京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

椿餅

2016年02月24日 04時54分48秒 | 風景・和菓子
椿餅の起源は、平安時代に遡るらしい。
もち米を乾燥させて臼でひいて作った餅粉(現在の道明寺粉)を甘葛(あまづら)の汁で練った団子にして、椿の葉で包んだものだったそうです。



砂糖は、奈良時代に鑑真によって日本に伝えられたそうです。
しかし、高価な医薬品扱いだったので、だから貴族だってそう簡単に口に入らなかっただろう。
だから戦国時代にポルトガルから日本に入ってきた金平糖を食べた時は驚いたでしょうね。宣教師はそれで布教の道具にしたらしい。



でも奈良時代に、米と麦のもやしから作った麦芽糖はあったと思う。
これも、庶民には手が届かない状態だったのかな?
麦芽糖は、水飴の形だった。
州浜(すはま)は、水飴と砂糖、黄粉を練って作る。
春日乃豆の植村義次さんでは、金沢から水飴を取り寄せておられるそうです。


↑塩芳軒「椿餅」

椿餅の話にもどります。
この椿餅は、『源氏物語』若菜上に出て来ます。
「椿い餅、梨、柑子やうのものども、様々に筥の蓋どもにとりまぜつつあるを、若きひとびと、そぼれとり食ふ」
これは、貴族の館で大規模な蹴鞠の会が催されたときに参加者に配られていたというものです。
当時は、いまのような椿餅なのかどうかはわかりません。



現代は、雛祭の方が注目されている。
でも、昔は、椿餅が今頃のお菓子なんです。
もっとも現代版は、餡が入っていたりしてちょっと雰囲気が違うと思います。


↑道明寺、こしあん

幼少時の京男は、おはぎや桜餅、椿餅という和菓子系は苦手な食べ物でした。
冷えた御飯に餡が包んであったりする・・・嫌いでした。
そう考えると大人になったなぁ・・・。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (6)
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