Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

連合軍専用列車の時代(2)

2015年02月10日 | 日記
中央線・グリーン車の話題の中で、連合軍専用車両の話に触れたので、
昨年10月25日に投稿した『連合軍専用列車の時代』の続きを。

終戦後、9月になり本格的にGHQが進駐し、その中に第3鉄道輸送司令部
(MRS)の下部組織として鉄道司令部(RTO)が置かれた。
当時の運輸省(後の国鉄)、私鉄を含め、RTOの権限は絶対的であった。
そんな時代、優等車両はすべて接収され、連合軍専用車両に改装された。

―イラスト車両の上からー
●特別車1710 MANILA(マニラ)
運輸省番号・1等展望車スイテ482。1946年(昭和21年)1月に鷹取工機部で
車内が改造され、個室寝台、居間、食堂、簡易調理室、シャワールームなどを備えた、
第3鉄道輸送司令部の司令官用車になった。
●地区司令官車1904 ALGOMA(アルゴーマ)
運輸省番号・1等寝台車スイネ324。1946年(昭和21年)5月に長野工機部で、
日本軍の病客車スフヘ307を改造し、第8軍関係の高官用車として使用された。
●軍団長車1812 SAGINAW(サギノー)
運輸省番号・1等寝台車スイネ3012。1946年(昭和21年)4月に大宮工機部
において、日本軍の病客車スヘ304を改造し将官用として用いた。

ここで鉄道ファン的興味は、この中の2両が日本軍の病客車を改造している点である。
日本車輛製造(株)の資料を見ると病客車は、「ヘ」(兵隊のへ)の記号で製造され、
スヘの内部は傷病兵を輸送するため畳敷きにした客車とある。
これは持論だが、お座敷列車のように区切りなどがないから、改造が容易に出来た
のであろう。

この3両の連合軍専用車両を見ただけでも、70年近い昔の焦土になった日本が
今の「ななつ星in九州」に匹敵する内装の列車が全国に走っていたのである。

※イラストは河原匡喜氏の『連合軍専用列車の時代』から。
またイラストを描かれたのは、有名な黒岩保美氏である。

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