一昨日は観客の熱意に驚きそのことが主になりましたが、今日は映画のことを書きます。此の写真の蕭さんは、志願兵としてビルマで終戦を迎えられたそうですが、総統府と二二八記念館でボランティアでガイドをしておられます。日本人として教育されながら終戦で国は台湾人を見捨てたと嘆いておられました。宋定國さんは小学校の時の先生を、戦後30数年経って探し当て再会するもすぐ死別、その後毎年墓参をなさってるとか、頭が下がりました。パイワン族の塔立國さんは末期がんながら、南部の故郷を訪れ友人たちと日本語で話す場面、戦後30年経って戻ってきた元日本兵の話を涙と共に話されたのが印象的でした。映画の完成を見届けて他界、最後の言葉は日本語で家族は誰も理解できなかったそうです。美人の陳清香さん、女学校で茶道、華道など日本人としての作法も身に付け、「男だったら特攻隊に志願した」とにこやかに。基隆の学校の同窓会では日本語の校歌を歌詞も見ないで皆さん歌う姿は私達と同じでした。楊足妹さん、小学校は1年だけながら、たどたどしい日本語で語る山合いの茶摘姿もこの方の人生でした。
カメラがなくてもすぐ撮れる様携帯を買い換えました。第1号の写真です。