8月15日。小生、70歳の誕生日である。めでたくもあり、めでたくもなし。
20歳代に大病をして、「廃人寸前」と言われた経歴を考えると、よく生きたな、という感慨もある。
持ち時間が残り少なくなったな、という焦りに似た気持ちも多少混じっている。
みずから「画狂人」と称した葛飾北斎は、90歳代になって、「あと10年神様が時間を与えてくれたならば、良い仕事ができるものを」と言った。その気持ちが、今はよくわかる。
私は、多くの病歴を持つ割には元気で、今も夜神楽を一晩中描き続ける体力と気力は残っている。
ここに「生きる力」あるいは「生かされている他力」があるのかもしれない。
今年、「由布院空想の森美術館」を17年ぶりに再開できたという幸運もある。ならば、めでたいではないか。
年寄りになったということを必要以上に悔むこともなかろう。持ち時間を惜しむこともなかろう。過ぎ去った時間は帰っては来ない。
昔、長生きをして知恵と経験を積んだ老人は「翁」として尊重された。「翁」は「神」にもっとも近い存在であり、子供たちに愛される「いのち」の象徴である。
今日は、台風の行方を見計らいながら、宮崎から二組の家族がやってくる。旧知の友人も合流する。子供たちと一緒に、今夜の「姫島盆踊り」を見に行くのだ。
8月15日はお盆で、終戦記念日で、各地で様々な催しのある日だから、だれも私の誕生日を祝ってくれる人などいない。だから私はいつもこの日は一人で旅に出て、旅先で誕生日を迎えたものだ。その旅の一ページごとの絵模様を、私はいつでもあざやかに甦らせることができる。今日の盆踊りが中止にならないことを願いながら、穏やかな誕生日を迎えたことを喜ぶことにしよう。
ここまで書いて、カレーの匂いに気が付いた。焦げ臭い。慌てて階段を駆け下りる時、転びそうになったので、二段ほど飛ばして着地した。岩から岩を飛び移るヤマメ釣りの勘がここで役立つ。
――うむ、まだ、衰えてはおらぬな。
カレーは、少し焦げていた。昨日から仕込んでいた野の花と薬草と野ウサギ入りの特別メニューで子供たちを迎えるつもりだったのだ。ちょっと苦味が出たが、何とか食べられる。野生の味が中和されたかもしれない。
めでたいようなめでたくないような首尾。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
1999年
人気記事