倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

真の強靭化を

2020-03-22 | 日記

3/21 Sat.

 

地域内を移動中、住自協が運営する家庭菜園に〝春の景色〟がありました。

 

菜園の傍らには、紅白の梅が満開、というより 盛りを過ぎた感じ。今年は全般的に花芽が早いことを物語っていました。

 

現下の社会情勢では、イイことの少ない状況となっていますが、そんな中でも 少しでも光明を見い出すことができれば と、心底思うところです。

 

ここに紅白の梅を植えられた方の〝願意〟に共鳴し、世に幸あれと願わずにはおれません。

 

菜園の奥手には、おそらく二年越しの葉モノが緑を成していましたが、そこに 何やら動くモノが。

 

ヨク見ると ムクドリが一羽、まるでサラダを食するが如く、葉っぱをついばんでいました。

 

この時期、鳥にとっても〝葉っぱ〟は貴重な食材になっているのでしょう。

 

この鳥さん、きっと健康志向なんだろうな、と勝手に決めつけ、その食べっぷりに しばし見入っていたのでした。

 

春は もう、ここまで来ています。

 

 

 

 

◇堤防の「地質」に注目

さきの東日本台風台風で多くの被害を及ぼした「千曲川堤防」これからの復旧・復興にあたり、二度と破堤しない〝強靭な堤防〟の造成が求められています。

そんな中、これら堤防の〝地質〟について 興味深いレポートを閲覧しました。

信州大学の堆積地質学研究室のH教授のチームの調べによると、上田から長野にかけての千曲川流域には、平安期に堆積した「洪水砂層(887年の「仁和地震」によりできた〝せき止め湖〟の決壊により流れ下ったもの)」があり、それが 後の自然堤防の基になっているのではないか、というものです。そして、それら「洪水砂層」は、基底部に多量の粗粒礫(れき/目の粗い固形物)を伴っており それら構造部の影響で「逆級化(地層の中の成分(土)の目が粗くなる)」している部分がある可能性を否定できない、というものです。

これらの〝学説〟は、1980年前後の資料など 地質学途上の根拠に基づいていることから、確たるものとは言えないようではありますが、総じて言えることは、現在の千曲川堤防などの各堤防は、河川全域に亘って 内部の構造物の詳細まで確たるものと断言はできず、場所によっては「礫(れき)」の存在などにより 脆弱な部分もあることを否めないということではないか、というものです。

現に、さきの東日本台風台風では、長沼の穂保地点が決壊しました。そのことについても、(さまざまな時代背景の中で)堤防の内部に砂利=礫が現存していたとの証言もあり、今後の堤防管理に大きな疑問と課題を残すことになりました。

その〝穂保地点〟については、現在 国交省による「本格復旧」が緒に就いているところではありますが、果たして 今の工事で〝真に強靭な堤防〟が構築されるのか、破堤した箇所は良くなっても、その上下流部分は大丈夫なのか、など、常に不安が付きまとうところです。

 

私(だけではありませんが)は、それらの状況(情勢)に鑑み、さきの破堤ポイントの前後に「鋼矢板」の設置を改めて検討すべきと思います。

「鋼矢板」については、決壊地点の仮堤防の造成の際に 工事中の河川水侵入を防ぐために挿入されましたが、本格復旧の際には「河川の流れを変える」との理由で撤去される予定であることが説明され、それに対し地元住民を中心に「せっかく打ち込んだ鋼矢板を、なぜ むざむざ撤去するのか。」との疑問の声が挙がっています。

 

実は、この「鋼矢板」については〝曰(いわく)〟があるのです。

破堤した左岸(長野市側)に相反し、右岸(須坂市側)においては、過去に鋼矢板を設置してあったことから、今回の水害においては 越水はしたものの、破堤は免れたという〝実績〟があったのでした。これを知る地元住民は、堤防の増強に加えて 鋼矢板の設置を、と願っており、そしてこれは 至極当然の住民感情と言えるでしょう。

 

これについて、国交省(千曲川河川事務所)は、地元住民に対し「堤防下に遮水壁となる鋼矢板の設置も検討している」と説明していることから、これらの言質(げんち)に基づき、この際は「鋼矢板の正式な設置」を進めるべきと考え、私の立場でも関係機関に働きかけてゆきたいと考えるところです。

 

 

堤防強靭化は、被災者住民の〝安心の強靭化〟にもつながる。

これを合言葉に、力を尽くしてゆきたいと 改めて心にいたすところです。

 

 


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