オヤジのひとり言

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聖徳太子と淡路島

2011年04月08日 | ボランティア
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節電してTVを消して・読書しています。

最近ハマッテる本を紹介しています。

京の歴史がわかる

読み出すと・・これが結構オモシロイ・・
京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?

千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史
その七

物部氏との合戦に勝利を祈願し建立

『六角堂縁起』によると、六角堂本尊の如意輪観音は、

淡路国岩屋(現在のあわじ市・明石海峡大橋の淡路島側のたもと)に

流れ着いた空櫃に入っていたもので、

それを見つけた聖徳太子が念持仏としていたものと伝えられています。


聖徳太子と蘇我氏の連合軍が、

旧勢力の物部守屋と合戦におよんだ際、

太子は観音さまに、

勝利をもたらすならば四天王寺を建立することを約束した。

勝利を収めた太子は観音との約束を果たす為、

四天王寺建立の用材を山城国の愛宕郡(現在六角堂のある場所)に求めた。


その時のこと、

太子が水浴びをするため、如意輪観音を木の根元に据え置いたところ

まったく動かなくなり、

「この地に留まり衆生を救う」とのお告げがあった。

そこで、

そのまま堂を造って祀ったのが六角堂の始まりとされています。

堂宇として特異な六角堂ですが、

創建当初から六角形であったのかについては良く分かっていない。

因みに戦国記の京都を描いたとされる「洛中洛外図屏風」(米沢市上杉博物館蔵)

に描かれている六角堂は、普通の四角形の屋形です。

 既に平安時代中頃には、

浄土教の影響を受けて来世信仰化した観音信仰の隆盛に伴って、

六角堂も聖徳太子ゆかりの観音霊場として信仰を集め、

公家の記録にも度々登場するようになる。

現在、

泉涌寺の塔頭である観音寺、蓮華王院(三十三間堂)、

六波羅蜜寺、清水寺、長楽寺、真如堂内の新長谷寺とともに

洛陽七観音のひとつに数えられたのもこの頃です。

観音信仰自体は、

鎌倉、室町、と時代が進むにつれ、

一般庶民にまで信仰を拡大してますます盛んになります。

そして、

西国三十三ケ所巡礼の基本形が出来上がった室町時代になると

六角堂はその第18番札所として益々多くの人の崇敬を受け現在に至っています。


今回はここまで・・   

続きは次回に・・ 

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