◆信貴山(437m)の隣に高安山(487.5m)があります。 高校生の頃、高安山の展望台から大阪の夜景を眺めました。 砂漠の砂の、一粒一粒が輝いているような夜景でした。
自己の輪郭線を、いつでもどこでも、常にピリピリさせる高校生だったわたしは、ああ、自分もこの一粒の輝きにすぎないのだ……と、身体から力が抜け、輪郭線が溶けだしていくのを感じました。 と同時に、これから何十年か、この一粒として、寒いときはコートの襟を立て、暑いときはシャツ一枚になり、団扇であおぎあおぎ、生きていくのだ……と、少し涙ぐみました。
初詣客であふれかえる、朝護孫子寺・本堂への参道に身体を置いているとき、不意に、この涙ぐんでしまったときのことを思い出しました。
◆大きな人の流れから、脇道に外れ、赤い鳥居が並ぶ坂道を下り、まず、剱鎧護法堂にお参りしました。
剱鎧護法について、信貴山縁起絵巻・延喜加持之巻には、次のように記されています。
今から1500年前のこと。 信貴山の命蓮上人が、醍醐天皇の病気平癒を祈願し、その加持満願の日に、護法神を京に遣わせる。 お昼頃、醍醐天皇がうつらうつらされていると、キラキラと何か動くものが見える。 誰か来たのか?と不思議に思ってご覧になっていると、そのうち、お心持ちがさわやかになり、平常の気分にお治りになった……と。
絵巻には、剣で編んだ衣を身にまとい、山を駆けくだっていく護法童子が描かれています。 剱鎧護法とは、この剣の護法童子のことです。 以来、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として信仰されています。
わたしの前の坂道を、夫婦が、自分たちより大きな息子さんを車椅子に乗せて下っていきます。 この状態で、ここまで来るのは、たいへんなことだったろうと思います。 ご両親の思いに胸を打たれました。 「剱鎧さん、頼んまっせェ~!」 わたしもいっしょに祈りました。 それから、乱氏、おっさん、松ちゃん、千早、光太郎……わたしの身のまわりの、思い浮かぶ限りの人々の無病息災を祈りました。 もう1度、 「剱鎧さん、ホンマに、頼んまっせェ~!」
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