していた。
プレステージCC
コースは東コースと西コースがあり、コースレートは西コースのほうが高い。
この日は回ったのは東コースである。
段々畑のようなコースで、隣のホールとの高低差がかなりある。
加えて、ホールをセパレートする林は木々が密集しており、下り斜面に打ち込むと大トラブルになる。
アウトは何回もここに打ち込んだ。
斜面なので横には出せず、前方の木に当たるとさらに下まで落ちてしまう。
いい加減うんざりした。
フェアウェイは状態の良いところとそうでないところの差が激しい。
グリーンはボールマークもつかないくらい固かった。
フェアウェイもグリーンも傾斜がきつく、ボールの落ちた場所からあらぬ方向に転がってしまうことも多かった。
一言でいえば、計算のできないコースである。
天気はこれ以上ない快晴だったが、スコアは58、48の106と低調だった。


お気に入り名盤! オスカー・ピーターソン:The Trio - Live From Chicago


 

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烏山城カントリークラブ(栃木県)

2017年05月02日 | スポーツ

井上誠一設計の名門コースである。
1973年(昭和48年)に18ホールを完成させ仮オープン、翌年に9ホールを追加完成させ完全オープンした。
かつて関東オープンや日本プロなど数々のトーナメントが開催され、チャンピオンシップコースとして知名度を有した。
しかし、不況の長期化により入場客数の減少が続き、平成14年に約80億の負債を抱えて倒産。
民事再生手続きにより、平成16年から新経営陣により再スタートを切った。
クラブハウスのリニューアルや温泉やレストランなどの付帯設備を増設するなど、その後は順調のようである。
昨年は、日本女子オープンが開催されている。

27ホールは本丸、二の丸、三の丸と名付けられている。
どのホールも、ティーグランドからの視界は開けているが落としどころが限られており、かなりプレッシャーがある。
本丸は地形が悪く、山岳コースに近い。
極端なドッグレッグやアップダウンに加え、砲台グリーンのまわりを顎の高いバンカーが囲むようなホールが多い。
井上誠一設計とは思えない品の悪さである。
二の丸、三の丸はフェアウェイの高低差を抑えた丘陵コースで、視覚的にも絵になるホールが多い。
昨年の日本女子オープンも二の丸、三の丸で行われた。
距離は総じて長く、アベレージゴルファーには少し難しすぎるかもしれない。
烏山城CC
利用するのは2回目で、前回は2010年5月。
このときは、宿泊施設に1泊し、2日間ラウンドした。
初日は二の丸と三の丸でスコアは97、2日目は本丸と二の丸で106だった。
個性的なコースなのに、どういうわけか、ほとんど記憶がない。
今回も前回同様、宿泊施設に1泊し、2日間ラウンドした。
初日は二の丸と三の丸、2日目は三の丸と本丸である。

初日は妙な天気だった。
東京では午後から激しい雷雨になり、和歌山では雹が降ったらしい。
那須烏山の天気も急変し、朝は日が差していたのに、やがて風が強くなり、午後には横殴りの冷たい雨になった。
半袖では耐え難い寒さだった。
この悪天候に加え、ピンの位置が難しく、スコアは115と散々だった。
2日目は一転、風はやや冷たかったものの、絶好のゴルフ日和になった。
しかし、スコアは107で、この日も低調。
本丸はアップダウンが激しいので、2日目にプレイするのは体力的にきつい。
もし次回訪問する機会があれば、本丸は外したほうがいい。

お気に入り名盤! アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ:Moanin'


 

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スカイウェイカントリ倶楽部(千葉県)

2017年04月09日 | スポーツ

大昭和製紙グループのパブリックコースとして、1978年6月(昭和53年)に開場した。
パブリックとして運営されたのは最初の3年間だけで、1982年(昭和57年)に会員制に移行した。
東関東自動車道の成田ICから約10キロと好立地だが、近隣のゴルフ場との集客競争は熾烈である。
経営は徐々に悪化し、2015年(平成27年)には50億を超える負債を抱えることになった。
やむなく、アコーディア・ゴルフをスポンサーとして再建を図ることになった。
これに会員側が猛反発し、会社更生法による再建を主張して激しく対立した。
結局、会員の弁済率を50%にすることで、アコーディアをスポンサーとする再建で決着した。
会員も預託金という債権を持つ債権者で、弁済率が50%なら額面の50%が返ってくる。
一般に、民事再生の弁済率は1%以下だから、50%というのは破格の好条件である。
最後は金で黙らせたということか。
それでも、会員の意地なのか、アコーディアブランドは使わないという条件を認めさせた。
だから、アコーディアなのにアコーディアカードが使えない。
一般ビジターには迷惑な話である。

なかなか良いコースである。
高低差の少ない丘陵・林間コースで、極端に造形の悪いホールもない。
アウトはフェアウェイが広く、距離も長めである。
インは距離が短く、砲台グリーン、顎の高いバンカー、池やクリークなどを効果的に配置して難易度を上げている。
インのほうが印象に残るホールが多い。
開場40年になるが、施設や設備の古さはほとんど感じない。
スカイウェイCC
「朝は小降り、午後は曇り、風はやや強め」という天気予報だった。
日本の優秀な天気予報もこの日ばかりは当たらなかった。
横殴りの強い雨が終日降りやまず、コース内は水浸しの状態だった。
水たまりでないところも、歩くと水が染み出てくる。
強雨とはいえ、ここまでひどくなるような雨だとは思えなかったから、多分、コース自体の水はけも悪いのだろう。
午後になると気温も下がり、真冬のような寒さになった。

キャンセルして帰るべきだったが、天気予報を信じて、スタートしてしまった。
ボールは上がらず、転がらず、案の定、ゴルフにならなかった。
コースの印象は悪くなかったから、もう一度、天気の良い日にチャレンジしてみたい。

お気に入り名盤! ノラ・ジョーンズ:Come Away With Me


 

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茅ケ崎ゴルフ倶楽部(神奈川県)

2017年03月11日 | スポーツ

閉鎖問題で揺れる歴史あるコースである。
在日米軍の要請により造営され、昭和32年11月に「茅ヶ崎市営ゴルフ場」という名前で開場した。
設計は、「東の井上、西の上田」と称される巨匠・上田治。
ここは、関東甲信越に遺された数少ない上田治設計コースである。
昭和42年に茅ヶ崎市が運営から撤退し、観光日本(株)に経営を委託した。
約12万平方メートルの用地は神奈川県が60%、茅ヶ崎協同株式会社が40%を所有している。
地代を払って運営していたが、その地代が年々引き上げられ、それが原因で平成15年に経営破たんした。
地代は、再建中こそ据え置かれたものの、民事再生手続きの弁済が完了すると、再び値上げを要求された。
神奈川県の場合、約9100万から2億に値上げするというもので、ほぼ倍増である。
茅ヶ崎協同株式会社もこれに準ずるとした。
ゴルフ場の年商が4億円だから、これでは経営がなりたつはずもなく、やむなく平成27年3月で閉場ということになった。
完全に潰しにかかったと言っても過言でない。

このあたりは住宅密集地で、ひとたび火災が起きれば延焼が止まらない日本一危険なクラスター火災地域である。
茅ケ崎ゴルフ倶楽部は県が指定する茅ヶ崎市民の広域避難場所であり、簡単に潰せない場所のはずである。
東日本大震災で多くの犠牲者を出した記憶も生々しいというのに、人命を軽視した行政には呆れてしまう。

茅ケ崎ゴルフ倶楽部

歴史あるゴルフコースを残すべく、平成26年5月に「茅ヶ崎ゴルフ場の存続を図る会」が発足した。
また、地元住民によるコース存続の署名活動の甲斐もあって、平成27年4月より2年間はゴルフ場として暫定運営が決定した。
その期限が3月末日なのである。
閉鎖される前にと思い、予約をとった。
ところが、ゴルフ場のホームページでは年次会員の募集が今も行われているし、4月以降の優待日の案内もあった。
なんでも、跡地開発には東急電鉄と電通が内定していたが、どちらも直前になって辞退したらしい。
跡地開発が頓挫したために、4月以降もゴルフ場として存続できるようだ。
しかし、県も市も再開発を断念したわけではないので、依然厳しい状況にあることに変わりはない。

施設、設備は老朽化が著しく、レストランの椅子やテーブルも傷だらけだ。
それでも人気は高く、この日も盛況で、昼休みは1時間20分待ちになった。
全長3,025ヤード、9ホールのコースだが、アウトとインで、ティーグランドとグリーンが変わる。
設計の妙なのか、それだけで随分雰囲気が変わる。

茅ケ崎ゴルフ倶楽部

1番ホールは民家に隣接しているため、ティーショットは7番アイアン以下という制約がある。
それ以外は普通にプレーできる。
フェアウェイは枯れているが、とても状態がいい。
グリーンはローラーで押し潰したような感じで、芝目はほとんど無いと言っていい。
そのせいで、アンジュレーションのきつい高速グリーンになっている。
深いアゴが特徴的なアリソンバンカー、コースをセパレートする風格のある松林が難易度を上げている。

茅ケ崎ゴルフ倶楽部

シーサイドのリゾートコースでない。
難易度の高いチャンピオンコースである。
潰してしまうにはあまりにも惜しい。

高速グリーンに悩まされ、スコアは55、54の109だった。
ラウンド後、ロッカーで着替えている時、14時26分になった。
今日は3月11日だった。
防災茅ケ崎から、東日本大震災の犠牲者を追悼して1分間の黙祷を呼びかける放送が流れた。
黙祷をしながら、馬鹿な県政、市政のせいで、ここが黙祷の地にならないことを願った。

お気に入り名盤! ジョン・コルトレーン:Ballads


 

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東筑波カントリークラブ(茨城県)

2016年10月22日 | スポーツ

1976年10月(昭和51年)開場の丘陵林間コース。
メンバ重視の堅実・健全なコース運営を行ってきたゴルフ場で、倒産履歴はない。
過去には関東プロゴルフ選手権やダイワインターナショナルなど公式のトーナメント戦が開催された。
27ホールのタフなコースで、口コミの評価は概ね良好である。

料金設定は高めである。
高級でもなく、格安でもなく、中の上ぐらいのポジションで運営されているようだ。
開場から40年を経過しているので、施設には古さも感じられるが、食事などのサービスは充実している。
コース管理は良いとの評判だったが、フェアウェイもグリーンも芝が薄く、かなり荒れていた。
セルフは乗用カートだが、キャディ付きは歩きになる。
そのせいか、ほとんどセルフだった。

高低差のある狭いフェアウェイ、フェアウェイを取り囲む密集した林、傾斜のきついグリーン、グリーンを取り囲むアゴの高いバンカー。
おまけに、ほとんどのホールがブラインドで、ティーグランドからグリーンが見えるホールは数えるほどしかない。
ねらい所が絞られていて、そこを外すとトラブルになりやすい。
サディスティックな設計で、コースを知り尽くした常連はともかく、初めての人にはキャディが必要である。
東筑波CC
この日は厚い雲に覆われ薄暗く、終日、日が差すことはなかった。
半袖では肌寒く感じられた。
キャディを付けなかったため、毎ホールのようにトラブルになった。
もとより正確なショットが打てるわけではないので、どこに打てばいいのかよりも、どこに打ってはいけないかが重要である。キャディなしではそのあたりの事情が分からない。
加えて、腰の具合が悪く、インパクトが立ち腰になり、トップを連発。
それが、トラブルに拍車をかけた。
中・南と回り、58、55の113だった。
今年最後のゴルフだったのに、ひどい一日になった。

お気に入り名盤! ティナ・ブルックス:Back to the Tracks

 

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姉ヶ崎カントリー倶楽部(千葉県)

2016年09月23日 | スポーツ

1960年10月(昭和35年)開場の丘陵コース。
18H(東コース)で開場し、その後18H(西コース)を増設し、現在の36Hになった。
1970年代には美津濃ゴルフトーナメント、ダンロップオープンなどのトーナメントも開催された。
メンバーには三菱グループの人が多いらしく、経営は安定していて、倒産履歴もない。
東コースはキャディ付きだが、西コースはセルフプレーが可能である。

開場から43年たち、施設や設備には古さが感じられる。
ただし、乗用カートに最新のナビを搭載するなど、部分的には刷新されている。
コース管理の良さには定評があり、コースの状態はとてもよい。
フェアウェイは広く、ホールを隔てる樹木には風格があり、極端に造形の悪いホールもない。
半面、記憶に残るようなシグネチャーホールもない。
過去に3回ラウンドした経験があり、東コースが2回、西コースが1回だが、ほとんど記憶がない。
とても印象の薄いコースである。

この日は、西コースのセルフプレーで、8時12分のスタートである。
茅ヶ崎の家を出たのが朝の5時半、予報では弱雨だったが想定外の土砂ぶり。
加えて、横浜ベイブリッジを渡るときには濃い霧も立ち込めてきた。
とてもゴルフを楽しむような雰囲気ではなく、今日はキャンセルして、海ほたるでUターンするつもりでいた。
アクアラインのトンネルを抜けると雨は小降りで、遠くの空には明るさも見えていた。
東京湾を隔てただけで随分変わるものだ。
「このぐらいなら」と思い、そのままゴルフ場に向かった。
姉ヶ崎カントリー倶楽部
コースは水はけがよく、雨の影響はほとんどなかった。
大雨の平日とあって閑散としており、ほとんど貸し切りのような状態だった。
素振りをする間もなく、いきなりスタート。
最初の6ホールぐらいはゴルフにならなかったが、その後は普通に回ることができた。
スコアは52、51の103だった。

帰るころは千葉も土砂降り。
今年の9月は雨の日が多すぎる。

お気に入り名盤! ウィントン・ケリー:Kelly At Midnight


 

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八千代ゴルフクラブ(千葉県)

2016年09月04日 | スポーツ

1961年(昭和36年)開場のパブリックコース。
コース設計は、初代PGA会長の安田幸吉である。
経営は、興銀(現みずほ)系の不動産企業ユニゾホールディングスで、倒産履歴もなく安定している。
東関東自動車道/千葉北ICより10㎞(15分)という交通アクセスの良さから人気がある。
今では珍しくなったキャディ付きの歩いてのラウンドが基本だが、手引きカートによるセルフプレーも可能である。

クラブハウスは中も外も綺麗で古さは感じられなかった。
典型的な林間コースで、フェアウェイは比較的広くかつ平坦である。
距離は短いが、小さなグリーン、アゴの高いバンカー、グリーン前のマウンドや立木、周囲を取り巻く密集した林などが難易度を上げている。
芝に厚みはなく、土も固めだが、コースの状態はとてもいい。
記憶の残るようなホールも特になかったが、18番のショートホールだけはとても造形が美しかった。
八千代GC18番
運よくベテランの女性キャディがついた。
スタートは10分遅れだったが、「まだいいほう、ここは20、30分遅れるのは普通」と言われた。
遅れる原因のひとつは、1番ティーと10番ティーを同時にスタートさせることにある。
1番ティーのこちらはいつでも打てるのに、隣りの10番ティーは前の組が詰まっていて打つことができなかった。
何故こんなシステムになっているのか。
隣のホールからの打ち込みを心配しているのだろうか。
そんなことはこのホールだけに限った話ではないし、結局のところ、その理由はベテランキャディにも分からなかった。

この日は台風の影響で、厚い雲に覆われ薄暗く、今にも降り出しそうな天気だった。
ところが、3ホール目あたりから、雲が割れて日が差してくると、異常なほどに蒸し暑くなった。
この暑さの中での歩きのプレーはかなりきつかった。
スコアは48、49の97だった。
安田幸吉のコース設計の信条は、「コース造りは庭造り、下手な人でも楽しめるように」である。
確かにそんな感じのコースだった。

お気に入り名盤! ドン・フリードマン:Waltz For Debby


 

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ロペ倶楽部(栃木県)

2016年08月13日 | スポーツ

ロペとは、アパレルメーカーJUNが展開する女性服のブランドである。
ジュンクラシックカントリークラブの姉妹コースとして、1990年に開業した。
ジュンクラのカジュアルな運営を踏襲しているが、ジュンクラのような手作り感はない。
豪華な和風のクラブハウス、地中海風の宿泊施設やテラスレストラン、真っ白なビーチバンカーが特徴の美しいコースである。
人気ホールはアウト9番の浮島ホールで、トーナメントでは18番として使用された。
ティーグランドの位置にもよるが、浮島までキャリーで230ヤードぐらいに設定されている場合が多い。
打ち下ろしを加味して実質210~220ヤードぐらいである。
平均的なアマチュアゴルファーがギリギリ届く微妙な距離で、それが射幸心をあおる。
ロペ9番ホール
最初に行ったのは開業間もない1992年頃だと思う。
その後、幾度となく利用したが、ジュンクラに比べると回数は少ない。
最後に行ったのは2008年で、この時は怪我で途中リタイアしている。
18ホールを回るのは、2002年以来14年ぶりになる。

クラブハウスの様子はほとんど変わっていないが、コースは少し変わった。
溝が埋められて全体的にフラットになり、コース内の木々も間引きされた。
毒気が抜けて普通のコースになってしまった印象だ。
フェアウェイやラフは綺麗に刈り込まれ、とても状態がいい。
半面、バンカーは砂が少なく、中にはベアグランドに近い状態のものや雑草が生えているものもあった。
この手入れの悪さはどうしたことだろう。
さらにひどいのがグリーンである。
まだ朝早い時間なのにボールマークがかなり残っている上に、ベントグリーンとは思えない遅さである。
早朝のメンテナンスをさぼったとしか思えなかった。
ロペ12番ホール
日中は30度を超える猛暑の中、インから回り、54、51の105だった。
ここはパー74だが、いいスコアの出るコースである。
不調の原因はパットで、遅すぎるグリーンに最後までタッチが合わなかった。
名物の浮島ホールは、この日もキャリーで230ヤードの設定だった。
いい感じのドローボールを打てたのに、わずかに足らず、手前の池に入水した。


お気に入り名盤! ウィントン・マルサリス:Black Codes (From the Underground)


 

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