倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地廃止問題/長野市が「借地契約交渉に関する公文書作成せず」との報道に驚きと憤りが

2023-03-18 | 日記

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」について、17日に〝新たな事実〟が報道されました。

そして その内容は、長野市にとって非常に残念に他ならないものであり、私たち市民にとっては 何というか「またも裏切られた」と思わざるを得ない、やはり残念な内容でありました。

 

情報の出処(でどころ)は、NHK長野放送局・同局の独自取材によるものでした。

それによると、長野市が廃止を決めた青木島遊園地について (市は)存続に向けて行った地権者との借地契約に関する交渉経過を記録した公文書を作成していないことが(取材により)分ったとのことです。

 

 

 

この報道を耳にした瞬間 その事実を俄(にわか)に信じられない思いがすると同時に、何というか 砂を噛む思い…やり切れなさと 身内に裏切られたような残念な思いが湧き上がったものでありました。

 

報道の内容は以下のとおりです。

長野市が廃止を決めた「青木島遊園地」を巡っては 地元の住民から存続を求める声が上がったため、1月下旬から先月下旬まで 市が地権者と借地契約の延長交渉を行ないましたが、跡地利用の計画が進んでいたため交渉は成立しなかったということです。

交渉の経過を確認するため NHKが長野市と地権者とのやり取りが分かるメモなどを含むすべての公文書を対象に情報公開請求したところ、市は該当する文書は存在しないと回答しました。

交渉にあたった長野市公園緑地課は、NHKの取材に対し 職員の個人的なメモは残していることを明らかにしました。

一方で、情報公開の対象となる公文書を作成しなかった理由は特に無いが 今のところ作成の予定も無いとしています。

長野市は 去年行った地権者との公園廃止に向けた交渉については公文書を残したことから、現在開会中の市議会でこれまでの経緯が検証されていました。

このことについて 行政の情報公開に詳しいNPO法人情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は「職員が共有するはずの情報を公文書として作成しないのは問題だ。交渉が適切に行なわれたのかや妥当な判断だったのか、検証できなくなってしまう。」と話していました。

 

 

一方、信濃毎日新聞もこの件に触れ 記事を寄せています。

 

 

 

記事の内容は以下のとおりです。

「青木島遊園地」の廃止問題を巡り、市が存続を模索して土地所有者と交渉した経過の記録を公文書として残していないことが17日 分かった。

荻原健司市長は開会中の市議会3月定例会で土地の後利用計画があるとして廃止を表明。一方、市議会では具体的な交渉過程を明らかにしていない。専門家は政策決定の根拠を欠き、行政運営への信頼が揺らぐと指摘している。

市公園緑地課によると、市職員が組織的に用いるため職務として作成 取得した文書で情報公開請求の対象となる「行政情報」としては保存していないが、経過を記録した職員の個人的なメモは存在するという。同課のH課長は公文書として残していない理由について「交渉の都度、市長に口頭で報告しているため」としている。

情報公開に詳しいNPO法人情報公開クリアリングハウス(東京)の三木由希子理事長は「組織的に共有する文書もなしに交渉を進めることは、職員の記憶頼みで交渉を進めていると言っているのに等しい。行政運営が適正に進められているか疑念が生じる」と批判している。

 

この記事の中で 私が強い疑義を抱いたのが、取材に対して回答した所管課長の言葉です。

同課のH課長は公文書として残していない理由について「交渉の都度、市長に口頭で報告しているため」としている。

とのことですが…

 

 

 

ここまで拗(こじ)れた遊園地(土地)問題について、それも地権者との機微(きび)に触(さわ)るような微妙な交渉の経過を〝その都度 市長に口頭で報告〟で済む話しでありましょうか?

社会通念で捉えてみても、そのような重要な案件を 口頭で伝え、それを市長が口頭で了解して話しが進むなどということは まかり通るハズもなく、もしそうだとすれば 長野市は極めて杜撰(ずさん)でいい加減な業務を認めていると言わざるを得ないでありましょう。

 

で…この取材への回答には「伏線」があり、それが 長野市の実に〝あざとい手口〟を物語っていることを強く実感させられました。

取材に対し 市(所管課長)は「市職員が組織的に用いるため職務として作成 取得した文書で情報公開請求の対象となる「行政情報」としては保存していないが、経過を記録した職員の個人的なメモは存在する」と答えています。

ということは、経過を記録した「紙」は存在しているのです。

しかし、それはあくまで 職員の個人的なメモ であり、市職員が組織的に用いるため職務として作成 取得した文書で情報公開請求の対象となる「行政情報」ではない。

つまり 経過を記録した「紙」は、たとえ市民が ルールに基づいて情報公開請求しても(個人的なメモだから)公開する義務は生じない、という論法なのです。

だから、上司に対し 実際には「紙」で報告していたとしても、行政ルール上においては公文書は存在しないので「市長には口頭で報告している」で片付けられるのです。

 

まさに これは、行政事務(業務)において「公文書」を整備しなければならないルールを逆手に取ったあざとい手口と言わざるを得ません。

だから、マスコミが所管課に情報公開を求めても おそらく担当職員は「個人的なメモはあっても それはあくまで個人のもの。公文書は作成してないので、公開したくてもできないのです。」と 涼しいカオで答えたのでしょう。

 

こんな理不尽があったものでしょうか。

 

ブログで今までもご報告しており、また 各位ごと報道などを見聞しておられるとおり「青木島遊園地廃止問題」については、これまでの経過の中で 実にさまざまな疑問点や不明な点が挙げられており、私たちは非常に煮え切らない思いを強いられてきております。

一軒の世帯が「音がうるさい」と苦情を寄せたことに端を発した遊園地廃止問題は、実際には利用者(子ども)の音への苦情がたった1回だったにも関わらず 経年に亘って苦情が言われ続けたと歪曲され、遊園地の愛護会活動が(コロナ禍などで)休止しただけなのに(愛護会の)廃止が誘導され、それら事実と違う経過を口実に 区長会から遊園地廃止要望書が出させられ、また 長野市が掲げる「廃止に至った6つの理由」も ほぼ破綻しているにも関わらず、その説明も無いままに(廃止理由は)現存しています。

 

何より市(市長)は、実際には地権者と交渉を重ねている事実がありながら そのことを尾首(おくび)にも出さずに「フラットな気持ちで」と詭弁を弄して住民説明会を開催し、集会の後に市長は「廃止のままでいくのはどうかな」と いかにも廃止を見直すような言葉を発し住民を(存続との)その気にさせるなど、さんざん市民の心を弄(もてあそ)んだあげく「廃止」を言明し (市民の)期待を失墜させてしまったのです。

この間も、苦情に対する自分たちの初期対応のマズさが主原因であったにも関わらず その結末を「遊園地廃止」という安易な方向に導き、その(廃止の)口実も「区長会からの廃止要望」と責任転嫁したうえで 手続き上は瑕疵(かし)無く事(こと)を進める手法を取り、当初は(廃止に)否定的であった地権者さえも説得してまで廃止に舵を切ったことは それだけでも容認し難い所作でありました。

 

そして、廃止のレールが引かれていたにも関わらず〝熟考する〟とした市長は 多くの住民の期待を裏切って廃止を言明、そのうえ その理由について、これまで挙げてきた6つの理由では無い「地権者の都合」を挙げ、周囲を大いに驚かせ 落胆させたのでした。

そのうえ (前掲のとおり)市(市長)は「フラットな気持ちで臨む」とした住民説明会の際に いわば裏取引を知っていたことが明らかになり、あの清廉な荻原市長のやることか…と 不信の念が大いに高まったところです。

 

そこへきての 今回の「公文書は存在しない」の報道です。

おかしい、おかし過ぎる。

 

野球でいえば「隠し球」で相手をアウトにするような、サッカーでいえば 審判の見えないところで相手を突き転ばすようなやり口でゲームを支配するようなことは、観客は決して許さないと思います。

 

いったい、誰がこんなあざとい手口の糸を引いているのでしょう。

私が何より釈然としないのは、これだけ市民に背信していながら、行政のルール上では何の瑕疵(かし)も無い というところです。

「行政ルールに則(のっと)っているのだから文句は言えないハズです。」と大見得を切れる行政サイド。

逆に言えば、保身を担保するためのルールを定め それを熟知したうえでルールを武器に前へと突き進む傲慢さがあるのではないか。

おそらく、このことを 例えば本会議の場で追及しても「あくまで行政ルールに則(のっと)って業務に臨んでおります。」と堂々と答弁し、万事休すとなってしまうでしょう。

 

果たして、それでイイのでしょうか。

強い疑念が増すばかりの、この日の報道でありました。

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