倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地廃止問題 =騒音と煩音(はんおん)=

2023-02-01 | 日記

長野市における「青木島遊園地廃止問題」は、今や全国的な社会問題にも発展することになっています。

 

今回の騒動の発端ともなったのが、遊園地の近隣に暮らす住民(Aさん世帯)が 遊園地を取り巻く環境下で発せられる〝音〟について「うるさい」と苦情を述べた(発信した)ことであることは周知のところです。

遡ること18年前に この「青木島遊園地」が住民要望によって設置され、爾来 隣接する児童センターの利用者(児童)や、保育園の園児の居場所(遊び場)として活用されることとなっていました。

しかし  そんな中、遊園地設置後ほどなくして 近隣に住むAさん世帯から「うるさい」との苦情が寄せられるようになりました。

で、この苦情に対し 市は(これまでもレポートしているとおり)いわば対処療法的な〝その場しのぎ的対応〟に終始、結果 問題を引きずったまま時間ばかりを経過させてしまったうえ、あげく此度(こたび)の「唐突な施設廃止判断」に至ってしまったものであります。

 

今回の案件は、遊園地に絡む〝音による被害問題〟と位置づけられています。

そんな中で、いったい どの「音」が問題とされたのか?そして どの程度の「音量」が問題とされたのか?が話題(問題)となり、そのうえで「〝うるさい〟との苦情への対処の仕方」が やはり話題(問題視)される(された)ことになっています。

苦情の発端となった〝音の種類〟については、遊園地で遊ぶ児童や園児が上げる声・敷地内を走り回ったりする際に生じる様々な音・子どもを指導する大人の声、さらには 児童を迎えに来た保護者が乗ってきたクルマのエンジン音やドアの開閉音・大人同士や親子間の会話等々 多岐に亘るものであることが伝えられています。

そして 次に問題となっているのが、今回 被害を受けたとされる様々な「音」について、その大きさの程度(音量)です。

Aさん世帯が「うるさい」とされる「音の〝大きさ〟」については、どの程度の音量をもって「うるさい」と認定できるのか(またはできないか)が 重要かつ難しい作業となっています。

 

いわゆる〝騒音〟については、国・県・市ごとに一定のルールが定められています。

国(環境省)においては「騒音規制法」があります。

この法律は「工場及び事業場から発生する騒音・振動を規制し、騒音・振動の防止対策を推進する法律」で「法で定める特定施設を設置する工場及び事業場から届出を義務づけ、規制基準を設け、著しい騒音振動を発生させる建設作業等を特定建設作業として届出を義務づけ、規制基準や作業時間制限を設ける」となっています。

長野県では「良好な生活環境の保全に関する条例」に基づく騒音規制があります。

これは主に「深夜営業騒音に関する規制基準及び音響機器の使用」についての時間制限を設けているものです。

一方、長野市においては「長野市公害防止条例」に基づく騒音規制があります

これは、国による「騒音規制法」を補完するため、同法で定める特定施設及び特定建設作業の対象を拡大しています。拡声機を使用する商業宣伝行為について 規制基準と禁止区域を設けています。

ご一読のとおり、現行の法律や条例は 例えば工場の作業音だったり建設現場の掘削音だったり、また深夜営業に対する規制だったりとの、いわば特有の分野に限られていることがお判りと存じます。

つまり 現行のルールでは、現下の青木島遊園地の「音」に関する問題に 法規を根拠に介入することはできないのです。

 

今回の案件を巡って「うるさい」を認定するかどうかの議論の中で「各種の騒音の音量(デシベル)を測定して判断すべき」との意見が出されていることを側聞していますが、現下のルールでは如何(いかん)ともし難いのは前掲のとおりです。

で あるとするならば逆に、Aさん世帯が「うるさい」と主張していたのは あくまでAさん世帯の主観であり、デシベルなど客観的事実(数値など)に基づかないものであることから、市とすれば その主張を丸呑みにせず、何らか別の対応ができたのではないかと思い そういう点では残念に思うところです。

 

ではナゼ、Aさん世帯は「うるさい」と強弁し、市はそれに盲従することになったのでしょうか。

騒音問題に詳しい専門家は、このような場合を「騒音」ではなく「煩音(はんおん)」と分類しています。

「煩音」とは 読んで字の如く「わずらわしい音」ということだそうです。

いわば「騒音」とは「音量が大きく、耳で聞いてうるさく感じる音」であり、それに対して「煩音」とは「音量がさほど大きくなくても、自分の心理状態や相手との人間関係によってうるさく感じてしまう音」のことだそうです。

言い方を変えれば、騒音とは「聴覚的にうるさく感じる音」で、煩音とは「心理的にうるさく感じる音」とも言えるとのこと。

もっと言えば、騒音とは「感覚的にうるさく感じる音」で、煩音とは「感情的にうるさく感じる音」だそうです。

 

 

 

 

さらに識者は、現代の「音」を巡る問題は、その多くが騒音問題というより「煩音問題」だとしています。

その見極めとすれば、航空機の音や道路の自動車音 あるいは工場や建設作業の音などは「騒音」ですが、隣近所から聞こえてくる生活音や 公園や学校などから聞こえる子どもの声などは「煩音」と分類されるのではないか。

なぜなら 生活音や子どもの声は昔も今も同じ音量であり、昔はだれもうるさいとは言わなかったから。〝音が変わった〟のではなく、それを聞く〝人間の側が変わった〟と指摘しています。

 

「騒音」と「煩音」には大きな違いがあります。これまで多くの公害騒音問題がありましたが、これが拗(こじ)れて人と人との争いに発展したと事例はほぼなかったそうです。

過去に 航空基地騒音や低周波数騒音などでは激しい闘争や訴訟が行われ、被害も深刻で甚大なものとなりましたが、過去においてそれが人と人との争いにつながった事例は無いのです。ところが、煩音の代表格である近隣騒音では 些細な音でご近所トラブルに発展しています。

すなわち「騒音」では事件は起きないが「煩音」では事件が起きる とのことのです。

 

で…ここからが むしろ重要なのですが、これら「騒音⇔煩音」の事象に対応する方法は、それぞれ異なるものになるとのこと。

まず「騒音」の対策は 言うまでもなく音量の低減、すなわち防音対策です。

一方、煩音対策で必要なことは防音対策では無く「相手との話し合い」であり それを通じた「関係の改善」です。これを混同すると、トラブルの解決どころか、さらに状況を悪化させることにもなりかねません。

 

苦情の原因が「煩音」からきているにも関わらず、受けた側が それを「騒音」と解釈し (苦情を言われて)ただ防音対策をすれば、「うるさい」と言った側の被害者意識はさらに強化され 相手への要求はどんどんエスカレートし、際限のないものになってしまう。

したがって〝近隣騒音〟に関して必要なのは「煩音対策」であり、騒音対策ではないのではないか。

「煩音対策」によって相手との関係が改善され 相互に信頼関係が構築できれば、今までうるさいと思っていた音もさほど気にならなくなることもある とのことです。

 

そんな近隣での音トラブル解決のためには 当事者同士の話し合いが必須ですが、当事者だけの話し合いでは 主張を要求するだけに終わる可能性が高く、トラブルは悪化しかねません。

そのため、そのには第三者の存在が不可欠です。

第三者の適切な介入により 双方が持っている相手を責める意識を取り除くことになり、それはすなわち「煩音問題」の解決のための要点でもある、としています。

 

無益な「近隣の音トラブル」を無くしてゆくためには、まず それが「煩音」であることを認知し(話し合いを前提に)適切に対応すること。

識者は最後に「近隣の音トラブルの原因はあくまで騒音に起因されるものであり、その対策は防音である」と考えている限り、解決の道は遠ざかるばかりです。」と結んでいました。

 

これらのことから 私は、今回の「青木島遊園地問題」における「音」問題は〝騒音問題〟ではなく〝煩音問題〟ではなかったか と考えさせられるところです。

と いうことは、その対処方法も「煩音」に則(そく)したもの…すなわち、防音のための造作(ぞうさく)ではなく、煩音を前提にした「話し合い」とすべきだったのではないか。

問題が起きてから約18年。今さら時計の針を戻すことはできませんが、せめて当時の背景を振り返るとすれば、当時の関係者は「煩音(はんおん)」を先んじて理解し それに見合った解決策=話し合い に臨んでいれば、こんな事態に至らなかったのではないか と忸怩たる思いを新たにするところです。

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