川越雑記帳2(川越見て歩き)

48-6 奥貫友山の墓

「その手前に、ブロック塀に囲まれて奥貫家一族の先祖代々の墓地がある。」


 奥貫家の長屋門の前、水田を挟んで墓地があった。
最初、Y字路から入った道を直進すると、墓地の入口に出た。
墓地は少し高く土盛りされ、ブロック塀で囲まれていた。


 入口の階段を上ると、正面の下に大きな説明板があった。
「史蹟贈従五位奥貫友山」と書かれていた。


 墓地の中ほどにも説明板があり、その後ろに柵に囲まれた中に友山の墓があった。
後方には奥貫家の長屋門がよく見えた。
「まん中の笠をいただいた三段の墓が、奥貫友山の墓である。友山は宝永2年(1705)の生れ、久下戸村の名主を勤めるかたわら幕府の儒官成島錦江に学び、細井平洲と交友した。明和元年には、自宅に私塾を開いている。寛保2年(1742)8月の大水害のとき、自ら進んで米、雑穀、金銭を拠出して、川越領民の救済に当り、川越城主秋元涼朝から表彰されている。このため明和元年(1764)に起こった中山道助郷騒動では、奥貫家だけが打ちこわしを免れたという。県の旧跡に指定されている。友山は天明7年(1787)81歳で没した。

  ◆奥貫友山

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