倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地廃止問題に感じさせられる〝デジャウ"(既視)感〟

2023-02-08 | 日記

今や 大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、地元住民の方々の求めに応じて存続要望活動のお手伝いをさせていただく中で、この問題が 実は単なる遊園地存続⇔廃止のことに止(とど)まらず、長野市内での 一見すると別のジャンルと思われる課題と同じ性質を有していることを実感させられています。

いわば〝課題のデジャウ"感(既視感)〟とでも申しましょうか…一見 全く異なるように見える問題の中に、同じ〝影〟が見えるのです。

 

私は今、3件の市民課題に関わっています。

1つは、この 青木島遊園地廃止問題。

2つめは、知的障がい者支援を取り巻く諸課題についての取り組み。

3つめは、公共施設マネジメントにおける施設の存廃や利活用についての取り組み です。

 

1つめの 青木島遊園地廃止問題について は、ご案内のとおり 長期に亘る「音」に関する問題が膠着(こうちゃく)し、遊園地が存続されるか否かの大問題に発展しています。その経過についてはさまざまな評価と分析がされているところですが、この案件の中で、最も重要視されるべきでありながら置き去りにされている点があります。

最も影響を受けているのは、なにいう「子どもたち」なのです。

2つめの 知的障がい者支援を取り巻く諸課題について は、本来 知的障がい者の自立と収入(工賃)アップを図るために存在する障がい者支援施設が、実際には、施設(団体)の維持と そこで働く職員の就業のために存在し、肝心の障がい者への真の支援が置き去りになっている実態がある。

ここでも、最も影響を受けているのが、施設の利用者さん(知的障がい者)なのです。

3つめの 公共施設マネジメントにおける施設の存廃や利活用について は、市(行政)が 総務省の肝いりで進めようとする「公共施設マネジメント」によって公共施設を削減しようとしており、そこには市の業務効率が先立ち、いま施設を使っている利用者の利便性が置き去りになっています。

ここで影響を受けているのが、利用する施設が無くなってしまう 利用者たる市民のみなさんなのです。

 

青木島遊園地廃止問題に関わる中、その通底に横たわる本質的な問題~子どもたちが最も影響を受けることになっている~を再認識したとき、他のジャンルであっても 全く同じ構造的な問題があることに気づかされたのでした。

行政体や団体のなどの組織運営や事業を進めるとき「誰のための組織(事業)か」との基本原理(原則)を見誤ったり、組織にとってプラスになるためだけに腐心することで何が起きるか。

 

肝心の、本来 益(えき)を受けるハズのエンドユーザーが、逆に組織の犠牲にさせられてしまうのです。

この、本来あってはならない悪しき社会状況は 何としても直してゆかなければなりません。

そのために 私たちは何を為(な)すべきか。

事業や組織に関係する全ての者が、現場を知り そこに居(い)る人を知り、どういう思いで活動されているかを知る。

そのうえで、一方の価値観に拠(よ)らず 双方・全体を俯瞰でみたうえで最適な環境を共々に模索し、みんなで結論を導き出す努力を重ねてゆこう。

 

従前にも触れましたが、これから社会状況が複雑かつ厳しさを増す中、であるからこそ 互いを認め、支え合いながら前へと進んでゆかなければならない。

そんな意識を持たず 一方の価値観で物事を進めようとするから、さまざまな問題が発生するのです。

 

 

 


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「廃止の公園(正確には遊園地)に代わる学童保育の校庭利用」報道…その真意は 

2023-02-07 | 日記

6日のNHKローカルニュースで「長野市が廃止の公園(正確には「遊園地」以下訂正)に代わる学童保育の校庭利用を春休みに実施することを決める」旨が報じられました。

 

 

 

報道は以下のとおりです。

長野市の青木島地区にある遊園地が 近隣住民からの騒音への訴えなどをきっかけに廃止されることを受けて、遊園地に代わって近くの小学校の校庭で学童保育施設の子どもたちを遊ばせる方針を示していた市は 安全を管理するスタッフを確保したうえで春休みに実施することを決めました。

長野市の青木島遊園地は、隣接する学童保育施設の子どもたちが一斉に遊び うるさいなどと1軒の住民が訴えたことをきっかけに、利用者や管理する人もいなくなったことから来月末で廃止されます。

市は、長年 公園を利用してきた学童保育施設の子どもたちを近くの小学校の校庭で遊ばせる方針でしたが、子どもたちを引率したり 安全を見守ったりするスタッフを確保できず開始時期が決まりませんでした。
保護者などから早期の利用開始を求める声が高まるなか、市はスタッフの出勤回数を増やしたり配置を変えたりすることで3人程度を確保したうえで、まずは春休みの期間中に実施することを決めました。

一方で、平日の放課後は利用時間や迎えに来る保護者への対応などについて検討が必要なため、開始時期は決まっていないということです。

市は新たな対応について市長も出席する今月11日の住民説明会で明らかにする方針です。」とのことです。

 

この報道については、いくつかの疑問点があります。

まず「遊園地の代わりに校庭を利用する」との件(くだり)は、今(6日時点)で決まったことではなく、既に12月(正確には12月議会)の段階で説明されている内容なのです。

それは あくまで「万が一 遊園地が使われなくなったとしたら」の前提つきで校庭を利用することを想定した説明であり、この報道のように いかにも校庭を使うことが決まったような表現は事実と異なるものであります。

さらに「利用者や管理する人もいなくなったことから来月末で(遊園地が)廃止されます」の件(くだり)については、利用者はいなくなったのでは無く「利用させないでいる」のが事実・さらに「管理する人」については「愛護会」が現存しています、もっと言えば 遊園地の廃止は決まったわけでも何でもなく、事実誤認も甚だしいところです。

さらに「市はスタッフの出勤回数を増やしたり配置を変えたりすることで3人程度を確保したうえで、まずは春休みの期間中に実施することを決めました。」との件(くだり)…スタッフ増員は、議会(委員会)の際には 確か「困難」との答弁でしたが、急に増員の目処がついたのでしょうか?議会には何の報告もありませんが。

また、春休みから実施というのなら 既に人員配置が進んでいなければならないハズですが、この人手不足の中 どのようにやり繰りするのでしょう。また 新規採用というなら、それこそ〝廃止ありき〟が塀の向こうで着々と進んでいることになります。

(そもそも、タイトルが「公園」となっていますが、案件は「遊園地」です。ここら辺りかからも「天下のNHKが何と不正確な報道をしたものよ…」と思わざるを得ませんでしたが)

 

 

 

・・・・・・。

関係者は、なぜ このタイミングで、こんな不正確な情報を流した(流すことになった)のでしょうか。

さきには、11日に市長自らが「現地に足を運び みなさんの声を聞きたい。」と言ったばかりです。

それ(市長の意向)は、限りなくニュートラルであったハズです。

そこに、この偏重報道です。

この顛末に 私は、意図的な事前リーク(漏えい)の作為を禁じ得ません。

事前情報なく昨日の報道を見た人は 第一印象で「もう遊園地は廃止で、学校で児童を遊ばせることに決まったんだ…」と鵜呑みにしてしまうかもしれません。

そんな〝刷り込み〟を狙って 11日前に敢えての形で報道させたとすれば、長野市行政は情報操作をしてまで事業を進めようとしていることになり、それは残念に他ならないところであります。

 

そもそも、あの遊園地に関しては 児童センターの児童の対応をすれば全て解決というワケにはゆかないハズです。

隣接の保育園の園児は、一般道を通って 危険を冒しながら遠くの場所へのお散歩を余儀なくされています。その安全リスクをどう考えるのか。

事ほど左様に 市の対応は「場当たり」に尽きない感、このまま推移すれば 市民の行政不信は増幅するばかり、いずれ収拾がつかなくなることが懸念されてなりません。

 

こんな〝やらせ報道〟というようなやり方は止(や)めて、市民に真摯に向き合うべき。

2月11日がスタート、いわば新雪の上に初めてシュプールを描く日のハズです。

それを、スタート前にゲレンデをいじくり回すようなフライングは、厳に慎むべきでありましょう。


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青木島遊園地廃止問題に見る「住民自治協議会」や「区長会」が抱える課題と苦悩

2023-02-05 | 日記

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、その延伸の上に、今の長野市政と 地域自治の礎(いしずえ)であるハズの住民自治区長会や区長会が抱える課題…もっといえば〝苦悩〟ともいえる根深い面が改めて見えてきました。

 

今回の遊園地の廃止において 重要ともいえる〝役割〟を果たしているのが、他でもない「区長会」であるように思えます。

「青木島遊園地」は 遡(さかのぼ)ること18年前、地元住民の有志と 地元「青木島区」の要望によって設置されました。

その後 一部住民(世帯)からの苦情が出されるなどして時間経過を辿り、昨年になって 今度は区長会の方から廃止の要望が出され、遊園地は廃止の方向に進むことに。

しかし これが、社会の大きな疑問と反発を招き 現在に至っています。

この字面(じづら)だけを追えば「区長会が主導して 遊園地の設置と廃止を決めた」と思われがちですが、実際にはそこに 市⇔区長会との欠かざる関係性が存在し、そして その〝関係性〟こそが、問題を問題として増幅させ 市民の疑問と反発の主要因となってしまいました。

 

第一の問題は、苦情が発せられたとき 区を置き去りにして市の対応が為(な)されたこと。

遊園地から出る「音」がうるさい!との苦情が発生られた際、市(公園緑地課)は対応に走ったのですが、その際 区に相談すること無く話し(対応)を進めていたようなのです。

このことについて当時の区長は「何らか苦情のようなものがあることは側聞していたけれど、市から何の相談もなく推移していたので おそらく(苦情は)収まっていたんだろうと思っていた。」と述懐しており、そこに 現状との大きなギャップがあります。

もし 早いうちに市(担当課)が住民側(区)に相談し、例えば早期の意見交換などを行なうなど 官民挙げて対応を協議していれば、こんな膠着した状況に陥らなかったのではないかと思わされます。

第二の問題は、今度は地元住民を置き去りにして「廃止」に向けた手続きが進められたことです。

問題が膠着してしまうと、市は残念ながら「つじつま合わせ」に動き そこに区(区長会)が利用されることになってしまいました。

苦情に対し 対処療法的な〝場当たり対応〟を重ねた結果、立ちゆかなくなってしまった市は この際とばかりに「遊園地の廃止」に斜傾することになります。

その際 市は、自分たちの対応によって子どもたちが遊べなくなったのに「利用者が減った」と話しをすり変え、また遊園地の愛護会についても 実際には存在し続けていたのに「愛護会活動ができなくなった」との誤情報を正論とするなどして、いわば事実を歪曲(わいきょく)する形で 廃止のための〝状況証拠〟を作りあげ 区(区長会)に提示、それを受けた区長会は「であれば廃止やむなしか…」と判断して、最終的に市に対し廃止を要望する書面を提出するに至ってしまったのです。

今回の顛末の中で 双方に水を向けると、市は「区長会から廃止の要望が出されています。」と言い、区長会は「市が廃止を決めたからそれに応じただけ。」との水掛け論の押収となる始末…双方が保身のために〝決定責任〟を押しつけ合う状況になっているのです。

 

今回の問題の大元は「住民不在で手続きだけを進めたこと」にあると言わざるを得ません。

事(こと)の解決の糸口は「住民側」にこそありました。なのに、そこを抜きにして 頭越しに片づけようとした短兵急な対応が かえって問題を複雑化させ、あげく市そのものが 地元住民はもとより多くの市民…今回の遊園地問題に関しては 全国の多くの人たちから批判されることになってしまいました。

しかし 今回の廃止については、手続き上は何の瑕疵(かし)も無いのです。

で 私は、そのこと(瑕疵が無いこと)自体が大きな瑕疵ではないか、と思わざるを得ないのです。

 

長野市はじめ各自治体には、住民の連携と自治運営の円滑化を期して 隣組~自治会~区との自治組織を設け、行政連絡などの窓口を担っていただいています。

また とりわけ長野市においては「住民のことは住民で」との崇高な目的をもって「住民自治協議会(住自協)」を設置し、地域自治の一層の推進をめざしています。

以降、行政手続き等については 住自協や区長会を経ることとし、逆に言えば 住自協や区長会の承諾を得(え)さえすれば、行政事業が進められるとも言えることに。

で、今回の遊園地廃止問題について 市は、(残念ながら)この行政手続きの いわば簡便さに乗っかって手続きを進めたフシがあります。

「あくまで住民代表である区長会の要望の下(もと)に市は遊園地を廃止することになった」この 一見 何の瑕疵も無い行政手続きこそが、実際には廃止を聞いていない多くの市民の反発を招くことになり、その反発の矛先は 市だけでなく「何で廃止を要望したんだ!」と区長会にも向けられ、区長会は いわば板挟みにもなっているようなのです。

 

 

・・・・・・。

今回の「青木島遊園地廃止問題」は、奇(く)しくも「住自協・区長会」の抱える問題点を改めて浮き彫りにすることになったと思います。

本来は、住民自治の礎(いしずえ)となり、住民主体で地域自治を運営するネットワークとなり、いわばボトムアップ(下から上へ)のエンジンとなるハズだった住自協や区が、それとは逆に 市の決定事項(または「そうしたい」との意向)を住民に下ろすための いわばトップダウンの窓口として利用されることになってしまいました。

で、そのプロセスの中には 肝心の「住民の思い」は置き去りにされたままで、そのことが 今回の騒動の火種になっていることは残念に他ならないところであります。

 

人口増・好景気の下での いわば行政バブルの時代は今は昔。今後 各自治体は、非常に厳しい行財政運営を余儀なくされてくるでしょう。

だからといって、行政の一方的な都合で グイグイ事(こと)を進めてイイものか?

取るべき手法は 全く逆であります。

で あるからこそ、あまねく住民の声を聞き もし反対の声があるならば、それらに丁寧に対応し 納得していただいたうえで前に進まなければならない。

そして その際には、広く住民にご参集いただき(または門戸を広げ) 同じ土俵で意見を交わしていただき、もって住民の意思を示していただくことが欠かせないと思います。

 

今回の案件は、住民自治の観点からも 私たちに大きな課題を投げかけることになっています。

 

 


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青木島遊園地廃止問題 ~置き去りにされた子どもの存在と「子どもの権利条約」~

2023-02-04 | 日記

今や大きな社会問題となってる「青木島遊園地廃止問題」ですが、この案件において〝欠落していること〟として「議論が、主役であるハズの子どもを抜きに行なわれていること」を指摘したところであり、その考えは 何も私だけでなく多くの人が感じていることでありましょう。

本来は、遊園地を利用する子どもにとって 何が一番有益であるかを基本に据えて議論を進めてゆけば、事(こと)の推移は また違った舵を切れたのではないか、と ときに残念に思わされるところです。

「遊園地を存続すべき」という人の中に「子どもの遊ぶ権利」を説(と)かれる人が居(お)られ、その人は 議論の根拠として『子どもの権利条約』を挙げられ、それは実に当を得たものでありました。

 

 

 

『子どもの権利条約』は 1989年に国連で採択された「子どもの基本的人権」に関する条約です。

かつて戦争において 罪もない子どもたちが火戦にさらされ生命までも奪われる事態に陥ったことへの反省から、(18歳未満の)子どもにも基本的人権があること、それ(子どもの人権)は保障されなければならないことを明文化したものです。

「子どもの権利」とは、すべての子どもが心身ともに健康に育つために必要とされる権利で、それ(子どもの権利)は 大きく分けて「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」があります。

1. 生きる権利
・住む場所や食べ物があること
・病気やケガをしたら治療を受けられること
・健康に生まれ、防げる病気などから命が守られること

2. 育つ権利
・教育を受け、休んだり遊んだりできること
・もって生まれた能力を十分に伸ばしながら成長できること
・自分の名前や国籍を持ち、親や家族と一緒に生活できること

3. 守られる権利
・紛争や戦争に巻き込まれず、難民になったら保護されること
・あらゆる種類の暴力や搾取、有害な労働などから守られること
・障がいのある子どもや少数民族の子どもなどは特に守られること

4. 参加する権利
・プライバシーや名誉がきちんと守られること
・自由に意見を表したり、団体を作ったり、自由な活動を行えること
・成長に必要となる情報が提供され、子どもにとってよくない情報から守られること

 

 

で、この『子どもの権利条約』で定められていること(守られなければならないこと)が、まさに 今回の「青木島遊園地廃止問題」に符合する と述べられているのです。

それは、この条約の2本目の柱「育つ権利」に表されており、さらに 条例の中の条文「第31条」に明確に示されています。

「育つ権利」においては、前掲2,の説明のうち

・教育を受け、休んだり遊んだりできること が該当すると申せます。

「勉強したり遊んだりして、もって生まれた能力を十分に伸ばしながら成長できること」とされています。

 

 


さらに、同権利条約の「第31条」には「休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加(への権利)」が条文化されています(条文は次のとおり)。

(1)締約国は、子どもが、休息し かつ余暇をもつ権利、その年齢にふさわしい遊びおよびレクリエーション的活動を行う。

(2) 締約国は、子どもが文化的および芸術的生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進し、ならびに、文化的、芸術的、レクリエーション的および余暇的活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

 

 

つまり、遊園地などで子どもが遊ぶことは、国連の定める『子どもの権利条例』で遵守しなければならない内容そのものであり、批准国である日本の自治体である長野市においても 当然にそれを履行しなければならない立場にあるという論理です。

しかも、同条例においては「子どもは大人と同じように人権を持っているが、その一方で 特別な保護が必要とされていることから、大人や国には 子どもの権利を守る責任がある」とされ、さらに「大人や国は、子どもにとって一番いいことは何か ということを考えなければならない」とされています。

そのためにも、子どもたち一人ひとりと丁寧に向き合っていくことが求められている とされているのです。

 

今回の「青木島遊園地廃止問題」において欠落していると指摘した〝子どもの視点〟ですが、それは 国連の定める『子どもの権利条約』の見識からしても、再考しなければならないと考えられるところです。

子どもには 遊ぶことも含めて「権利」があること、そして その子どもの権利は 他でもない大人や国が守ってゆかなければならないこと…認識を新たにさせられる指摘であります。

そのうえで、忸怩(じくじ)たることこのうえないのが、この『子どもの権利条約』について 遊園地に対する苦情が発せられた早期のうちに議論の俎上に載せ、対応の根拠にしていれば こんな膠着した状況に陥らずに済んだのではないか、という点であります…。

 

 


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青木島遊園地廃止問題における住民説明会に 荻原市長が出席を表明

2023-02-03 | 日記

今や大きな社会問題にまで発展した、長野市の「青木島遊園地廃止問題」ですが、これまでもレポートさせていただいているとおり さまざまな変遷を辿る中、ひとつのエポックメイキングになるか?という〝新たな流れ〟がみられました。

長野市トップの荻原健司市長が1日の定例記者会見で、この問題について「周辺住民を対象とした説明会を今月11日に開き、そして 私(市長)も出席して 地域住民の皆さんの意見をお聞きしたい。」と述べたことが報じられたのです。

 

 

 

この日の会見で荻原市長は、去る1/25に周辺区長10人と懇談し 意見交換を行なったとしたうえで「(区長たちは)反響が大きいことに困惑している様子だった。」とし、廃止の決定については「基本的には維持されている」としながらも「区長さんからの話をお聞きし 11日にも(地域住民の)話を聞いた上で判断したい。まずは地域の皆さんの声を受け止めたい。」と述べたとのことです。

 

これまで荻原市長は「18年間の経緯」を理由に いわば表(おもて)に立つことに消極的であるように見られていました。

去る12/12の定例会見では「青木島遊園地については、地元の皆さまが18年間という長期間に及び いろいろ意見を調整された結果として、地元区長会から廃止要望がなされた。そういった経緯を踏まえて、私としては 手続きを踏ませていただくということである。」と述べたうえで「地域の皆さまの声をしっかり受け止めて、私自身も大変苦しい判断ではあるが 手続きを進めさせていただく。」としていました。

さらに「今回 地元の皆さまから寄せられたご要望というのは、長い期間をかけて地域の皆さまが意見を聞いて それが集約された結果だと思っている。地域の皆さまの声を聞く、受け止めるという経緯は十分あったと私は考えている。」と述べています。

一方で「過去に戻ることはできないが、しっかりと地域の皆さまの意見を集約し、合意形成がきちんとなされているのか否かということを確認する必要がある。今後、一つの教訓として胸に刻んでおきたいと思う。」とし、さらに「地域の合意形成ということは非常に大切なことだということを、今回のケースのみならず、常々感じている。地域コミュニティの中で、どうコミュニケーションを重ねていくのか、顔の見える直接的な対話のつくり方の重要性を感じている。」と述べていました。

 

これまでもレポートしているように、今回の「青木島遊園地廃止問題」については、住民要望によって設置された遊園地が 一部の世帯からの苦情に端を発し、その利用について著しい制限が加えられるなどする中、苦情対応についても(市が)右往左往することになり、あげく長い期間を経たうえで 結局区長会からの〝廃止要望〟によって「遊園地廃止」が決定されることになっています。

ところが、廃止が表(おもて)に出ることになって以降、これまで「民意」とされてきた地元住民の合意形成が 決して一枚岩ではなかったことや、市が掲げる「廃止の根拠となる6つの理由」についても相当な無理があることが指摘されたり、何より 多くの地元住民が遊園地の存続を願っていることが改めてクローズアップされたことから、市(市長)の言う「長い期間をかけて地域の皆さまが意見を聞いて それが集約された結果だ」という(廃止の)論拠そのものが揺らいできていることは ご案内のとおりです。

 

これまで荻原市長は、口調こそ丁寧であったものの あくまで〝既定路線〟を守る方針を貫いてきました。

おそらく その根拠には「担当職員からの説明(報告)」があると思います。

と いうのも、荻原市長は 昨年11月に当選したばかりの〝新人市長〟であり、今回の「青木島遊園地問題」についても その経緯…ましてや18年前に何があったかなど知る由もなかったことでしょう。

そうなると、彼にとっての情報ツールは「担当職員からの説明(報告)」に他ならないところであり、で その説明自体が「斯く斯く云々(かくかくしかじか)で問題ありません。」というものであれば「分かった。」というのが前提となるのは やむを得ないと申せます。

しかし そのうえで、社会通念上または市長ご自身の感性の中で「おかしい」と感じることがあれば そこは指摘して掘り下げるべきでありましょうし、ましてや今回の場合は「遊園地存続を!」と願う市民の声が日増しに高まっていることから、これまでの市(職員の)報告を鵜呑みにすることはできないだろう と、私の立場でも思うところです。

 

で そのことにダメを押したのが、さきに行なわれた区長会との会談であったようです。

これまでの 市(職員)の説明によれば、区長会は一致して 市に遊園地廃止を〝要望〟したとされていましたが、市長が実際に区長会に足を運んでみると 区長の中にも遊園地存続…そこまでゆかないまでも「改めて住民の声を聞いて 場合によっては再考すべき」との声も上げられたとのこと、このこと一つ取ってみても 今までの報告で「了」とはできないことに(市長自身)気づいたのかもしれません。

(このことは 1日会見での「(区長たちは)反響が大きいことに困惑している様子だった。」との市長発言にも表れています)

 

これまでは、市(職員)の敷いたレールの上を走っていたが、周囲の様子や乗客の反応が 言われていた中身と違う…であるとするならば、今回は自分の意思でポイント(分岐器)を切り替えて乗客の望む路線に変更しよう。

そう英断されるとすれば、これは多くの世論に叶った判断といえるでありましょう。

 

 

そのうえで 来る2・11の住民説明会は、どのような目的で行なわれるのか・集会で何を得ようとしているのか が注目されるところです。

これまでの既定路線を頑(かたく)なに守り「住民の声を聞く」としながらも、それはいわば〝ガス抜き〟に終始し、結局は遊園地廃止の方向に進むのか。

それとも、集会で出された〝住民の声〟を真摯に受け止め、市長たる自身の考えに基づき然るべき判断を下すのか。

 

1日の会見で荻原市長は「住民の声を直接聞き、なるべく多くの判断材料を集めたい。」とした一方、方針を覆す可能性については「何か心の中に持っているわけではない」「答えるのは難しい」などとするにとどめたうえで「最終的には 市長たる私が決める。」旨を述べていたとのことです。

おそらくは、遊園地の存続を願う市民(住民)のみなさんは 荻原市長の来訪を歓迎したうえで、自分たちの「思い」を率直に訴えることでありましょう。

それら「心からの声」に 荻原市長がどう応えるか。

 

一連の経過によって、内外の評価が失墜した(しつつある)長野市です。

それらを踏まえ、来る集会での市長対応は、この遊園地問題に止(とど)まらず 長野市全体の今後の評価にも関わってくる 一大関心事となってくるのは必定です。

そして何より、行政体のリーダーとして 多くの市民の願いを敏感に感じ取り、それを政策反映するスキルがあるかどうか…問われることは多いと申せます。

 


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青木島遊園地廃止問題 =騒音と煩音(はんおん)=

2023-02-01 | 日記

長野市における「青木島遊園地廃止問題」は、今や全国的な社会問題にも発展することになっています。

 

今回の騒動の発端ともなったのが、遊園地の近隣に暮らす住民(Aさん世帯)が 遊園地を取り巻く環境下で発せられる〝音〟について「うるさい」と苦情を述べた(発信した)ことであることは周知のところです。

遡ること18年前に この「青木島遊園地」が住民要望によって設置され、爾来 隣接する児童センターの利用者(児童)や、保育園の園児の居場所(遊び場)として活用されることとなっていました。

しかし  そんな中、遊園地設置後ほどなくして 近隣に住むAさん世帯から「うるさい」との苦情が寄せられるようになりました。

で、この苦情に対し 市は(これまでもレポートしているとおり)いわば対処療法的な〝その場しのぎ的対応〟に終始、結果 問題を引きずったまま時間ばかりを経過させてしまったうえ、あげく此度(こたび)の「唐突な施設廃止判断」に至ってしまったものであります。

 

今回の案件は、遊園地に絡む〝音による被害問題〟と位置づけられています。

そんな中で、いったい どの「音」が問題とされたのか?そして どの程度の「音量」が問題とされたのか?が話題(問題)となり、そのうえで「〝うるさい〟との苦情への対処の仕方」が やはり話題(問題視)される(された)ことになっています。

苦情の発端となった〝音の種類〟については、遊園地で遊ぶ児童や園児が上げる声・敷地内を走り回ったりする際に生じる様々な音・子どもを指導する大人の声、さらには 児童を迎えに来た保護者が乗ってきたクルマのエンジン音やドアの開閉音・大人同士や親子間の会話等々 多岐に亘るものであることが伝えられています。

そして 次に問題となっているのが、今回 被害を受けたとされる様々な「音」について、その大きさの程度(音量)です。

Aさん世帯が「うるさい」とされる「音の〝大きさ〟」については、どの程度の音量をもって「うるさい」と認定できるのか(またはできないか)が 重要かつ難しい作業となっています。

 

いわゆる〝騒音〟については、国・県・市ごとに一定のルールが定められています。

国(環境省)においては「騒音規制法」があります。

この法律は「工場及び事業場から発生する騒音・振動を規制し、騒音・振動の防止対策を推進する法律」で「法で定める特定施設を設置する工場及び事業場から届出を義務づけ、規制基準を設け、著しい騒音振動を発生させる建設作業等を特定建設作業として届出を義務づけ、規制基準や作業時間制限を設ける」となっています。

長野県では「良好な生活環境の保全に関する条例」に基づく騒音規制があります。

これは主に「深夜営業騒音に関する規制基準及び音響機器の使用」についての時間制限を設けているものです。

一方、長野市においては「長野市公害防止条例」に基づく騒音規制があります

これは、国による「騒音規制法」を補完するため、同法で定める特定施設及び特定建設作業の対象を拡大しています。拡声機を使用する商業宣伝行為について 規制基準と禁止区域を設けています。

ご一読のとおり、現行の法律や条例は 例えば工場の作業音だったり建設現場の掘削音だったり、また深夜営業に対する規制だったりとの、いわば特有の分野に限られていることがお判りと存じます。

つまり 現行のルールでは、現下の青木島遊園地の「音」に関する問題に 法規を根拠に介入することはできないのです。

 

今回の案件を巡って「うるさい」を認定するかどうかの議論の中で「各種の騒音の音量(デシベル)を測定して判断すべき」との意見が出されていることを側聞していますが、現下のルールでは如何(いかん)ともし難いのは前掲のとおりです。

で あるとするならば逆に、Aさん世帯が「うるさい」と主張していたのは あくまでAさん世帯の主観であり、デシベルなど客観的事実(数値など)に基づかないものであることから、市とすれば その主張を丸呑みにせず、何らか別の対応ができたのではないかと思い そういう点では残念に思うところです。

 

ではナゼ、Aさん世帯は「うるさい」と強弁し、市はそれに盲従することになったのでしょうか。

騒音問題に詳しい専門家は、このような場合を「騒音」ではなく「煩音(はんおん)」と分類しています。

「煩音」とは 読んで字の如く「わずらわしい音」ということだそうです。

いわば「騒音」とは「音量が大きく、耳で聞いてうるさく感じる音」であり、それに対して「煩音」とは「音量がさほど大きくなくても、自分の心理状態や相手との人間関係によってうるさく感じてしまう音」のことだそうです。

言い方を変えれば、騒音とは「聴覚的にうるさく感じる音」で、煩音とは「心理的にうるさく感じる音」とも言えるとのこと。

もっと言えば、騒音とは「感覚的にうるさく感じる音」で、煩音とは「感情的にうるさく感じる音」だそうです。

 

 

 

 

さらに識者は、現代の「音」を巡る問題は、その多くが騒音問題というより「煩音問題」だとしています。

その見極めとすれば、航空機の音や道路の自動車音 あるいは工場や建設作業の音などは「騒音」ですが、隣近所から聞こえてくる生活音や 公園や学校などから聞こえる子どもの声などは「煩音」と分類されるのではないか。

なぜなら 生活音や子どもの声は昔も今も同じ音量であり、昔はだれもうるさいとは言わなかったから。〝音が変わった〟のではなく、それを聞く〝人間の側が変わった〟と指摘しています。

 

「騒音」と「煩音」には大きな違いがあります。これまで多くの公害騒音問題がありましたが、これが拗(こじ)れて人と人との争いに発展したと事例はほぼなかったそうです。

過去に 航空基地騒音や低周波数騒音などでは激しい闘争や訴訟が行われ、被害も深刻で甚大なものとなりましたが、過去においてそれが人と人との争いにつながった事例は無いのです。ところが、煩音の代表格である近隣騒音では 些細な音でご近所トラブルに発展しています。

すなわち「騒音」では事件は起きないが「煩音」では事件が起きる とのことのです。

 

で…ここからが むしろ重要なのですが、これら「騒音⇔煩音」の事象に対応する方法は、それぞれ異なるものになるとのこと。

まず「騒音」の対策は 言うまでもなく音量の低減、すなわち防音対策です。

一方、煩音対策で必要なことは防音対策では無く「相手との話し合い」であり それを通じた「関係の改善」です。これを混同すると、トラブルの解決どころか、さらに状況を悪化させることにもなりかねません。

 

苦情の原因が「煩音」からきているにも関わらず、受けた側が それを「騒音」と解釈し (苦情を言われて)ただ防音対策をすれば、「うるさい」と言った側の被害者意識はさらに強化され 相手への要求はどんどんエスカレートし、際限のないものになってしまう。

したがって〝近隣騒音〟に関して必要なのは「煩音対策」であり、騒音対策ではないのではないか。

「煩音対策」によって相手との関係が改善され 相互に信頼関係が構築できれば、今までうるさいと思っていた音もさほど気にならなくなることもある とのことです。

 

そんな近隣での音トラブル解決のためには 当事者同士の話し合いが必須ですが、当事者だけの話し合いでは 主張を要求するだけに終わる可能性が高く、トラブルは悪化しかねません。

そのため、そのには第三者の存在が不可欠です。

第三者の適切な介入により 双方が持っている相手を責める意識を取り除くことになり、それはすなわち「煩音問題」の解決のための要点でもある、としています。

 

無益な「近隣の音トラブル」を無くしてゆくためには、まず それが「煩音」であることを認知し(話し合いを前提に)適切に対応すること。

識者は最後に「近隣の音トラブルの原因はあくまで騒音に起因されるものであり、その対策は防音である」と考えている限り、解決の道は遠ざかるばかりです。」と結んでいました。

 

これらのことから 私は、今回の「青木島遊園地問題」における「音」問題は〝騒音問題〟ではなく〝煩音問題〟ではなかったか と考えさせられるところです。

と いうことは、その対処方法も「煩音」に則(そく)したもの…すなわち、防音のための造作(ぞうさく)ではなく、煩音を前提にした「話し合い」とすべきだったのではないか。

問題が起きてから約18年。今さら時計の針を戻すことはできませんが、せめて当時の背景を振り返るとすれば、当時の関係者は「煩音(はんおん)」を先んじて理解し それに見合った解決策=話し合い に臨んでいれば、こんな事態に至らなかったのではないか と忸怩たる思いを新たにするところです。


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青木島遊園地廃止問題 ~そこに内在する抜本的課題~ / 長野東高女子駅伝班優勝報告会

2023-01-30 | 日記

今や社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」について、市民の方々から 実にさまざまなご意見(声)をいただいています。

そして、その殆(ほとん)どが「(遊園地は)存続すべきだ」との〝声〟であることを実感しています。

「子どもの遊び場を大人の事情で奪うべきではない」と、遊園地を利用できなくなった子どもらを親身となって思う方々の声は日増しに大きくなっており、どの人に水を向けても同じ答えが返ってくるのです。

私自身、会う人ごとに「遊園地は存続を!」との〝民意〟を聞かせていただき「これ(民意)は 何とか行政に届けなければ」との 責任感のようなものを強く感じているところです。

 

でも、その一方で「区(区長)が廃止を決めたのだから(廃止も)仕方ないじゃん。」という風に言う人もおられます。

「だって、地元の区が設置を要望して設置されたものが、今度は地元の区が廃止を要望しての廃止。このことについては手続き上の瑕疵(かし)は無く、(遊園地の)廃止はやむを得ないよね。」というものです。

この〝手続き上の瑕疵(かし)は無い〟ことについては、至極ごもっともであり、長野市行政サイドも それ(区長の要望で廃止)を盾(たて)にして、これまで変わらず廃止を進めようとしています。

ところが、民意はそうでは無い。

地元住民をはじめ実に多くの方々が「遊園地存続」を願っておられる。

この いわば〝ねじれ現象〟の原因はどこにあるのでしょうか。

これは詰まるところ「区(区長会)の決定が 必ずしも民意を反映していない」のではないか と。

で、この矛盾ともいえる結論づけが 今回の問題の根っこにあり、そしてそれは、今の長野市都市内分権そのものの問題点でもあると言えるのです。

 

これまでも述べているとおり 今回の「青木島遊園地廃止問題」において 市は、設置するときには住民説明会を行なうも、イザ廃止となったら それ(説明会)も無く、区を相手に行政手続きだけを進めて(進めようとして)います。

ここで問題となるのが、区(区長)や関係者は 市からの打診を一部の役員さんだけで受け止めて解決(回答)してしまっていること…例えれば、市から投げられたボールを 住民の間でパス回し(=みんなで検討)することなく直接投げ返してしまい、それを受けた市は「はい、キャッチボール成立」とジャッジし、それを根拠に「手続きに瑕疵はない」として話しを進めようとしているのです。

ピッチ(地元)には多くの選手(住民)が居るのに、その人たちはボールに触れること無く たった2人の選手(区と市)のキャッチボールを眺めるだけで「はい、ゲームセット」と宣言されたのでは、ストレス以外 何も残らないというのが実際のところでしょう。

 

しかし これは、試合巧者の市行政チームの あざといゲームメイクと申せます。何というか〝隠し球を駆使する常勝チームの手法〟とでも申しましょうか。

今回の試合運び(青木島遊園地廃止)は、いわばルール上は問題は無いのです。

しかし であるからといって、チームメイト(住民・市民)を置き去りにして 半ば勝手にゲームセットを宣言してイイものでしょうか?

そこにはチーム内の分裂と禍根しか残らない、いわば空(むな)しい試合結果に終わるのではないでしょうか。

そうならないためにも、ここは一旦「タイム!」を取って もう一度円陣を組み、本当にそれでイイのか選手(住民)全員でミーティングを行なったうえで 相手(市)に投げ返すボールを吟味すべきです。

いわゆる全員野球による取り組みによる試合結果ならまだしも、一部の監督・コーチの専決的な判断による強硬(強行)なゲームメイクには、選手(住民)はもとよりスタンドの観衆(多くの市民)もブーイングを送るばかりとなるのは必定です。

 

このこと(行政手続きにおける住民合意を 住民自治協議会や区長会の一部役員と交わし了(りょう)とすること)は、今の市政運営における遍在化する課題ともなっています。

「住民合意」とは 何をもって了とすべきか、改めて その課題が浮き彫りにされています。

 

 

そして私は、今回の案件の〝もう一つの問題点〟を指摘せざるを得ないところです。

「歴代の担当職員たちが、何の問題意識も無く 課題をそのまま申し送っていたこと」であります。

青木島遊園地が設置されて18年・騒音問題も ほぼ同じ歴史を辿る中。

この間 おそらく複数回に亘る職員の異動が行なわれてきたことでしょう。

にも関わらず、一度(ひとたび)起こった苦情対応の稚拙なやり方は、職員が変わっても 何ら改善や工夫も為(な)されることなく、そのままの状態(稚拙な対応策のまま)で申し送られ、ただただ無為に年月を重ねることになってしまいました。

この間、途中で「これ(この対応)って おかしいんじゃないか。」と気づく職員はいなかったのでしょうか?

今回の稚拙な対応…百歩譲ってやむを得なかったとしても、途中 異動で着任した職員が「おかしい・ふさわしくない」と思って 改めて検討を行ない、事態の改善に向け早期に努力を重ねていれば、今のような泥沼決着(してませんが)には至らなかったのではないでしょうか。

で…これは非常に残念な予想ですが、所管となった歴代職員の中に 市の対応を「おかしい」と思った者がいても「前任がそうだったなら…」として 言うべきことも言わず、そのままを看過して業務を継続し 結果として事態を固着化することになってしまったのではないかとも思わされるところです。

このような 行政にありがちな〝悪しき前例踏襲〟が、今回の残念な経過の呼び水になってしまったのではないかと思うとき、残念というほか無いのが正直なところです。

 

そんな厳しい状況ではありますが、心ある地元住民は ひたすらに「子どもたちのため」を合言葉に、非常に純粋な心地に立って 青木島遊園地の存続を願い、地道な活動を展開されています。

そんな 純白なユニフォームで試合に臨む初出場チームが、試合巧者の常勝チームと どのような試合運びができるかは未知数でしかありませんが、いずれにしても 多くの声援(存続を願う世論)を背に全力を尽くしてもらいたい。

私も応援団の一員として「できること」を模索しながら、共々に歩んでゆきたいと思うところです。

 

 

 

 

 

 

◇長野東高女子駅伝班「都大路優勝」結果報告会

29日(日)、長野市内の若里文化ホールで 昨年12/25に開催された「女子第34回全国高等学校駅伝競走大会」で みごと初優勝を飾った長野県長野東高校陸上部女子駅伝班の優勝報告会が行なわれ、卒業生の一人・また地元住民の一人として喜びを分かち合いました。

 

 

 

これまでも何度も触れているように、私の母校でもある長野県長野東高校の陸上部女子駅伝班は、今や高校女子駅伝の「都大路常連校」となっており、そして 16回もの都大路出場を重ねる中、さきの第34回大会では初優勝を飾ったのでした。

 

[参考(回顧)]クラちゃんブログ

      ↓

第34回 女子全国高等学校駅伝競走大会で長野東高校が初優勝 !! - 倉野立人のブログです。

 

 

晴れの全国優勝です。本来であれば 飲食を伴う祝賀会が催されるべきところですが、あいにくのコロナ禍とうこともあり、ホールでの式典形式での「優勝報告会」となりました。

が…それが逆に 選手らからの感謝の思いが直(じか)に伝わる場となり、結果 思い出にも残る行事となったのでした。

 

 

 

番組の最後には「限定パフォーマンス」として、部員のみんなと、陸上で交流を重ね この日の報告会に駆けつけてくれた福井県鯖江高校の諸君と共にダンスを披露してくれ、手拍子・拍手の心温まるひとときとなりました。

 

 

 

式典終了後には、彼女らの練習拠点でもある犀川河川敷の隣地に在し 陰に陽に部活を支援する若葉町のみなさんと記念撮影。改めて共々に喜びを分かち合いました。

 

 

 

この、それぞれの立場を超えた一体感。

頑張る選手と、その活動拠点の整備を含めた物心両面で支援する地元住民とのコラボレーションの成果は、その一同の笑顔に凝縮されている感でありました。

 


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青木島遊園地廃止問題 ~長野市の説明に欠落しているもの~

2023-01-28 | 日記

今や大きな社会問題にもなっている、長野市の「青木島遊園地」の廃止問題。

去る23日に「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」が発足したことが契機となったように、関係するところで さまざまな動きがあり、改めて社会の注目を集めることとなっています。

このブログでも既にお伝えしているとおり、今回の遊園地廃止の決定プロセスにおいては 何ともいえない「釈然としない感」が満ち満ちており、経過を追えば追うほど「何で?」と思わざるを得ない事項が連なることとなっています。

この〝何ともいえない釈然としない感覚〟は、おそらく多くの読者みなさんも同じではないでしょうか?

 

これまでもレポートしているとおり、長野市は 遊園地廃止に向けて「6つの理由」を掲げ「だから廃止します」として結論づけようとしています。

しかし、その廃止理由には かなりの無理があり…何というか、合わないピースを無理矢理押し込んで完成させようとするジグソーパズルのようです。

 

 

 

そう、ほかでもない多くの市民は、市行政が無理矢理完成させようとしているジグソーパズル(=遊園地廃止)について「どう見てもピースが合っていない!」と指摘せざるを得ない状況になっているのです。

前掲の「(廃止に向けた)6つの理由」についても、先日のブログで簡単に触れたとおり その理由は何とも拙(つたな)く説得力に乏しいものであり、それをもって 市民の方々が「ヨシ、分かった!」と、首を縦に振ることにはならないことは ご案内のとおりです。

 

そのうえで 今回の案件には、物事の根本的な視点が欠落していると言わざるを得ないところであり、もしかしたら それが「釈然としない感」の大元(おおもと)になっているのでは…とも思わされるのです。

 

今の長野市の論法の中に欠落している点。

第一に それは「子どものためにどうすべきか」との〝基本的な視点〟が欠落しているのです。

そのそも あの遊園地は、地元住民の方々が「子どもたちのために」という思いで設置したものです。ところが、一連の問題が生じた際には そこのところ(子どもたちのために)の視点を置き去りに話しを進めようとしていることに、(私を含め)多くの市民が「釈然としない」思いを抱かされているのではないか…と考えます。

長野市が掲げる「6つの廃止理由」は、あくまで〝大人のケンカ〟をどう片つけるかに腐心した末の無理矢理の結論であり、そこに「子どものためにどうすることが最善か」の議論は存在しません。

クレームを寄せた住民への〝対処療法〟は、子どもを黙らせる・遊ぶ子どもの数を制限する・ひいては 遊園地から子どもを引き上げ、建物内に押し込める 等々、物事の解決のために 全て〝子どもを犠牲にして〟その場を凌(しの)いできただけなのです。

この 本末転倒の論法に、私たちは大きな違和感(釈然としない感)を禁じ得ないところです。

 

第二には、市民(近隣住民)への説明不足…もっといえば〝説明の回避〟という点です。

前掲のとおり、この遊園地は 近隣住民の要望によって設置された施設であり、設置の際には事前の住民説明が行なわれたと聞き及んでいます。

ところが です。

今回の降って沸いた「遊園地を廃止します」の決定の際には、そこ(廃止)に向けた事前の説明会が開かれた形跡は無く、いわば〝後出しジャンケン〟のようなのです。

このことについて市は「区長さんとの話し合いを行なった」と説明(言い訳)をするところですが、代表者(区長さんら)と話したから それで全ての市民への説明に代えるというのは、あまりに乱暴な話し。もっと言えば「遊園地を造るときは全員集めておいて、廃止のときは一部住民の承諾で済ますのはオカシイ」と言えるのではないかと思います。

さらに言えば、市は「説明」の対象の範疇(はんちゅう)に、主たる利用者である「子どもたち」を含めていないこと…もしかしたら これこそが、市の行動が「釈然としない」最大の理由ではないかとも思われるところです。

 

 

ところで、一連の問題が表面化して以降 荻原長野市長は「住民の方々の声を聞きたい」と再三に亘り発言していました。

そのうえで 12月議会終了後に「現地を訪れる」との報が入ってきたことから、私を含め関係者は 少なからず期待を抱いたものでした。

ところが、です。

今回の件で 荻原長野市長が最初に足を運んだのは、なぜか 同じ青木島でも「小学校」だったのです。

なんで、小学校?

本来 市長が行くべき先は、問題の渦中にある「児童センター」や「保育園」ではなかったでしょうか。

 

 

そこで、職員・さらに〝主役〟である子どもの声に耳を傾けることが 先ずすべきことではなかったのでは。

 

 

 

また、市長は「区長会などと意見交換を行ないたい」と、記者会見などの公(おおやけ)の場で述べていました

 

 

 

私たち関係者は、市長が いつ区長会に足を運ぶのか・そこで何が語られるのかを大きな関心をもって その日を「待って」いました。

ところが、です。

後の情報で、荻原市長は 去る25日、いわば〝電撃訪問〟の形で(周囲に)予告することなく更北区を訪れ、そこで区長さんらと話しをつけてきてしまったそうなのです。

事前の「行きます!」とのアドバルーンは高く上げておきながら、実際の来訪は いわば頬っ被り(ほっかむり)をしてナイショで行なう…何だか裏をかかれた感の私たちは「何だかなァ…」と 至極残念に感じたものでした。

 

そのうえで、翌日の新聞には 市が「住民説明会」を行なうことが報じられました。

で 私たちは、当然 市長が(説明会に)出席すると思っており、その前提で記事を追ってゆくと…

 

 

 

あろうことか 所管の公園緑地課は、市長の出席について「答えられない」としていたのでした。

この記事を見て「残念」と思ったのは、私だけではないでしょう。

 

 

 

なぜ 市(市長)は、そんな〝様子見〟のようなことをするのでしょうか。

本当に、遊園地の廃止について 一点の曇りも無いとすれば、市長自身が住民説明会に出席して 堂々と廃止を明言すればイイじゃないですか。

 

それが 直ちにできない。もしかして「雲行きが良ければ出るし、悪ければ出ない」というのか。

それは まるで「勝てそうな試合なら出場するし、負けそうなら出ない。」との日和見主義に他ならず、あざといエントリー判断と言わざるを得ません。

たしか荻原市長は オリンピック金メダリスト。スポーツマンシップを極めた人ではなかったか。

そんな氏が、市民と直接向き合う場に「出るか出ないか答えられない」とは…残念というか 情けないとまで言いたくなるところです。

かういう私も、少なからず「アスリート出身」の荻原市長に期待を寄せる面があり…イヤ 今でも期待している者の一人です。

ところが、そんな華麗な経歴を経ての今回の成り行きには 何というか私の期待に水を差されたような顛末になっており、残念でならないところなのです。

 

 

・・・・・・。

今回の「青木島遊園地廃止問題」は、長野市が「子ども」に向き合う姿勢を問われることとなっています。

これまでの荻原市政は、市長が就任後のさまざまな場面で 自身が4人の子どもの父親であることを口にしており、市長選の公約でも「子育て支援」を強調し、新型コロナの影響を受けた子育て世帯への独自の給付金支給・10月には福祉医療費給付金制度の見直しも市社会福祉審議会に諮問するなどし、そして、各部署にまたがっていた子育てに関するさまざまな相談にワンストップで対応する こども総合支援センター「あのえっと」を設置するなど、子育て支援に力を入れ それなりの評価を得てきました。

 

 

 

しかし…これは非常に残念ながら、今回「青木島遊園地」を廃止に追い込むことで、これまでの「子育て環境重視」の荻原市政の評価は 大きく下落することになってしまうでしょう。

いくら詭弁(きべん)を弄(ろう)してみても「子どもの居場所を奪った市(市長)だよね…」の〝黒歴史〟は消すことはできず、事(こと)ある毎にそのマイナスイメージが付きまとい〝そういう目〟で見られ続けることは必至であると言わざるを得ないところです。

 

繰り返せば、今回の「青木島遊園地廃止問題」において、長野市(市長)は いちばん肝心な部分を置き去りにして話しを進めようとしている。

でも、今ならまだ間に合うのです。その身にかかろうとしている汚名を 今なら払拭することができる。

さきに発足した「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」は、決して施策の転覆を狙うクーデター組織ではなく、それどころか 課題の円満解決を願いながら住民の総意に基づき(存続に向けた)純粋な活動を行なっておられるのです。

市(市長)は、今こそ これら純粋な団体と胸襟を開いて意見を交わし、共に「子どもたちのため」を共通理念に(一緒に)歩む道を選ぶこと。その英断で 皆が上げた拳をおろすことができる、そのことに気づいてほしいと願うばかりであります。

 

荻原長野市政の「未来ある子どもに向き合う真の姿勢」が問われています。

 

 


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青木島遊園地廃止問題 〜誰がどう見ても釈然としない廃止理由・経緯~

2023-01-26 | 日記

今や 長野市イヤ全国的な社会問題にもなっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、長野市が唐突に「施設の利用停止→3/31で廃止」を打ち出して以来、さまざまな方面・者(人)からさまざまな意見が寄せられることとなっています。

 

それら さまざまな経過を経る中で、過日「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」が発足されたのは ご案内のとおりです。

今後 会のメンバーさんらは、純粋な心根のうちに 子どもの居場所が維持できるよう、この遊園地の存続を期して活動展開することになります。

 

ところで この青木島遊園地を巡るさまざまな問題は、18年の年月を経る中で 多くの「矛盾」ともいえる事象を孕(はら)みながら推移していることが報じられています。

そして その経過の多くに、何とも釈然としない出来事が累積しており「ホントに こんな状況で廃止を決めてイイの?」と聞きたくなるような様相となっています。

 

問題の追求は、主に信濃毎日新聞の「声のチカラ」というコーナー展開されています。

このコーナーで 昨年12月に、かかる青木島遊園地の廃止問題が取り上げられ、その(問題の)性格上 社会の注目を大きく浴びることとなり、現在の状況に至っております。

この問題を記事として取り上げたM記者は、独自取材を交えて 多岐に亘り遊園地廃止を取り上げています。

そして その取材により、市の対応等にさまざまな齟齬(そご)がある(あった)ことが炙(あぶ)り出されています。

 

遊園地で遊ぶ子どもたちに対する苦情は2021年3月の1回だけだったのに、その後も複数回に亘って苦情が寄せられてきたとの間違った報告や、それまで20~30名の児童が遊園地で遊んでいたのに、その事実が無かったとする報告を挙げるなど、その内容の多くに事実誤認があったことが取材によって明らかになっています。

 

 

 

また、後の記事では「青木島遊園地」の維持管理の担い手について、一部の近隣住民による苦情によって担い手確保が見通せない状況の中、草刈りなどの活動を行なってきた隣接の児童センターの館長が市側に「(遊園地を使えないなら)活動を担えない」と伝え、その後の区との話し合いの中で「(苦情により)子どもたちが遊園地を利用できないのであれば、このまま施設を継続する必要がないと思う」という流れができたこと、さらに後の話し合いでは 児童センターの館長が「翌年度以降は草刈りなどの活動は担えない」と遊園地の管理にダメを押すなどしたことから、区長から「児童センターなどで利用しないのであれば、廃園するしかない」との意見が出ることとなってしまったことが伝えられていました。

で、その意見交換の後に 市(公園緑地課)は「廃止するには区から『廃止届』を出してもらう必要がある」と説明し、そこに「市(公園緑地課)としては閉鎖してほしいとは言っていない」と付け加えた上で「来年からは地区で 草刈りなどの愛護会活動をお願いできないか」と尋ねました。これに対し、区長からは「使っていない遊園地をこのまま存続するのもいかがなものか」との意見が続き、最終的に区長会が廃止届を出すことになったのです。

しかし 長野市には遊園地廃止に関する規定を設けていないことから、遊園地を廃止するのに地元区長会の廃止届は必要ないのです。にもかかわらず区長会に廃止届を出させたのはナゼか?など 記事を通じても釈然としないことが指摘されていました。

 

 

 

さらに、長野市がホームページにUPしている「青木島遊園地の廃止を判断した経緯について」も、何だか釈然としない内容になっています。

 

「青木島遊園地の廃止を判断した経緯について」長野市ホームページ

            ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kouen/722195.html

 

この中で、PDF版で 改めて「青木島遊園地の廃止を判断した経緯について」が掲載されているのですが、それを読んでも 釈然としない説明が列挙されているのを実感させられます。

 

 

 

この項「廃止を判断した理由」として「はじめに」に〝「一人の意見で廃止」と報道されてきましたが、青木島遊園地廃止の判断に至った理由は次のとおりです〟とされています。

冒頭から「言い訳」で入る異例の展開となっています。

その後、6つの理由が箇条書きされているのですが、その一つひとつが釈然としない記述となっています。

① 児童センター・保育園・小学校に囲まれた立地の特殊性から利用が集中する環境

  →そもそもこの遊園地は、これらの子どもがみんなで利用する(遊ぶ)ための環境じゃないか。

② 現在、遊園地がほとんど使われていない状況

  →実際には「使わせていない状況」じゃないか。

③ 近隣施設の管理者からの「これからも遊園地は使わない」というご意見

  →これとて 使わせなかったから招いた状況じゃないか。

④ 設置を要望した地元区長会からの廃止の要望

  →廃止要望は 市が出させた(出すように仕向けた)のではないか。

⑤ 愛護会活動の担い手がいないこと

  →担い手は、いる。

⑥ 遊園地用地が借地であり、今後も借地料が発生していくこと

  借地料は、それを承知で契約したものであり、それを今さら何だ。

 

と、読めば読むほど、釈然としない記述となっています。

 

 

・・・・・・。

長野市は、いったい何で この遊園地の廃止にしがみつくのでしょうか?

何を潰したい、いや潰すことで いったい何を守りたいというのでしょうか。

一連の黒歴史の中で、一番の被害者は なにいう無垢な子どもたちです。

大人の都合(不毛な争議とその不適切対応)によって我慢を強いられる日々…言っちゃあ何だが コロナよりタチが悪い。

 

こんな結末を許してはならないと思う。

しかし、既に賽(さい)は投げられたとの気配が…

この悪しき流れの中で、市民の良識は通用するのでしょうか。

 


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青木島遊園地の存続を願う地元住民の会が発足 〜影ながらのお手伝い〜

2023-01-24 | 日記

今(25日)、議会の行政視察で 新潟県三条市に来ています。

戸外は大荒れ、雪が横から降る(吹く)嵐の様相となっています。

本来だと24日~26日の予定でしたが、公共交通機関の計画運休もあることから、予定を早めて今日(25日)に帰長することになっています。

 

で…この週末、ブログの更新が儘(まま)ならなくなってしまいました。
読者のみなさんにおかれては「何やってんだ!?」と思われた方もいらしゃったことと存じますが、実はこの週末 不測の「オファー」が舞い込み、その対応に追われることとなってしまったのです。

この場では、その詳細についてご報告いたします。

 


先週の 確か金曜日、旧知の知人から「私の知人が悩みに悩んでいるので、相談に乗ってほしい。」とのことでした。

内容は?と問えば「青木島遊園地の存続問題です。」とのことでした。

この件に関しては みなさんも既にご案内のとおり、今や長野市のみならず 全国的な話題になってしまっていることもあり、その件について「ぜひ相談に…」とあっては断る理由も無く、時間を合わせて面会させていただきました。

その方(Aさん)によると、青木島遊園地を巡って 市が「廃止」の方向に進み、もはや既にその方針を固めつつあることに対し、遊園地の周辺(青木島地区周辺)に暮らす多くの心ある住民の方々が心配の声を挙げている というのです。

で さらに、その真意はと問えば、かかる多くの地元住民の方々は「青木島遊園地の存続を願っている。」とのことなのでした。

このことに関しても各位ごとご案内のとおり、市(公園緑地課)は 来る3月31日をもって同遊園地を廃止することを決定し、行政手続きに基づき 廃止に向けた作業を粛々と進めることになっています。

で、このこと(廃止理由)について市は「地元区からの要望に基づいての廃止」としていますが、しかし 周辺住民の「思い」は全く逆…実に多くの住民が施設の存続を求めて(願って)いる とのことなのでした。

さらに伺えば、住民の方々は 昨年末頃、公園を管理する「愛護会」が、その活動ができなくなったとされ、それ(愛護会活動の休止)が遊園地廃止の理由の一つに挙げられていることも「事実誤認である」とし、それならば と、心ある(公園周辺の)住民に愛護会の再結成を募ったところ、10名を超える方々が手を挙げてくださり まさにアッという間に再結成の動きとなったそうです。

さらに、子どもに対して思い入れの深い 区長経験者の方(Bさん)が、この際は 地元住民による「遊園地存続を求める会」を設立し、市(市長)に対して 地元住民の思いを伝え、市(市長)の理解と共感を得たうえで 遊園地の存続を果たしてゆきたい、との 実に純粋かつ熱意に溢れる意思表示をされておられたのでした。

そんなみなさんの真摯な思いを伺い、私も共感せずにおられませんでした。

ただ、リーダーのBさんが「あくまで地元住民の手で活動展開したい」との思いや、私たちのような者が過干渉すれば あらぬ力学(りきがく)が生じかねないことから、あくまで黒子に徹することとし、いわば裏方として活動をお手伝いさせていただくことといたしました。

とは言っても、この手の活動は最初が肝心。私の方では かかる「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」の設立・さらに「愛護会」の再結成にあたっての それぞれの団体の「規約」の原案づくりを行ない、さらに Aさん・Bさん さらに遊園地の隣りに住み、施設の設置の際に中心的役割を果たしたCさんなどを核とし「賛同者」を募ることを提言しました。

 

で…活動を始動した中、私は この活動が〝時間との戦い〟であることを直感的に感じました。

と いうのも、どうやら荻原市長が 来週の半ばに当該の更北区に足を運び、そこの区長会と面談するらしいとの情報が伝わってきたのです。

そのことは、残念ながら現時点で「遊園地廃止」を明言している市長が当該の更北区に行くということは、民意を理由(詭弁)として「廃止でよろしいですね。」との悪しき念押しをしに行くとの〝来訪目的〟が透けて見えることから、その〝儀式〟が終わってしまえば いくら熱心な活動を立ち上げても遅きに失することとなり、その努力の大部分が徒労に終わってしまうことが想定(懸念)されると〝直感〟したのです。

もし、心ある住民の思いを少しでも現実に近づけるためには、何としても市長が更北区に行く前に 新たな組織の立ち上げを内外に表明しなければなりません。

 

そうなると〝善は急げ〟であります。

私や 既に活動の指南にあたっておられる同僚議員の立場として、組織の規約の作成や 活動のベースとなる会を組織化するよう準備を急ぐことを促すと同時に、それと並行して 週明け早々に記者会見を行なったうえで「要望書」を市(市長または都市整備部長)に提出する段取りに奔走することとなりました。

いわば 本来はマラソンの距離を100m走のペースで走るかけっこのようなものです。

 

ただ幸い 今回の活動メンバーは、いわば〝チルドレンファースト〟の心からか 合流当初から気持ちが通じ合っており、非常に慌ただしい中での行動も関わらず 互いを尊重しながら、必要に応じて作業を分掌するなど、まさに阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)で事(こと)に臨むことができ、試行錯誤はありながらも 何とか要望書や規約などの関係書類の作成・記者会見や要望書提出の段取りをつけ、23日(月)に 突貫工事ながら本番を迎えることができました。

 

会の求めに応じて 23日に会場を確保(設営)すると、そこには多くの報道陣が集結 メディアの方も未だ強い関心を示していることが再認識されました。

 

 

 

記者会見は 会を主宰するKさん(元 青木島地区内の区長経験者)の主導で行われました。

Kさんの方(ほう)から、この会を立ち上げるに至った 地元住民の遊園地に対する思い=未来ある子どもたちの環境(の維持)に対する思いが語られ、そのうえで 今までの行政の偏(かたよ)った取り組み・多くの地元住民の思いを置き去りにした いわば一方的ともいえる行政手続きについて大きな疑問を呈したうえで、要望書の朗読をもって活動の趣旨説明とされました。

 

 

 

 

要望書の全文は下記のとおりです。

 

「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」要望書

 

 荻原市長を初め長野市職員の皆様には市民のために様々なご尽力をいただいておりますことに深く感謝申し上げます。

 私たちは昨日新たに「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」を発足させました。すでにj現在青木島遊園地の存続については、心ある方々による署名活動が行われており、大変心強く思っております。同時に地元住民の中からも地域の子どもたちのために遊園地を廃止してほしくないという多くの声があがっており、地元住民の思いを直接長野市に届けていきたいと居ても立っても居られない気持ちでこの会を発足させる運びとなりました。

また子どもたちも長年にわたって遊園地で遊べる日を待って我慢してきました。遊園地を残してほしいと願う子どもたちの代弁者としても今、声を届けていくのが私たちの役割と考えています。

そもそも青木島遊園地は平成16年地元区長会はじめ青木島小学校PTAなど関係者が土地を確保して長野市に要望して設置していただきました。残念ながらその後一部の住民から苦情が寄せられ、子どもたちをのびのびと遊ばせることができない状態が続き、センター関係者初め、大変苦慮しながらの対応となりましたが、私たちは今後も話し合いを重ねながら、子どもたちのためにこの遊園地を活用していけることに何の疑念もなく、子ども達を見守っていました。

ところが地域住民にとっては突然降って湧いたような青木島遊園地の廃止という報道に大変驚きました。設置するときは事前説明会を開催していただき、地域あげての要望を実現することができました。ところが廃止するときは地元説明会もなく、地域の意向が反映されることなく一方的に決められてしまったと感じています。多くの区長さんは廃止ありきで話が進んでしまったと戸惑っておられるのが本音のところと思います。

地域の中には他の公園もあります。しかしその周辺では同じように子どもたちの遊ぶ声に不快感を持つ住民がいることも事実です。ではその様なところを同じように苦情者の求めに応じて潰していってしまうんでしょうか。子育て支援と言いながら、一方的に大人の意向で廃止することを容認することはできません。

 遊園地の維持管理を行なっていく愛護会についても過日改めて正式に発足する運びとなりました。児童センター、保育園の職員、保護者のみならず青木島遊園地の周辺に暮らす方々の多くが愛護会メンバーに加わっていただくことになりました。

多くの住民が青木島遊園地の存続を心から願い、惜しみない応援をしてくれています。これが地元の偽りのない声であることをぜひご理解いただきたいと思います。私たちは長野市長に直接その思いを伝え、今後も地元関係者にもその願いを届け、力を合わせて遊園地の存続を求めていきたいと思っております。

また近いうちに荻原市長に多くの地元住民の思いを直接聞いていただき、市長のお考えもお聞きする機会を設けていただきますよう強く要望致します。

ぜひ地域の子どもたちを思う地元住民の思いを受け止めていただき、青木島遊園地を存続するよう求めます。

 

青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会

 

 

この記者会見を通じて、青木島遊園地=子どもたちの将来 に心を寄せる住民有志の強い意志が内外に表明されることとなりました。

今後は この要望書を市(市長)に提出すると同時に、一連の報道を見て共感する人・これまでの経過を知るなどして「やっぱりおかしいよね」と確信的に思う人たちが増え、それが濁(にご)りの無い いわば“真水の力”として大きく「育つ」ことが期待されるところです。

 

その後、一連の活動は 夕方の各局ローカルニュースで大きく報道されました。

 

 

 

報道は事実関係のみの伝達に止(とど)まりましたが、その内容について なんというか会の前向きな雰囲気のようなものが内外に伝えられ、今後の大きな反響が期されるところです。

 

 

 

その翌日(24日)には、会の代表者が改めて長野市(都市整備部)を訪れ、要望書を正式に提出したことが報じられました。

そのうえで これ(要望書)は、早いうちに荻原市長の元(もと)に届けるよう重ねて伝えられたそうです。

 

 

 

今後は、会の活動に賛同する住民の声を集積し、いずれは市長を囲んでの対話集会の開催をめざしてゆくとのことであります。

 

この市民活動について 各紙も報道を寄せていました。

 

 

 

その中(信毎/声のチカラ)で、これまで市が挙げてきた廃止理由に事実誤認があったことがスッパ抜かれ、これは改めて行政不信の温床になるのでは…と思わされたところです。

 

 

 

 

そのうえで、私は強く思います。

この会の活動は、単なる いわば〝クーデター〟であってはならない と。

市が無理無理に掲げた廃止理由に、言っちゃあ何だがウソやごまかしがあった。

それ(錯誤)に対しては毅然と「それは違う」と指摘しながらも、だからと言って「そっちが悪い・あいつが悪い」と断罪するのではなく、ときには相手の立場も理解しながら、最終的には「子どもたちのために最適な結論」を見出だす努力を共々に重ねることこそが大切と思います。

そのうえで、今回の遊園地存続運動を通じて「地元」の方々が改めて自分たちの住む地域のことに目を向けて 課題について共々に考えよう!との機運が醸成されれば何よりだと思います。

また一方で、この遊園地存続活動に関わるみなさんや 他の多くの課題に関わるみなさんには、市に(へりくだって)「お願い」する立場ではないということを意強く持っていただければ、とも思うところです。

市(行政)とみなさんは「対等」なのです。

確かに今までは、行政を「お上(おかみ)」と崇(あが)め、いわば役人の決めたことには盲従(もうじゅう)を決め込んできた時代もありましたが、ときは既に令和…時代は変わっています。

 

私の立場においても、みなさんに「対等」という位置関係を意強く持っていただくこと、でも対決姿勢では無い中で自分たちの意見を堂々と言えるよう、「おかしい」と思うときがあったら、それを堂々と口に出してアナウンスするできるようよう計らってゆきたいと思うところです。

 

 

私が見る限り、今後 この「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」の舟は、極めて純粋な地元住民の心を乗せて みんなで協力し合いオールを漕ぎながら「未来ある子どもたち」が待つ港へと舳先(へさき)を進めることでしょう。

その周囲にある 市行政や世論は、果たして追い風となるのか それとも行く手を阻(はば)む嵐となるのか…その成り行きは未知数ではありますが、おそらくは、いかなる荒天に見舞われようとも 会の方々の櫓手(ろしゅ)は揺るぐことなく、たとえ僅かづつでも前へ前へと進んでゆくことでしょう。

 

 

そんな純粋なみなさんを、私としても でき得る限り応援してゆきたいと思うところです。


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行政視察報告「伊勢市による 観光のバリアフリー」

2023-01-22 | 日記

諸般取り紛れ、ブログの更新が儘(まま)ならなくなってしまいました 💦

で、間(あいだ)が空いてしまいましたが、去年11/14~15に行なわれた 所属会派「改革ながの市民ネット」の行政視察報告(後半分)をさせていただきます。

 

 

◇三重県伊勢市「観光のバリアフリー」について

伊勢神宮が在する伊勢市は、多くの方々が参拝を兼ねて伊勢市を訪れること、その中には高齢で身体の動きが儘(まま)ならない人や 障がいのある人が少なからずおられることに鑑み、観光バリアフリーについて造詣を深めています。

令和元年には 三重県が定めた「共生社会ホストタウン」に認定(登録)されるなどして、県内でも観光バリアフリーに積極的に取り組んでいます。

 

伊勢市は「住む人と訪れる人が「おかげさまの心」を通じて交わえるまち」をメインテーマに掲げ「多様な主体を受け入れ、常若(とこわか)の精神とにぎわいにあふれるまち」を 4年後の伊勢市のありたい姿に定めて取り組むこととしています。

そのために「公共×バリアフリー」として 観光地のバリアフリートイレの整備・「民間×バリアフリー」として、宿泊施設のバリアフリー化「パーソナルバリアフリー基準」を推進(推奨)し、あらゆる宿泊客の様態を受け容れることのできる宿泊環境整備を推進するとしています。

 

そして、近年 伊勢市が重点的に取り組んでいるのが「観光×バリアフリー」としての取り組みであり、私たちは 実際に伊勢神宮に足を運び、その取り組みを体感することとし、そこで 類似の観光地(寺社仏閣を軸とする観光地)ながら、長野市との差のようなものを実感することとなりました。

 

 

 

伊勢神宮には「伊勢おもてなしヘルパー」として 有償ボランティアのガイドさんが置かれ、さまざまな様態の参拝客をサポートする体制が整えられています。

境内には 玉砂利の参道や、内宮正宮前の階段などの「バリア」がありますが「伊勢おもてなしヘルパー」は、身体状況や高齢などにより歩行が困難な方の車いす介助や 階段を上る際のお手伝いなどを行ない、参拝をより身近なものにしてくれています。

 

 

 

私たちが伊勢神宮を訪れた際も「ようこそ!」と出迎えてくれ、参拝の補助をしてくださいました。

 

 

 

伊勢神宮には、歩行が難儀な参拝客を対象に 電動車いすが配備されており、参拝客の到着から出立までの間をサポートしてくれます。

 

 

 

特筆すべきは その態勢(姿勢)。常に参拝客を気遣いながら、先ずは事故の無いよう そのうえで玉砂利などの歩くのに難儀な状態でも(参拝に)労を感じないスムーズな支援を行なってくれました。

その究極なのが、正宮への階段登坂支援です。

今までは 歩行困難ゆえに正宮の中に入る(階段を上らなければならない)ことをあきらめていた参拝客も、ガイドさんの支援で階段を上ることができるのです(同伴者の補助も必要)。

 

 

 

車いすの参拝客を、車いすに乗せたまま階段を一段々上り 最終的に正宮の中まで全員が入ることができたのでした(正宮内は撮影禁止)。

 

 

 

私は 今回の視察を通じて、伊勢市と同様に 寺社仏閣を観光の主体とする長野市との「差」を感じざるを得ませんでした。

前掲のとおり、有償ボランティアや電動車いすを配備し バリアフリー観光に万全を期する伊勢市に比して、長野市のバリアフリー体制(態勢)は あらゆる面で立ち遅れています。例えば善光寺境内においても、石畳や登り坂 また砂利敷設の部分も少なからずあり、参拝客の中には難儀を強いられている人も少なからずおられることでしょう。

 

今後 ますます高齢化が伸長する社会においては、観光地でのバリアフリーは欠かせない課題であると申せます。

そのことは、何も施設整備等のハード面だけでなく おもてなしの心の中にバリアフリーの精神を持つソフト面でのバリアフリーも大切な要素になってくると思います。

伊勢市で実感できた 快適で気持ちの良い観光経験を踏まえ、長野市においてもさまざまな面での〝バリアフリー化〟の重要性を再認識したところでありました。

 

 

・・

 

 

やいたしました。

 

 


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長野市スポーツ協会新年会 ~部活の地域移行が焦眉の急との共通認識~

2023-01-21 | 日記

去る日(17日)、市内で「公益財団法人 長野市スポーツ協会(以下/スポーツ協会)」の新年会が行なわれ、私は「長野市ソフトテニス協会」会長の立場で出席しました。

 

 

 

このスポーツ協会は、私の属するソフトテニスを初めとする球技はもとより、スキー・スケートや武道や水泳など さまざまなスポーツ団体で構成されており、いわば長野市スポーツ(団体)の集合体ともいえる組織です。

 

長野市は、そのキャッチフレーズを『スポーツの力で未来をつくるまちNAGNO』とし、スポーツを軸としたまちづくりの推進に努めています。

その具体的取り組みとして「第三次長野市スポーツ推進計画」を定め、その中(基本理念)で「スポーツは、体を動かすことそのものを楽しむことに加え、健康増進・まちへの誇りと愛着の向上・交流人口増加・地域経済活性化等・まちづくりの視点において多面的な効果を有する。これらの効果を高めることで、スポーツ分野から第五次長野市総合計画が目指す「まちの将来像の実現」に寄与することを目指す。」としており、スポーツが 競技としての取り組みに併せて「まちづくり」の視点においても重要な役割を果たしていることを示しています。

 

[参考]第三次長野市スポーツ推進計画

         ↓

https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/751729.pdf

 

 

 

このことは、私も学ぶ「スポーツコミッション」にも通じるところです。

「スポーツがもたらす多面的効果」の発揚に向け、ときに競技の枠を越えて取り組むことが求められています。

 

[参考]一般財団法人日本スポーツコミッション HP

           ↓

Sports Commission of Japan

 

 

スポーツは、そこに参加することにより 健康な身体や精神を醸成、その中では アスリートとして競技力向上をめざす者・生涯を通じてスポーツに親しんでゆく者など それぞれのスタンスに応じて豊かな人生を送るためのツールとして位置づけられています。

また最近では、実際にスポーツを行なう「するスポーツ」に加え アスリートの活躍を目にしながら応援する「みるスポーツ」そして 大会運営などのスタッフとして(運営を)支援する「支えるスポーツ」についても 広い意味でのスポーツと捉えられており、そういう意味では いろんな(スポーツの)楽しみ方があることを知りながらスポーツに親しむことが肝要と申せます。

 

 

また、出席者同士の意見交換の中で、今後「スポーツ」に取り組む中で、課題意識や 一抹の〝不安〟のようなもの(内容)が吐露され、共通認識を抱いたところです。

スポーツ それも競技団体を担い、競技力向上や底辺拡大に取り組む者(関係者)にとって 焦眉の急となっているのは「部活の地域移行」であります。

これについては 関心のある方は既にご案内のとおり、中学校の週末の部活動について 学校での活動を見直し「地域」に移行しようとする事業計画です。

その背景(目的)には「教職員の負担軽減」が挙げられています。

社会全体が「働き方改革」にシフトする中、こと教職員については 通常の日勤に加えて部活指導が負担として加わり、勤務状況が過度な状況に置かれています。

その状況を改善するために、この際 週末の部活については「地域」におられる有志の方に指導をお願いしたり、地域ぐるみで面倒をみていただく等の「移行」を行なおうとするものです。

 

しかしながら この地域移行は、いわば絵に描いたようにはゆかないのが実際のところです。

そこには、指導者の確保・練習場所の確保・(週末に多い)大会などへの選手の帯同・ケガや不測の事態に備えるための傷害保険の適用の問題等々、「移行」に向けては いわば実質的な課題が山積しており、霞ヶ関(スポーツ庁・文化庁・文科省)の号令にも応え切れていない(応えられない)のが実際のところです。

 

これらの状況に鑑み、所管のスポーツ庁と文化庁は「学校部活動および新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」を公表しました。

2023年度から3年間としていた公立中学校部活動の地域移行の目標達成時期を見直し「可能な限り早期の実現を目指す」と改めました。

要は(計画が)拙速に過ぎたことを認めざるを得なくなったということであります。

この「総合的なガイドライン」は、2022年夏に取りまとめられた 部活動の地域移行に関する検討会議の提言を踏まえ、去る2018年に策定したスポーツ庁と文化庁のガイドラインを統合したうえで全面的に改定したもので、学校部活動や新たな地域クラブ活動のあり方・地域移行に向けた環境整備・大会のあり方等を示しています。

この〝実質延長〟の背景には、現場の切実な声があります。

昨年末に ガイドライン案について意見を募集した結果「3年間の移行達成は現実的に難しい」との声が各方面から挙げられたことから、当初の計画を見直し 2023年度から25年度までの3年間を「改革推進期間」と位置づけ、休日の学校部活動の段階的な地域連携・地域移行を進めるものの「地域の実情等に応じて 可能な限り早期の実現を目指す」と明記し直したのことです。

今後、部活動の地域連携や地域スポーツ・文化クラブ活動移行に向けた環境の一体的な整備のために、部活動の地域移行等に向けた実証事業・中学校における部活動指導員の配置支援・地域における新たなスポーツ環境の構築等を盛り込むとしています。

 

いずれにしても、将来有為な生徒らがスポーツに親しめる環境を整えてゆくことは 各競技団体の責任事項でもあることから、今後も国等からさまざまな方向が示される中ですが ときに競技の枠を越えて、いわば域内(市内)の競技団体相互に いわば全体論として地域移行の円滑化に取り組んでゆくことで一致したところです。

 

 


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「知的障がいの少年を勧誘しての犯罪行為」にみる〝障がい者ビジネス〟

2023-01-20 | 日記

高齢女性から現金をだまし取ったとして特殊詐欺グループの指示役の男が逮捕されたことが報じられました。

で、ここまでは(残念なことですが)今や日常的に伝えられるニュースなのですが、今回のケースは ここから先が問題…この男は、軽度の知的障害のある少年たちをグループに勧誘し「受け子」として犯罪に加担させていたというのです。

私は この報道に触れ、怒りに震えると同時に その一方で、障がい者さんらへの向き合い方の難しさについて考えさせられることにもなったところです。

 

 

 

 

報道によると、都内に住む21才の容疑者は、一昨年に仲間と共謀し 埼玉県の高齢女性(76才)に息子を装ってウソの電話をかけ 200万円を騙(だま)し取った疑いが持たれています。

この容疑者は 特殊詐欺グループの指示役で、犯行の際に あろうことか軽度の知的障がいのある少年ら数人をグループに勧誘し、金の受け取り役(受け子)をさせていたとのことです(この少年グループのリーダーも逮捕済み)。

警視庁は、この容疑者が他の特殊詐欺事件にも関与し 被害総額はおよそ1,500万円に上るとみて捜査を進めているとのことでした。

 

 

今や社会に蔓延しているともいえる特殊詐欺。

罪もなき いわば疑うことを知らない高齢者を手玉に取り、狡猾(こうかつ)な口車によって それまでの人生をかけて蓄えた財産をかすめ取る知能犯は、許されざる悪行と断罪されるところです。

その手口は 今や〝劇場型〟ともいわれており、騙(だま)す側も ときに息子を語り、ときに警察官や弁護士を語りながら 高齢者を誘導しては高金(こうきん)をせしめるものです。

そんな犯罪グループに、軽度ながら障がい(知的障がい)を持つ人(少年)らが加担することとなったことは 私たちにとって少なからずの衝撃であると同時に、果たしてこの子らは どのような(どの程度の)認識をもって(犯罪に)加担することとなったのか、推し量るに苦慮させられるところです。

 

この容疑者に声をかけられた際、もしかしたら「頼む」と言われて それを意気に感じ、喜んで加担したのかもしれません。

で、もしかしたら「現金(ということすらも知らされていなかったかも)を受け取るだけ」と、その事件性すら知らされない(知らない)まま 言われたとおりに高齢者宅を訪ねていたのかもしれません。

そのこと(行為)は、詐欺に加担していると分かっていながら行なうことよりも不幸であると言わざるを得ないでしょう。

もっと言えば、障がいを持つ少年らの いわば社会参加の意欲を逆手にとって犯罪に加担させた(容疑者の)行為は、とても許されるものではないでしょう。

 

また もしかしたら容疑者は、少年らにまとまった金(いわばニンジン)をぶら下げて「モノを受け取るだけで この金をあげる」といって口説いたのかもしれません。

日銭にすら恵まれない少年らにとっては、それ(犯罪の報酬)は ノドから手が出るほど欲しかったのかもしれません。

 

一番の悪は、この容疑者です。

高齢者を騙(だま)すために、知的障がい者の少年らを丸め込み 犯罪に加担させた許されざる行為。

自分の欲得のために、無垢(むく)な少年らにも犯罪者の烙印(らくいん)を押させることとなってしまいました。

 

 

・・・・・・。

今回の事件は いわば極端的な事例と申せますが、事ほど左様に 障がい者をダシにした行為が 社会に遍在していることは由々しきことと思うところです。

それは犯罪ではないにしても、障がい者を障がい者として留め置いたままに利益や収益を得る行為は、いわば〝障がい者ビジネス〟といえるのではないか。

障がい者支援に取り組むグループ「Gotaホップ」のMくんは「その行為の先に 障がい者さんらの顔が浮かぶか否か」を〝真の障がい者支援と障がい者ビジネスとの分かれ目〟に準(なぞら)えます。

こんなことをして「それは障がい者さんらの真の益につながるか」と考えれば、行為の適否は自ずと判断できるでしょう。

それが「自分の利益のために障がい者がいる」と思った瞬間に、障がい者さんらへの敬意や尊厳が無くなり、あげく(今回のように)犯罪の片棒担ぎにまでしてしまう。

 

で、さらに罪なのが (前掲のように)誘われた障がい者さんらが、その誘いを意気に感じている(かもしれない)ことです。

「ボクを頼りにしてくれた!」と喜んで加担したとすれば、それは〝不幸の二重奏〟ともいえる事態です。

それを(おそらく)知りながら誘いをかけたこの容疑者。

同類の犯罪行為に比しても 許されざるあざとい行為といえるところです。

 


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救急車横転事故に思い知らされる、過酷な「現場」

2023-01-19 | 日記

ニュース報道で、昨年暮れに 出動中の救急車が横転事故を起こしたことがあったことが報じられ、それを聞いた瞬間には「スピードの出し過ぎなど無理な運転や 凍結路面でのスリップなど不測の事故に見舞われたんだろうか…」などと思ったところでしたが、報道を聞き及ぶうちに その事故の真相(深層)を知り、過酷な「現場」の状況に言葉を失いました。

 

報道によると、東京都昭島市の国道で 救急車が横転する事故が昨年末にありました。所管する東京消防庁は、この事故の原因について「事故を起こした救急車の運転手が、約17時間に亘って ほぼ休みなく活動し続けている状態で、内部調査に対し「眠気に襲われた」と説明している。」と明らかにしたとのこと。同庁は「新型コロナウイルスの感染拡大に起因する救急要請の増加に伴う連続勤務(過労)が事故の背景にある」とみているそうです。

 

 

 

警視庁によると、救急車は昨年12月29日午前1時50分頃、昭島市内の国道を走行中に中央分離帯に衝突して横転。搬送先の病院から消防署に戻る途中だったため車内に患者はいませんでしたが、乗っていた救急隊員3人が軽傷を負って別の救急車で病院に運ばれました。車内のカメラには、運転手のほか助手席に座る隊員が居眠りする様子が映っていたそうです。

東京消防庁によると、隊員3人は前日の28日午前8時半に出勤し 最初に出動した同9時から事故のあった29日午前1時50分頃までの約17時間、休憩も無く出動し続けていたそうです。

出動件数は7件でしたが、搬送までに1件あたり平均で約2時間以上かかっていました。コロナの影響で病床が逼迫(ひっぱく)しており、コロナ以外の一般の救急患者についても受け入れ先の病院を探すのに時間がかかっていたとのことです。

 

新型コロナウィルスのオミクロン株のまん延に伴う「第8波」の感染拡大が続いている中、その(感染者の)増加ペースと軌を一(きをいつ)にするように 搬送先がなかなか決まらない「救急搬送困難」のケースが急増していることは ご案内のとおりです。

総務省消防庁によると、救急隊到着から搬送開始まで30分以上かかり 医療機関に受け入れ可否を4回以上照会した「救急搬送困難事案」と定義されたケースが、年末年始の期間にも例年を大きく上回る状況にあり、病院での病床逼迫の度合いが高まることに並行して それ(救急搬送困難事案)の件数も増える傾向にあるとのこと。

 

 
 

冬の時期は 毎年寒さが誘因となる心疾患などの急病が増加、また今冬はインフルエンザの同時流行などにより患者(搬送者)の病状も複雑化しており、救急対応の数や内容が困難になっているそうです。

医療機関においても コロナ患者用の病床を増やすことで一般病床が圧迫され、結果 病院も受け入れ困難に陥り「救急搬送困難事案」に至っています。

搬送困難ケースでも 重症の場合は最終的に搬送先が見つかる場合が多いものの、今後も感染者数が増え続けると病床逼迫がさらに進み ひいては「救える命が救えない」事例が多発する恐れもあると警鐘が鳴らされています。

 

 

 

今回の事故を受け 東京消防庁は「事故を重く受け止め、救急業務の実施体制を見直すなど全庁をあげて再発防止に取り組みます。」とのコメントを出し、併せて「現状の出動時間と件数が続くと 現場はさらに厳しい状況に陥ります。緊急でない通報は119番ではなく「救急相談センター/♯7119」を使ってください。」と呼びかけていました。

 

 

コロナ禍が起きてから丸3年が経過し、ややもすると私たちは いわば「コロナに慣れっこ」になっている帰来(きらい)があります。

日々報じられるコロナ感染者数についても、(コロナ)発生当初は その数に一喜一憂したものですが、今となっては それが連日3桁を越えていても「またか…」程度の、いわば〝オオカミ少年状態〟となっています。

そのうえで「ウィズ コロナ」を標榜し、日常生活を〝通常モード〟に戻して社会経済活動を再開しています。

しかし「現場」は それ(感染者増)を看過することなどできません。

感染者数(分数の分母)が多ければ、自(おの)ずと その中で起きる救急搬送要請(分子)も増えることとなり、結果 救急車(隊員)が休み無く稼働→隊員の過労→居眠り運転→事故 との負の連鎖につながる。

 

また私は 今回の救急車横転事故に触れ、これまで〝医療現場の状況逼迫〟の視点が いわゆる医療機関のみに注がれていたが、そこだけじゃない…患者をそこ(医療機関)まで搬送する担い手(=救急隊員)の状況も逼迫していることを 改めて思い知らされたものでした。

おそらく、119番を通じて病裡(びょうり)に苦しむ通報者に対峙し その生命を助けたい一心で病院に受け入れ依頼をかけ、断られても断られても(それも時間との戦いの中で)粘り強く交渉を重ね ようやく決まった受け入れ病院に搬送する、その間の体力・気力の消耗度はいかばかりかと拝察するところ…したがって 今回の事故については、当該の救急隊員を責めることなどできようもないと強く思うところです(むしろ そうさせている社会環境を恨むところです)。

 

今回の事故は たまたま出動(患者搬送後)の帰途で起きたものであり、患者が同乗していなかったこと さらに乗車の救急隊員も軽傷で済んだのは不幸中の幸いでありました。

このような事故は二度と起きてはならないことは言うまでもありませんが、そのような事態に至らせてしまっている社会環境そのものについて、関係者はもとより わたしたち一人ひとりが向き合ってゆかなければならないと 改めて心をいたしたところでありました。

 


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阪神・淡路大震災から27年

2023-01-18 | 日記

1月17日は、(当時の)われわれ国民の誰の心にも焼きついている「阪神・淡路大震災」の発生した日です。

あれから27年の歳月が経過し、被災地をはじめ 各地で追悼の集いが行なわれたことが報じられました。

 

 

 

この大震災は、1995年(平成7年)1月17日の午前5時46分 兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡(北緯34度35.9分・東経135度2.1分・深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の大規模地震が発生したものです。

この地震によって、神戸市の市街地(東灘区・灘区・中央区・兵庫区・長田区・須磨区)に大きな被害が及ぼされました。

 

 

 

特に、震災の発生時刻が朝の炊事時間帯であったことから 地震に伴い各世帯で火災が発生、建物倒壊に加えての被害(災害)拡大の要因となってしまいました。

 

 

 

 

地震発生の報道を目にしたときの驚きは、今も忘れることはできません。

同じ日本で これまで見たこともない大震災が起こった現実。

多くのビルや高速道路の架橋が、まるでジオラマが壊れたように倒され 潰され、しかし その倒壊した建屋の傍らを被災した人たちが歩く様子を見て、これは本物(現実)なんだと 半ば自分に言い聞かせるようにテレビ画面を注視させられたものでした。

 

 

 

この震災に伴う犠牲者は6,434人にも達し、戦後に発生した自然災害としては過去最大の被害となりました。

この大震災においては、政府(官邸)の初動対応の遅さや 当時の建築物の耐震対策の脆弱さなど危機管理体制の(わが国の)未熟さが露呈することとなりました。その後『地震防災対策特別措置法』が制定されるなど 国全体として建築物等の耐震強化や災害対応体制の強化に動き出すこととなりました。

 

しかし、そんな災害対応強化策が講じられるも、2011年(平成23年)3月11日には あの東日本大震災ならびに長野県北部地震が発生、さらに令和元年には 豪雨に伴う令和元年東日本台風が発生するなど、私たちは二度三度(ふたたびみたび)の自然災害の痛手を受けることになってしまったのです。

まさに 大自然の無碍(むげ)なる現実を、その度に思い知らされるところであります。

 

 

 

 

阪神淡路大震災から27年…歳月は否応なしに過ぎてゆきます。

しかし 多くの方々が受けた被害は「現実(事実)」として現存する(した)ところであり、人々はその都度に その現実を背負いながら社会生活を送ってゆかなければなりません。

それでも 社会は回り続ける。

そんな時空の中で 私たちは何ができるのか・何をすべきなのか…試行錯誤を重ねながらの 災害を経たうえでの日々(にちにち)であります。

 

(神戸市新長田の鉄人28号の復興巨大モニュメント)


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