月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

『靖国』続々上映決定

2008-04-06 | つぶやく
「靖国」続々上映決定
広島サロンシネマなど、全国で21館が上映を発表。

新聞にも幾つか関連記事が載っていましたが、こういう時にこの映画館には頑張って欲しい。そして、こういう映画館が増えて欲しい、と思っていたら、続々です。当初は5館+αということだったらしいのですが、サロンシネマは8月上映を前倒しにして、6月に上映、反響があれば8月にも再上映ということで。

議論のきっかけになるという意味ではきっと成功なんでしょう。特に今回の騒動が、結果的に上映する映画館を増やしてしまったようで、街宣車は足りるんでしょうかね?

それに関して一つ二つ。

まず、この映画はナレーションをまったく使っていないドキュメンタリー映画とのこと。監督曰く

どういう集団の記憶・歴史を封じ込めた空間なのか。その空気と精神性をそのまま映像として差し出し、感じ考える材料にしてほしかった

人間の造ったものが中立なわけはない。人間の造ったものは、結局は作り手のフィルターを通ったものであり、さらにそれを見た側のフィルターを通って理解される。音楽だって、映画だって、ドキュメンタリーだって。作り手の意図と、受け取る側の印象のすれ違い。どんなモノでも、それを排することができない。というか、それが存在するから、世の中は面白い。つらい時もあるけれど、だからこそいろんなドラマがあり、芸術があり。

この映画では、ナレーションを排することで、恐らく監督は自分自身の考えたことをできるだけ封じ込めて、見る人に自由に感じ、考えるきっかけにして欲しいと思ったんだろう。

どの映像をどのように切り取り、配置するのか、ということで、十分作り手の意図を挟み込むことは可能だ。先日の爆問学問で「編集工学」という話があったが、編集すること自体がフィルターを通すことなんだから、主観を排することはできない。

だけど、主観があるからいけないんだ、ということを言ってしまえば、人間の造るものはすべて否定することになってしまう。主観も読み取った上で、さらに自分がどう考えたのか、この映画を議論のきっかけにするという試みが、こうやって広がっていってくれると、嬉しいな。

この映画が、映画としての出来映えはどうなのか、ということは見てみないと分からないし、人によっては恐ろしく眠たいものかもしれないけれど、多分私は見に行くと思います。



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