読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

カサブランカ

2006-02-06 23:27:11 | 観た、聴いた
1942年というから昭和17年の映画である。
本日BSで観た。

それほどの映画好きでもないので、時と気持ちの都合がつけば映画を観る、というタイプ。
だから、こんな有名な映画も今回始めて。

ハンフリー・ボガードとイングリット・バーグマン
先日、何回目かの「オリエント殺人事件」を見て、イングリット・バーグマンの昔の姿を見たい、と思ったのが、この映画を観る「動機」になっている。

さて、この映画(物語)の筋はあまり面白くない、というかまあごく当たり前のもので、何でこんな筋で・・・と思ってしまう。

映画もその作られた時代にみるのと、時を隔ててみるのでは大きな違いがある、と思う。そして、このカサブランカのように60年以上経っても見られるものは、どこかに「普遍性」があるのだろうと思う。

で、ごく当たり前の筋、と言ったが、このごく当たり前のことがいいんだろうと思う。

それにしても、イヤミなほどまでのキザなセリフ。よく言えるなあと思うほど。
会話を楽しむ、というのか、楽しみすぎているかのような湾曲な表現による辛らつな皮肉。

また、カサブランカという特殊な土地がらと、戦争中に作られただけあって、大きな「祖国愛」もしくは「ドイツ憎し」の気持ちが前面に出ていて、曖昧さがなく気持がいい。

わりにスリルとサスペンスにあふれているのだが、ゆったりと時が流れ、それがかえってドキドキ感がある、というのもよかった。

まあよかったよかったなのだが、なんだか中途半端な気持ちであるのも否めないところである。

ところで、イングリッド・バーグマン、これも「よかった」と思うが、それほど感激しなかったのは、のちの姿を「オリエント急行殺人事件」で知っていたからだろうか。

追伸
 ローマ人の物語<塩野七生>と女子大生会計士の事件簿<山田真哉>を読んでいる。それにしても近頃はテレビを見てしまって、堕落している。反省。
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南天とつらら

2006-02-05 22:06:39 | 日々雑感
我が家の庭の南天の木にまだ実が残っていたのですが、そこに雪が降り、そしてとけ、そして「つらら」となり南天の実を包みました。
面白いので写真を撮りました。

また、アルバムとして公開していますので興味のある方はこちらをどうぞ
kzycoフォト
アルバムは3つありますが「南天とつらら」を選択してスライドショーでお楽しみいただおければ、と思います。
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後北條龍虎伝 海道龍一朗 小説新潮

2006-02-04 15:34:26 | 読んだ
小説新潮の2005年2,6,9,12月号と2006年2月号に掲載されている。こういうのは連載というのだろうか?
兎も角現在進行形の小説である。

「後北條」というのは北條早雲からはじまった小田原の北條氏をいう。最後は豊臣秀吉に屈服させられた、あの「北條」である。
であれば「前北條」というのもあるわけで、これは鎌倉幕府の執権職をつとめてきた「北條」のことである。

戦国時代初期というか足利時代の関東・東海・甲信越の争いは、複雑で、よくわからないことと、北條氏の最後が、例えば「小田原評定」という言い方をされたり、時勢をよくわからない無能な人々だったりというイメージがあり、これまで読んでいなかった。

大体「堀越公方と古河公方」「扇谷上杉と山内上杉」とかで混乱が始まり、それに味方する人々が、あっち行ったりこっち来たりして、よくわからない。それに加えて日本史全体に大きな影響を及ぼした、ということもないので割りに軽く扱われているところがあるので、これまで「まあいいか」と思っていたのである。

さて、この「後北條龍虎伝」は北條3代「氏康」が主人公である。
北條家は初代の早雲、2代氏綱、3代氏康までが優秀だったようだ。
丁度「週間 日本の合戦」で北條氏について二週続けて特集されていたことからまあ下地はあったのだ。

で、この物語面白い。きびきびしている文章で、時代背景の説明もわかりやすく、登場人物もイメージが描きやすい。

歴史小説を読んで何かの役にたてよう、という風潮があるが、そんな下心のある人も、ワレのようにただ読むだけで楽しい人も、十分満足できるのではないか、と思う。

この海道龍一朗も注目すべき作家である。
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おなじ釜の飯 乃南アサ 小説新潮2005.10月号

2006-02-03 23:17:29 | 読んだ
<歳の離れた女同士の友情には「理由」があった――東京谷中を舞台に著者独壇場の人情味が冴える連作>
とある。

連作ということは、今後も続くということ。小説新潮では「ボクの町」シリーズもあるから2つのものを書き分けるということなのだろうか?
と、心配しつつも乃南アサは読みたい作家の一人でもあるので歓迎である。

さて、歳の離れた女同士の友情の「理由」とは・・・
小森谷芭子は29歳、江口綾香は41歳。
二人はおなじ釜の飯を食べた仲である。

おなじ釜とはどこかといえば「刑務所」なのである。
彼女たちは「前科者」

芭子は、自分の経歴を隠し、というか隠せる職場マッサージ治療院へつとめ、将来の当ても無く、ただただ自分の浅はかな罪に身もだえしながら生きている。
綾香は、前科がばれればそのときはそのとき、と半ばあきらめながら、わりと陽気に生きている。

この二人がどう世間とかかわっていくか?
というのがこの物語の面白いところ。
犯した罪というのは法によって裁かれるが、法で裁けない罪、のようなものを社会はどうすべきなのか?
ということを描くのではないか、と思っている。

期待度は高い。
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消えない電灯

2006-02-02 22:41:33 | 日々雑感
昨日は宿直であった。
前回までは宿直室の電灯(蛍光灯)が暗く、本を読むのには適していりない状態だった。
しかし、昨日部屋に入ると、すでに電灯がともされしかも明るいではないか。

これはよかったと、ローマ人の物語を読んでいた。

そして眠ろうと思い(宿直は徹夜勤務ではない)電灯を消そうと、あのヒモを引いた。
しかし、手ごたえがなく引いても電灯が揺れるだけである。
ヒモの電灯に近い部分を持って試みても、その先の部分を確かめてもスイッチは応答しない。

それなら、部屋にあるスイッチで消そうとしたが、これも、カチカチと音はするが応答が無い。

だから仕方なく、電灯をつけたままで眠った。
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酒場の藝人たち 矢野誠一 文春文庫

2006-02-01 22:38:49 | 読んだ
副題は「林家正蔵の告白」とある。
単行本(1993年刊)の本書は「圓生とパンダが死んだ日」であった。
林家正蔵といっても圓生といっても、わからない人が増えたんだろうなあ。

著者の矢野誠一の肩書きは、本人があとがきで「文筆業者として、自分のテリトリーをはっきり確立していない身」と言っている。

著者は芸能界(といってもドッチかというとマイナーほうだが)を見ている。
演劇評論家とか演芸評論家という肩書きもつけられている。

で、この人の書く演芸物は面白い。表面上のことをなぞっていても、実は対象に対する深い理解と暖かい愛情があるからだ。
また、出会った人々たちから影響というか刺激を素直に受けている。
そういう人だから、出会った人たちも著者に面白い話を聞かせてくれるのだろう。
或いは、話した本人は気づいていないおかしさを感じる人なのだろう。

戸板康二の「ちょっといい話」というのがあり、好きな本である。この戸板康二は著者にとって唯一の先生なのだそうだ。
この話を本書を読んで「おお!」と思った。まなざしが似ている。

このような芸能の話というのは、スポーツ選手や棋士の話と同じように、好きなのであるが、誰が書いてもいいというものではなく、書く人の幅とか深さというのがでているものがいいのである。

追伸
 本日は大雪で、それなのに標高90メートルの山の上で宿直をしている。
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