京都園芸倶楽部のブログ

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江戸時代の武士が椿を嫌っていたって本当?

2017-03-07 09:14:45 | 雑学・蘊蓄・豆知識
江戸時代の武士は「ツバキを“武士の首がぽとりと落ちるようで縁起が悪い”と思い、嫌っていた」という話を聞いたことがあると思いますが、これって本当でしょうか。


(落花したツバキ)


どうもこれは俗説のようです。実は20年以上前に兵庫県立フラワーセンターの滝口洋佑さんがこの俗説を明らかにするために行われた研究によると、この「武士の首がぽとりと落ちるようで縁起が悪い」という説は、明治時代に作られ広まったものであるそうです。幕末から明治初めに薩摩や長州の出身者から “やられっぱなし” だった江戸っ子たちが、ツバキ好きの薩長出身の政府高官らが大手を振って歩くのに対する鬱憤晴らしで言い出したのが始まりで、これがあたかも本当の話として全国に広まったようです。


(獅子咲きのツバキの落花)


この研究が神戸新聞の1993年1月8日付夕刊の記事に紹介され、それを読んだ作家の半藤一利さんが自著『永井荷風の昭和』で、夏目漱石の『草枕』の一節《余は深山椿を見るたびにいつでも妖女の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く。欺かれたと悟った頃はすでに遅い》や《落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい》の部分を引用し、文章内の「椿」を「薩長人」に読み替えれば、漱石が『草枕』で椿をくさした表現も合点がいくと述べられているそうです。江戸っ子だった漱石も「椿」に置き換えて薩長のふるまいに対して反論していたのかもしれませんね。

ところで、ツバキは花を愛でるだけでなく、椿油を利用したり、酸性土壌でも生育し土壌のアルミニウムをよく吸収するため、木灰をムラサキ染めの媒染剤としても利用してきました。また冬の間にも緑を保ち、早春から花を咲かせる植物であることから、仏教においても、土葬だった頃に野生生物に遺体を荒らされないよう墓地に植えた、アニサチンという毒性物質を持つシキミ同様、神聖な植物と考えられていたようです。


(紫根を染料にするムラサキの花)



(シキミの花)


さらに、武士の間でも花ごと落ちるツバキをかえって「潔い」として好み、武家屋敷にも植えられていたそうです。肥後藩では藩主が藩士にツバキの育成を奨励し、肥後六花のひとつである肥後椿として現在にも受け継がれています。

ただ、ツバキの落花は首がボトッと落ちるように見えますので、武士が嫌ったのではと連想してしまうでしょうね。

あと、もうひとつ、余談ながら上記の “椿好きの薩長” という箇所から、薩摩や長州の人はツバキをこよなく愛していたのかな?という疑問がわいてきたので調べてみたところ、山口県萩市の市花がツバキ、鹿児島県出水郡長島町と枕崎市の市木がツバキでした。また薩摩藩の島津家には「薩摩」という固有種のツバキがあるそうで、やはりツバキに親しみのある藩だったのかもしれませんね。

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