読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

本能寺の変 431年目の真実  明智憲三郎 文芸社文庫

2014-07-23 23:12:29 | 読んだ
高校2年の冬休み、現代国語の宿題(自由課題だったか?)に小説を書いて提出した。
その小説の題名は「本能寺」だった。

高校1年の時に山岡荘八の「徳川家康」全26巻を読み、徳川家康びいきだった。
当時、NHKの大河ドラマは「国盗り物語」だった。
その時、明智光秀役は近藤正臣だった。

司馬遼太郎の原作が明智光秀に同情的であったことからかもしれないが、私も明智光秀に非常に同情した。
この場合、近藤正臣が演じる明智光秀だったかもしれない。

織田信長は豹変する人物である。そういう人とは付き合いたくない。こちらが傷つくことが明らかであるから。
豊臣秀吉はそんな織田信長に対してうまく付き合っている、ということがなんだか怪しい。

で、明智光秀は常識人であり、付き合ってもいいかな、と思ったのである。

本能寺の変は、日本史の中でも大きな謎である。

先ず、織田信長がどうしてわずかばかりで京に赴いたのか?
「油断」というにはあまりにも不自然である。

明智光秀については、織田信長を討ち取った後の始末に計画性がない。
信長を討ち取った後に天下の経営をどのようにするのか考えていなければ「謀反」なんてするはずがない。

そして、豊臣秀吉の中国大返しはあまりにも早すぎる。更に秀吉に味方する者が多すぎる。

更に、どうして徳川家康が堺にいたのか?
あまりにも偶然すぎないか?

ということが「本能寺の謎で」あると思う。

私の小説では、本能寺の変は織田信長と明智光秀の合作であるとした。
織田信長は日本に飽き飽きして海外に一人で出ようとした。その助けを明智光秀が行い、ついでに徳川家康を討つ。
そうして、じっくりと天下を経営していく。
しかし、信長と光秀の陰謀というか策を秀吉があらかじめ察していて準備をして、天下を横からかっさらった。
というのが、その概要である。

本日の読売新聞には、明智光秀の家臣・斎藤利三の兄であり四国の長宗我部元親の家臣でもあった石谷頼辰の古文書が岡山の博物館に展示され、新たな本能寺の変の謎が解けるか?
なんて出ていて、本能寺の変は明智が長宗我部を助けるためが目的であった、というようなことであるが・・・

さて、本書「本能寺の変 431年目の真実」は明智光秀の子孫である憲三郎氏が著者である。
先に掲げた、本能寺の変の謎解きを、古文書等から再度検討して、新たな回答を得る、という「壮大な歴史捜査ドキュメント」である。

その回答をここで書いてしまうわけにはいかないが「なるほど」と唸るものである。

しかし、それでも「そうだ!」ときっぱり謎が解けたわけではない。
やっぱり、どこかしっくりこないのである。

歴史の謎はなかなか解明されないから面白いのである。
それでも、明智憲三郎氏の「説」はこれまでの説よりは説得性がある。

江戸時代の天海僧正が明智光秀だった、という説もあるが、明智氏の説を読むと「それもありうるか」と思ってしまった。

まあ兎も角、久々に面白く読んだ一冊であった。

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