川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

メチル水銀被害総説で感じた違和感(ミナマタ条約って、その資格あるの?ってはなし)

2011-03-06 02:11:20 | 喫煙問題、疫学など……ざっくり医療分野
http://ehp03.niehs.nih.gov/article/fetchArticle.action?articleURI=info%3Adoi%2F10.1289%2Fehp.0901757

昨年8月、EHP(NIHの下部機関、Enivronmental Health Perspectives)にメチル水銀中毒症について、フェロー諸島のコホート研究で有名なGrandjean教授と日本の3研究者(佐藤洋東北大教授・村田勝敬秋田大教授・衛藤光明元国立水俣病研究センター長)による総説論文が出ていると知った。

さっそく読んでみたのだが、かなーり驚いた。
Environmental health lessons from methylmercury(メチル水銀から学ぶ、環境と健康の関係のレッスン)というおおきな括りのなかで書かれている総説なのだが、そのレッスンが、あまりに現実と乖離している。

ストーリーの軸は水俣病であり、まとめをかのGrandjean教授が行ったという形式なのだろうが、日本の3研究者からの情報提供、あるいは直接的な執筆を、教授は本当に納得したのか不思議で仕方がない。

ぱっと気づいたこと──
・「熊本県が水俣湾の魚の喫食を禁止しようとしたが、国が認めなかった」とあるが。これはかなり、実際とは印象が違う。→正しくは、食品衛生法に基づけば県は独自に禁止できたが、国の見解をわざわさ問い「すべての魚に危険性があるか分からない」という厚生省見解をもとに、禁止を取りやめた。ちなみに、その時点でも、食品衛生法に基づき、浜松のアサリ中毒事件で自家採取を禁じ、成功した実績があった。

・当時、取りざたされた病因物質として、第二次世界大戦中の機雷起源説、マンガン説、セレン説、銅説などに触れているが、なぜ有機水銀が原因と認定されるまでに時間がかかったか説明しようとしていない。特徴的な病気を有機水銀と結びつけなかったかStrangeと書きつつも、Eventually(しかるのちに、とか、やがて、とか)1968年に政府が認めた、という説明。それが、チッソの水銀を触媒として使うプラントの操業停止直後だったという印象的事実は伏せられている。

・チッソが1958年の時点で有名なネコ実験を行っていたり、メチル水銀を疑っていたにもかかわらず、非協力的な態度で情報の流通に取り返しのつかないラグが生じたという説明を中心に持ってくる。そのまま、 世界的にこのようなことがおこりがち(メチル水銀中毒が認識されるのは遅れがち)、として、一般的な教訓としている。

・1977年判断基準(現在も有効)は、真正な患者を、メチル水銀曝露と関係ない別の原因でなっている患者と区別するために導入されたと書いてあるのはある意味正直。ただし、これが「少しでも疑わしきは認めず」というほど困難な基準であることは言及せず。また、「後にlikelyな患者が発見された」ので、2004年の関西訴訟判決に至ったという説明に違和感あり。likelyな患者は最初からいた。

・成人の重症メチル水銀中毒の病像を認識していなかったことが、水俣病の被害拡大につながったというのがconclusionに来ている(これは前段では書かれておらずぼくが違和感を持った点への説明か)のは、相当おかしいのでは。先にも書いたけど、Grandjean先生は、これで本当に納得したのかな。行政判断という観点からいえば、水俣病の被害拡大は、原因施設や病因物質にこだわるあまり、目の前にある、誰もが最初から、一度たりとも疑わなかった「水俣湾の(のちに不知火海)の魚を食べる」ことをストップできなかったことにある、という解釈の方が、この総説の書かれた動機である、Environmental health lessonsからして正当だろう。

このあたり、岡大の津田さんのまとめ「水俣病問題が混乱した理由について──とりわけ今後の厚生行政・環境行政を見据えて──」がずっと、まともなEnvironmental health lessonsになっていると思う。
http://ecogear.nomaki.jp/report/repo1tuda_minamata.html

なにはともあれ、水俣病か惨劇となったのは、病因物質についての情報が伝わらなかったからではなく、当時すでに整備されていた食品衛生法がきちんと適用されず、また、医学者もそれについて詳しくなかったという考えの方が、ぼくにはしっくりする。

つまり、レッスンの中心は、行政がどのように判断し動いたかという検証、そして、結局、なぜ適切に行動できなかったのか、ということにまず向かうべきだろう。

2013年に開かれる水銀規制についての国際会議招致を目指しつつ、そこで締結されるであろう条約を「ミナマタ条約」としたいという動きがあるという。

なんだか、このままでは気恥ずかしいぞ。
と思っていたら、やはり、同じことを考えている議員や記者は熊本の地元にもいた。
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20110305ddlk43040552000c.html

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蒲島郁夫知事は、水銀規制に向けた13年の国際会合の招致を目指し、条約を「水俣条約」と命名することについて「水俣病の教訓を風化させず、世界で二度と繰り返さないことを示す」……(中略)……(渡辺議員は)「健康調査すらせず、被害の全容解明もできていないのに、世界に発信できるだけの資格があるのか」と質問。蒲島知事は、11年度予算で約3億円かけ、水俣エコパークなどの電球を、水銀を使わないLEDに交換することなどを挙げ「失われた命を取り戻すことは不可能だが、問題に真摯(しんし)に取り組み積極的に行動する」と答弁した。「水俣条約」の命名を巡っては政府提案され、県や水俣市が招致を目指す一方で、被害者団体などは「本質的解決が示されない限り反対」と反発している。
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てな話でした。

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