≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

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429)無条件の愛の対象

2016年02月27日 | 育児・子育て

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「無条件の愛の対象」 について書きます。
 

<ある日のローカル電車の中での光景から >

田園風景の中をガタンガタンと不器用な音を立てて走るローカル電車の中でのこと。
ある無人駅から乗り込んできたちょっと強面のおじさんが向かいの座席にドスンと座った。
機嫌悪そうな憮然とした面持ちで前を向いて座っている。
ちょっと関わりたくないなと思わせる雰囲気を漂わせていた。
なるべく視線を合わせないように気を付けながら、時折視線を泳がせていた。
その時はまだ、後に思いもかけない光景を目にするとは考えもつかなかった。
少なくとも私は。

しばらく風景が流れたある瞬間。
近くで可愛い「あ~」という声がした。
その声の方に目を向けると、赤ちゃんがそのおじさんの方に小さな手を向けていたのだ。
若いママの腕の中に抱かれた 生後まだ4・5か月だろうか、いわゆる赤ちゃんから一人分の座席を隔てた距離にあの強面のおじさんが座っていたのだった。
少し緊張したママが慌てた様子で赤ちゃんをあやしていた。
決して多いとは言えない乗客が少なからず一瞬息を呑んだように感じた。

次の瞬間、その場の雰囲気が一変した。
何と、あの強面のおじさんがまるで別人になったのだった。
深く刻まれた顔のしわが満面の笑みに変身をとげた。
そのまなざしは一心にその赤ちゃんの上に降り注ぎ、なんとあやし始めたのだった。
赤ちゃんはというと、笑い声こそ立てはしなかったが、じっとそのおじさんのまなざしにまなざしで応えていた。
ママも我が子とおじさんを交互に見つめながらそのまなざしに参加していた。
その時間は果たしてどれくらいだったろうか。

無垢で無邪気だとされる赤ちゃんの一声が、強面を一瞬で笑顔に変えた。
そのおじさんの心中は解らない。
ただ赤ちゃんの一声がおじさんの笑顔を引き出したことだけは確かなことだった。
言葉(意味)の世界に自ら参加していない存在が、言葉の世界に住まう大人にとって無条件の愛の対象として作用したと言えないだろうか。

緊張した場の雰囲気を一瞬にしてほっこりとした空気に変容させた現場を目撃した。
まだ寒さの残る如月のひと日の出来事。

twitterでもつぶやいています。https://twitter.com/rakuhomanami
シニフィアン研究所のHPもどうぞ http://signifiant-lab.com/ 

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425)自己規定と他者規定&関西出張のお知らせ

2015年12月07日 | 育児・子育て

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「自己規定と他者規定&関西出張のお知らせ」 について書きます。

日々暮らしていく上で、常に何らかの物事に対処する必要が生じます。
その時、それらに対して考え、判断し、行動しなければなりません。
では、その思考や判断、決定の基準は何でしょうか。
そしてその基準が自らの意志に基づいたものかどうか と問いかけてみたいと思います。

人は誰しも生まれながらにそれらが備わっているものではない以上、生まれ育った環境の中で学習していくものだとされます。
一番考えられるのは、自分を取り巻く大人たちです。
両親を中心とした家族や教師、地域の人たちでしょう。
しつけという名のもとに教えられたり、模倣して取り入れるといわれます。
それらの中から、その人固有の基準を創り上げていくのでしょう。

このように考えていくと、「自己規定」と「他者規定」の違いが不鮮明になってきます。
自己規定だと思っていることが実はどこかで他者から取り入れたものだとしたら、果たしてそれは自己規定だと言えるのか。
すべて他者規定ではないのか。
この問いかけにその人なりの決着をつけて社会へと参入していくのだといわれます。
ここで「自己規定」と「他者規定」の違いがみえてきます。

すべては他者から取り入れたものだと気づき、自らが自らの基準を新たに決め直すか。
元々は他者から取り入れたものであったとしても、それを再度自らが引き受けなおすか。
あるいは、その問いの前に立ち止まってしまい動けなくなるか。
言われるままになるのが楽だと 他者の言動に従うか。

日々の生活の中で「自己規定」「他者規定」のどちらを生きているでしょうか。
時折、立ち止まって考えてみることも必要かもしれません。

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≪12月度関西出張のお知らせ≫

*8日(火)~10日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは未定)

*7日(月)・11日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。 

 

 

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423)反抗&11月度関西出張

2015年11月07日 | 育児・子育て

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「反抗」&「11月度関西出張」 について書きます。

反抗するのはそれまでの世界から脱皮し、新しく生まれ変わりたいとのメッセージであると考えてみます。
反抗するには様々な状況と理由があるでしょうが、何らかの違和感を感じているからでしょう。この違和感を一番感じるとされる青春期(第二反抗期)を例に考えてみます。

それまで周りから当然のこととして求められてきた道をそれなりに歩いてきた。
心身の成長と進路についての問いかけを一つの契機として浮上してくる可能性が高くなります。それまで何らかの違和感を感じていたことが一気に表面化する時期だといわれます。
その代表的な表現が「反抗」でしょう。
本人も訳わからず周りにまき散らす。
頭では分かっていてもコントロールできない。
その矛先はまず母親が多いようです。
よく聞くのが「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」
それに対して母親は「親に向かって偉そうに、一人で大きくなったつもりでいる、何様のつもり」などなど。

これは「もう保護し、一方的にコントロールする母は必要ない、脱皮の時期にきている」とのメッセージではないでしょうか。
母の束縛の世界を打ち破るための行動化でもあり、自らの頭で考え、自らの足で歩もうとする意志表示と捉えてみます。
そうすれば、反抗する子どもに対する見方も違ってくるのではないでしょうか。

ただ一つ成長と捉えるには条件があります。
それは、この反抗は言葉でなされることです。
行動が伴うことも多いですが、まずは言葉で反抗できること。
その代表が「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」です。
その言葉が出たら その言葉に従いましょう
口を止め、その場を去ることです。
そして、見守りましょう。
静観すること、それがその時期に母ができる最大限の行動です。

 

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≪11月度関西出張のお知らせ≫

*10日(火)~12日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『自分を守る』 )

*9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。 

 

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422)見守ること&関西出張のお知らせ

2015年10月03日 | 育児・子育て

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「見守ること&関西出張のお知らせ」 について書きます。

「見守ってあげましょう」という言葉をよく耳にします。
ここでは、育てるという観点から 「見守る」とはどのようにすることかを考えます。

結論からいうと、文字通り≪見ることで守ること≫です。
まず「見ること」に焦点を当ててみます。
見ることとは眼差しを向けることを指します。
眼差しを向けることとは、関心を持つということです。
つまり、ここでいう『見ること』とは関心を向けることを意味します。
ただ見てればいい、視線を向けていればいいのではありません。

もう一つあります。
それは原則「見るだけ」ということです。
どういうことかというと、「見る」以外は含まない、例えば「口は出さない」「手は出さない」ということです。
見ているとつい口を出したくなったり、時には手まで出してしまうこともあるからです。
これでは相手の自主性や自発性を育てることは難しいでしょう。

以上から≪見守ること≫とは、関心を持って見ることだけで守るとなります。

そして、見守ることは自主性や自発性を育てることにも繋がっているといえるのではないでしょうか。
口出さず手を出さずに見守ってもらえた人は、きっと自ら考え判断し決断し行動する人に育つことでしょう。 

 

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 ≪10月度関西出張のお知らせ≫

*6日(火)~8日(木) 大阪市・和歌山市

面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座-象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『ゆとりを持つ』 )

*5日(月)・9日(金)埼玉県大宮市

詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。

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421)語り続けたように子どもは育つ

2015年09月21日 | 育児・子育て

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

今日は、「語り続けたように子どもは育つ」 について書きます。

「私は〇〇の性格だ」
「私は〇〇の人間だ」
このように自分のことについて様々な表現をします。 
そして、そのことについて普段は疑問を持つことは少ないかもしれません。
では、そのような自分についてのイメージ(自我) をどのようにして手に入れたのでしょうか。

例えば「私は明るい性格だ」と語ったとしましょう。
では、明るい性格というのはどのようにして考えるようになったのでしょう。
自分が思っただけで「私は明るい性格だ」と語れるでしょうか。
自分以外の他者から何度もそのように言われ、「私って明るい性格なんだ」といつしか考えるようになったのではないでしょうか。

このように、自分についてのイメージは実は他者から繰り返し言われることによって、それを自分の中に取り込んだと考える視点があります。
自分についての他者の語らいを取り込んで、自分というイメージを創り上げたと考えます。
これを「自我は他者の基で構成される」といいます。

「私は明るい性格だ」と思っていた性格は、実は他者が自分について語ったことだった。
つまり、自分についての語らいは実は他者の語らいだった
このようになります。

これを自分の子どもに置き換えてみます。
すると、将来どのような子どもに育つかの基本は、育てる人(養育者)の語らいによって決まる。このようにいえるのではないでしょうか。
優しい子どもに育てたいなら「あなたは優しいね」といつも語り続ければいい。
可愛いと思える子どもに育てたいなら「あなたは可愛いね」と語り続けましょう。
そうすればきっと語り続けたような子どもに育つことでしょう。

 

シニフィアン研究所 楽歩愛真 HP http://signifiant-lab.com/
Twitter  https://twitter.com/rakuhomanami


 

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