京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

梅始笑

2012年03月10日 05時03分15秒 | 社寺


昨日の続き。
表題は、本来「桃始笑(モモハジメテサク)」と書くのが本来なんですよ。
いまぐらいから桃の花が咲き始めるのが普通なんです。
でも今年の寒さでちょっと開花が遅れ気味。
いま、ようやく梅の花が咲き始めました。
でもまだ満開とはいえません。
梅の香りを楽しむには、いまぐらいの咲き始めの方がいいかな。
梅の香りはやっぱり素敵だもの。



花が咲くのを「笑」と書くのはとてもいい表現ですね。
花が咲いていて、不快に思う人は少ないものね。



地面に咲いている小さな花だって、メジャーな桜だって、咲いているのにかわりない。
みな綺麗。
生命が精一杯表現しようとしている姿だから。



われわれの回りはよく見ると生命でいっぱい。
こんな星は少ないかもしれませんね。
各々の生命は、みなお互いに関連しあって生きている。
生まれても、死んでも。
生命の輪はクルクル回る。





花が咲く時、その木にとって最大の危機なんだそうです。
全身のパワーを花に注ぎ込む。
例えば、桜のピンクを染色したいとします。
いくら花を集めてもあのピンクにならないのだそうです。
桜の木の皮を使うと綺麗なピンクに染まる。
木は、全身の力を花に集中させているということなんだろう。
すばらしいことだと思いませんか。
花を見て感動するのは、生命が笑(咲)いているから。
しかも梅の場合は、香りまで出してくれる。



梅や桜や紅葉を見ていると
「来年は観れるかな・・・」
と思うようになった。
歳を重ねていくと若い時に観るのと、観かたが違う。
歳を重ねていくのも悪くないものだ。





今年は、もうすでに梅が地面に落ちている花びらも多かった。
まだ咲いてない花も多いのに。
でもね。
地面に落ちている花びらを観ても愛おしくなった。
感動の材料なんて回りにいっぱいありますよ。
それを観て、観動するといいですよ。
知識から智慧で生きることへの第一歩かもしれないし。

※「見る」と「観る」が混じっているでしょ。これはわざとなんです。目で物理的に見るのが「見る」。「観る」は、過去や未来、今を通して観察し、魂で理解する作業をいいます。言葉で表現することがもどかしいな。なんとなく理解してください。

Twitter→@kyo_otoko
コメント (4)
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