オヤジのひとり言

好奇心一杯のオヤジ田舎暮し蕎麦打ち陶芸からヨットレース情報マデお役立ち情報や業界の裏話も有 最近ロードバイクにハマッテ枡

「百人一首」 名古曾の滝

2011年06月18日 | オヤジのひとり言
6/18

京都の歴史 その七拾弐

名古曾の滝

『 百人一首 』に採り入れられた藤原公任の歌

「 滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなほ聞こえけれ 」

に詠まれた「 名古曾の滝 」は、

ここ嵯峨院の苑池に作られた人工の滝です。

「 滝の音は絶えて 」とあるように、

公任が歌を詠んだ11世紀はじめには、

すでに滝は廃れ、水は既に涸れていたが、

嵯峨院 の旧跡としてその名が知られていた。

 
近年の発掘調査で、

大沢の池の北側から 名古曾の滝 の石組みが発掘され、

さらに滝から池に向かって穏やかに流れる鑓水の跡も確認された。

滝の石組みは、その後他の庭に石転用する為に、持ち運ばれたらしく、

現在当初の位置を占めているのは 二石 だけだそうです。

現在は滝が復元され、滝から流れる下った水は、

小流となって野筋と呼ばれる平地を曲がりくねって流れ、

やがて池に注いでいる。

池の岸辺は州浜と言うなだらかな海岸を思わせる小石をならべた岸辺です。

大陸から伝承した庭園技術は、

このころにはすでに日本風の特徴を持ち始めていたことがわかる。

今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

電話かFAXで、メールでお気軽に・・
E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp
URL kyoto-estate.com
ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。    ↓   ↓   ↓

京都南部の不動産は京都エステートへご相談ください。


只今Athome Webより、より詳しい最新情報が見られます。

オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう!! 日本

嵯峨天皇・の嵯峨離宮

2011年06月18日 | オヤジのひとり言
9/18
節電してTVを消して・読書しています。


最近ハマッテる本を紹介しています。

京の歴史がわかる
読み出すと・・これが結構オモシロイ・・

京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?

千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その七拾壱

嵯峨天皇 の 嵯峨院

嵯峨天皇 は、皇太子時代から、

京都の西郊外 北嵯峨 に山荘を持っていました。

この山荘は、天皇に即位してからも、

狩猟の帰りに立ち寄って休んだり、

宴を開いて漢詩を詠んだりする場所として使われた。

これが 嵯峨離宮、のちの 嵯峨院 です。


 天皇がこの地で詠んだ詩・

この場所は奥深く閑静で、世間との交渉がない。とか、

皇太子の 大伴皇子 ( のちの淳和天皇 ) の詩・

嵯峨院 は塵埃にまみれた俗世の外にあって、

ここへ来ると静かな情緒がたちまちに起こる。

とあるように、

大堰川の近くにあって、

政治と人事に疲れた心身を休める別荘としての機能を果たすと同時に

文化的なサロンの場でもあったようです。


現在の 大覚寺 は、

嵯峨天皇 の没後に

天皇の皇女で淳和天皇皇后の正子内親王 が建物を寺院に改めたものです。

寺の東に広がる池は「 大沢の池 」と呼ばれ、

旧嵯峨院の苑池で、東と南に堤防を築き、

水を貯めて作られたものです。

池中には中島が作られ、

庭湖石と言われる石が現在も、

池岸の傾斜が急で、

雄大な池の構想は、

平安前期の造園技術の特徴を良く残しているものといわれています。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

電話かFAXで、メールでお気軽に・・

E-mail Kyoto-ee@gaia.eonet.ne.jp

URL kyoto-estate.com

ここを・ ・・ ポチット・・・・クリックして下さい。    ↓   ↓   ↓

京都南部の不動産は京都エステートへご相談ください。



只今Athome Webより、より詳しい最新情報が見られます。

オールジャパンで頑張ろう!! 東日本にエールを・・
必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
みんなでがんばろう!! 日本