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神護寺
千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その弐百四
度賀尾寺や神護寺は文覚 が再興期したが
途中で頓挫して明恵 がその後を引き継ぐことに、
しかしその後、天台宗・度賀尾寺は荒廃する。
再興されるのは後の文覚、明恵の時になってからです。
文覚 は神護寺の復興に尽力したが、
その事業は 度賀尾寺にも及び、
文覚 は度賀尾寺の元有った場所に、
幾つかの堂舎を造り 神護寺の別所とした。
ところがその後、建永元年 ( 1206 ) に、
明恵 の庇護者だった 後鳥羽上皇より栂尾を賜った 明恵上人が、
今度は 華厳宗興隆の道場として再興しました。
ちなみに
高山寺という寺号はこの時に定められたもののようです。
明恵は、生涯を逓世の聖であるとし、
就学に専念した僧で、
彼に帰依した 後鳥羽院、後高倉院らの皇室関係のほか、
九条道家、西園寺公経などの公家、
さらには 北条泰時、安達景盛らの武士など実に幅広くに及んでいます。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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