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Mind Feeling 0804-2

2007年08月04日 17時16分13秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 8月最初の土曜日を迎えた今日、風は強いながらも暑い夏の日を迎えている。蝉の声もようやく本調子という感じで、何よりという感じである。
 そんな日なのだから、屋外に出て何か…という事をしない私は、インドア派である。屋外で何かしよう…という友達が居ないと言うのも手伝ってはいるが、それ以前に、あまり外へ出ようとしない姿勢もある。人は人と意思疎通を図っていかなければ生きては生けない存在である事は解ってはいるが、そんなシナリオ通りやってのけていたら、こんな生活はしていないだろう・・・と毒づいてもしかた無いが。
 最近は、理由は特にこれと言ってないのだが、もう15年位前に発売されたゲームソフト“FINAL FANTASY4”をやっている。未だに、「スーパーファミコン」より後に発売されたゲーム機を持っていない時代遅れな存在である。
 このソフトはご存知方が多いと思うが、オリジナル版とイージータイプの2種類が存在している。モンスターの名前や強さ、アイテムの名称、呪文等に若干の違いが見られるが、ストーリーは変わっては無い。
 初めてこの作品を触ったのは、発売されてから数年経過していたが、まだまだ10台初めの頃だった。その当時やったプレイと今やっているプレイを比較した場合、今のがとことんやり方の要領が悪くなっている。“FINAL FANTASY4”はプレイ時間を見ることができるので、それを見て行くと、ゲーム進行具合やレベルを見てみるとあの当時と今とでは、数時間の違いが起きている。今のほうが時間ばっかりかかかっていて、進行が遅い。年齢を経れば、それなりに経験をついてくるので、うまく行くはずなのだが、行っていない。
 10台初期の頃は、ともかく先にゲーム内容を楽に進めて何ぼ、という感じだったので、ろくに戦闘もせず、はてはアイテムも取らず取れずで次へ次へと進めて行ったように思う。私は、ゲーマーとしての資質が無いので、「攻略本」がないとなかなか前進めない人間である。その本を手に入れると、とりあえずうまくは行くし短時間でエンディングへ…という事になる。しかし、少なくともこのゲームについては、今は違う。モンスターと戦闘するのもレベルを上げるのもそれほど苦にはなっていない。それは何度もエンディングを見ているからなんだと思う。「やり込む」事がようやく出来る様になった、という事なる。
 今はとりあえず時間があるからゲームをしていたりするのだが、新しいゲーム機買ってソフトも買う…という気にはとりあえずなっていない。それが良い事なのか悪いことなのかは解らない。10台の頃、特に小学校から中学校時代は、それなりに熱もあったのだが、年齢を経るごとにその熱は冷めていった。かと言って、それに代わる趣味が新たに出来たという訳でもないし、飽きたという訳でも当然無い。多分、「資質の欠如」がそうしてしまったのだろうと思う。冒険ガイドブックが無いと出来ない…と言う事が。
 ちなみに、冒険ガイドブックがあっても、うまく行かないゲームが1つ私にはある。これもまた古いのだが『ロマンシング・サガ』である。手持ちにあるのは、多分、初期作だと思う。ガイドブックは数ヶ月前に、古本屋で購入したものである。フリーシナリオが影響してなのか、どうもうまく行かない。こんな所でも「プレイヤーとしての資質」が欠如しているんだな、と思う。
 だが、時間を潰すことはとりあえず出来るのは、良いし、1人でも楽しめるのも良い。色々な弊害はついてくるにはしても…。
 

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Mind Feeling 0804-1

2007年08月04日 16時41分23秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 結局、昨日8月3日は更新をサボった。
 習慣的にずっと毎日やって来た事を突然止め、再びやり始めると、またどこかで「サボり」は起こる訳で…。
 実は、2年位前に、日記を日々つけていたのだが、その年の秋頃に体調を崩して、日記がつけられない状況に陥った後、やはり「サボり」が常習化して行き、今ではすっかり書いていない。まぁ、そんなに日々感じる事もなくなったと言えばそうかもしれない。
 日々生きていく中で、まったく何も感じず思わず…という事はないと言われる。実際、あれは高校の時だっただろうか?日直にあたると、学級日誌をつける事が義務付けられていた。やっていい事ではないのだろうが、ある時、ぱら見をした事があった。自分以外の人間は、どんな風にこの日誌をつけているのか気になった。
 その日誌には当然、その日の講義の科目名と内容を書く事や欠席者を書くのは勿論なのであるが、「一言感想欄」みたいなのがあった。つまり、その日が自分の目から見てどんなだったかを書けという事である。自分の思いをいくらストレートに書けば良いとは言え、そういう場にあった事を書こうするとなかなか書けないものである。4~5行は書き込む欄があったと思うのだが、本当に1言程度しか書いていないと、担任から「学校生活1日を送った上で、感じた事あるいは考えた事はある筈」と言う苦言のコメントが書かれて居た事もあった。
 別に学校生活をしていなくとも、日々、確かに思い感じる事はあり、全く何もしないままで居る事もまた無いのだが、想いを文章化して形にし、連続的にそれを見て行くと、同じような事しか思わない・感じない、という事も出てくる。私なんかはそれは特に顕著である。となると、あえて言葉・形にする必要もないのかな…と思う事もまたある。
 書くという事、私は嫌いな訳ではない。どちらかと言えば、好きな分類に入るのだが、それが「義務化」された時、好きなものが嫌いになる。あるいは、「自分の思うような結果や成果が出ない」と言った時もまた同じである。好きな事が嫌いになる事ほど、辛いものは無いが、現実にはそんな事も起こりえる。
 単に面倒になっただけで、言い訳するな…と言う声も聞こえては来そうだけれど、全てがその2文字で済まされる訳ではない事を書き添えて、この話を終わらせたい。

 


 

 

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