京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

京都五山、万寿寺の不思議

2008年12月04日 05時38分52秒 | 社寺
万寿寺というのが不思議だった。
かつて京都五山の第五位だった。
京都五山は、南禅寺(別格)、天龍寺(第一位)、相国寺(第二位)、
建仁寺(第三位)、東福寺(第四位)、万寿寺(第五位)ね。
京都五山は、臨済宗の寺格、官寺制度なんです。
足利尊氏や弟の足利直義などは禅宗を信仰したため、五山も足利将軍家が帰依していた
夢窓疎石が中心となって京都の寺院から新たに制定された。
臨済宗の寺格で京都観光寺の人気投票じゃないんです。
ここまでは、京都人も知らない人が多いだろうな。



京都五山の万寿寺以外は、いまも堂々たるお寺。
ところが、いまの万寿寺は、東福寺の塔頭(たっちゅう)なんです。

塔頭(たっちゅう)とは、禅宗の開基、高僧、祖師(開山)などの墳墓およびそれを守り、
祀るために中心伽藍(寺院の中心的な建物)周辺に設けられた小寺院のこと。
単に大寺の山内に立つ末寺をさす場合もあります。



万寿寺は、平安時代後期、白河上皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼる。
京都五山に昇格したのは、室町時代。永享6年(1434年)の火災後、衰微した。
天正年間(1573年~1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転した。
これは三聖寺の開山が万寿寺と同じ十地覚空と東山湛照であった縁によるものという。



三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持つ有力寺院であったが次第に衰微し、
明治6年(1873年)に万寿寺に合併された。
明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となり、21世紀に至っている。



『東福寺誌』によると、明治14年(1881年)に東福寺の仏殿が焼失した際、
万寿寺にあった釈迦三尊像を東福寺に移して新しい本尊とした。
これが現在東福寺の本堂に安置される本尊釈迦三尊像で、元来は三聖寺に安置されていたものである。



このほか、東福寺境内にある愛染堂と仁王門、万寿寺入口にある鐘楼(以上、各重要文化財)も
もとは三聖寺の建物であった。昭和10年(1935年)には京都市電と東山通、
九条通の開通により境内が分断され、万寿寺は東福寺の飛び地のような位置に置かれることとなった。
なるほど・・・。
ここは、非公開なので中はみれません。
あまり広くなさそうですね。
わが家よりは広いですが。
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2 コメント

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おはようございます (すー)
2008-12-04 07:34:56
残念ながら、勿論知りませんでした。
勿論、我が家よりも広いですね(^。^;;
何かお忙しいそうな雰囲気ですね。お体お自愛ください。
>すーさん、おはようございます (京男)
2008-12-05 05:00:47
きっと知っている京都の人は少ないと思います。前はクルマで通るでしょうが。
毎日、この万寿寺の向かいの病院に通っております。

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