森の空想ブログ

復活の峪へ [九州脊梁山地:ヤマメ幻釣譚<64>]



早朝、すっきりと目覚めた。
前日、午後から夕刻までのおよそ2時間を渓谷で過ごし、まずまずの釣果を得て、宿を借りた神社直属の家でその釣りたてのヤマメを料理し、和やかな一夜を過ごすことが出来た。
真水に小さめの昆布を一切れ入れて、沸騰後、すぐに昆布を引き上げると、あっさりとした昆布だしがとれる。それに釣ってきたヤマメを入れて強火で沸騰させる。ヤマメには、川を上がる前に塩を振ってあるから、適度な塩味がついている。昆布だしとヤマメだしがほど良く整った頃合いをみて、豆腐と小ねぎを刻んで入れる。最後に薄口醤油で味を足して出来上がり。
この日、体調が悪いと言っていたこの家の娘さんが、
「美味しい」
と食べてくれた。
これもまた、釣り師の無上の楽しみである。

遠い山脈を朝陽が染めている。
足に痛みはない。
アキレス腱断裂という怪我から4ヶ月が経過して、まず順調な回復といえるだろう。
呪術者の「禹歩(うほ)」よろしく片足を引きずりながら歩き回り、時々は釣りにも行きながら、医者にも行かず、はた目には何の手当もせずに治してしまったことが周囲の皆にとっては驚きと不思議の連続のように受け止められているが、実際には、私は指圧や東洋医学に基づく治療法を応用・工夫し、必要な「手当て」を施してきたのだ。
そしてようやく、一人で渓谷を歩き、夏の終わりの釣りをして突発事故もなく、一日を釣り終えた。
一夜が明けて痛みも出ていない。
そこで、
――よし、今日も行ってみよう。
と、馬鹿な決断をする。
やっとここまで治してきて、いま無理をして滑ったり挫いたりして、せっかく繋がりかけた腱が、ぷつん、と切れたら、元の木阿弥ではないか、と仲間たちの心配してくれる声が聞こえるような気がするが、いいのだ。
――釣りをしながら治してきたのだ、谷には治癒力があるのだ。
と、山の翁は屁理屈をこねながら、山道を歩くのである。
ただし、急な斜面や岩場の多い谷は避けて、歩きやすく道路が並行して走っている緩やかな沢を選ぶ。
その程度の用心はする。



一年に一度か二度、入る沢である。
なじみのポイントで、一匹、また一匹と釣り上げた後、小砂利を敷き詰めたような水辺で一休みする。午前の陽光が、木立ちの間から流れに落ちてきて、水流に反射してきらきらと光る。光が森の木々の色を含み、水に届く前に屈折して流れに彩りを添えている。



砂地に寝転んで、少し眠ったようだ。
私は明け方に見た夢を反芻している。
若い女性が、
――ヤマメ釣りを教えてください。
と弟子入りしてきたのだ。
一度は断るのだが、結局は引き受けて、釣りに通うことになる。
――修験者の山中修行というほどでもないが、釣りに女性を伴うことはすなわち煩悩のもとである。
などと野暮なことを言っていると当節、セクハラで訴えられたり抗議が殺到したりする。それゆえ、本件は慎重を期しながらの同行となる。
そして、一匹釣れるごとに、私はナイフを取り出し、グサリと〆る。
するとその女性は、美しい顔に哀しみの色を湛え、胸の前で両手を組み合わせて、
――ああ・・・。
と声にならない声を発するのである。が、私は冷然と、
「これは釣りである。釣りとは狩りである。狩りとは、獲物を食物としていただくために行う厳粛な行為である」
と言い、さらに
「遊びで釣りをしてはいけない。食をいただくためにする釣りであるからには、獲物は必ず死ぬ。ならば一息にとどめをさしてあげることのほうが、狩人の情けに適うものである。山の神様からの恵みを情けを持って食する、それが狩りであり、釣りである」
などと偏屈なことを言いながら釣り進むのである。
かの女は、さらに悲嘆の色を濃くしながら、ついてくることは止めない。
ある一日、私は怪我をしている左足を庇いながら岩場を移動中に、その左足を滑らせた。とっさの判断で、その足を使わず、右足で岩を強く蹴って身体ごと落水する方法を選んだ。落ちる場所はさほど大きくも深くもない小淵だから、ずぶ濡れになることを覚悟し、少し流されて下流で這い上がれば大丈夫、と見切ったのである。
ところが、落ちる途中で脇腹の辺りをしたたかに打った。折れた木の根株が流れに向かって差し出ていたのである。落ちる瞬間、女が、ふわりと宙を舞い、私を追ってざんぶと水に飛び込んだのが見えた。
意識が戻ると、二人は下流に向かって流れ下っていることがわかった。
私は仰向けになって水に浮き、側面から女に抱きかかえられていた。
そして、その下流には
「とどろの滝」
と呼ばれる大滝があり、深い淵がある。
大滝のとどろきと一緒に
――これで、釣りはやめにしましょうね。
というささやきが聞こえていた。
女は、とどろの淵に棲むヤマメの化身であった。



少し休んだ間に夢の続きを見たように思ったが、気を取り直して釣り進んだ。
そして、早めに釣り終えて素裸になり、全身に水を浴び、流れに身を浸した。
べつに「禊」をするつもりなどなかったが、水から上がると、心魂がすっきりと洗われたような気分であった。
そこにはいつもと変わらぬ景色があり、森の光を纏った水は、きらめきながら流れ下った。
足の痛みは消えている。
これで、アキレス腱断裂の怪我から復活した、と把握してよさそうだ。
無論、釣りを止める気はない。


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