埼玉県だけでなく、全国の自治体で、退職金が減額される条例の施行を前に、年度末を待たずに退職する人が多く出ていると報じられています。
その中の多くが教職員であり、中には担任を持っている人までいるため、学校現場では多くの混乱を招いているという報道です。
その論調は、聖職である教職員が、卒業式や進学という大事な時期に職を放棄することに批判的であるように見えます。
あるケースでは、退職金が140万円も減額されるので、このまま年度末まで勤めても、2ヶ月分の給料を加えても、今月末に辞めて受け取る退職金の額より50万円以上も少なくなるそうです。
中には、住宅ローンを退職金で返す予定で、退職金が減ることは痛いので迷ったが、途中で投げ出すことは出来ないので途中退職しないことにした、という人の言葉が紹介されていました。
街頭のインタビューでも、退職者に理解を示す人と、逆に無責任だという人の両方の声を紹介していました。
さて、この問題は、お父ちゃんには極めて腹立たしい。
2ヶ月働いて50万円の持ち出しになる、損になるとわかっていて働く人が世の中にどれくらいいるだろうか?
あなたにも尋ねたい、そんな条件であなたは働きますか?
50万円以上も持ち出してまであなたは働きますか?
お父ちゃんなら絶対に働かない、たとえ仕事を途中で投げ出すことに後ろ髪を引かれ、悔いが残ろうとも。
自分の仕事が最後までやり遂げる意義が大きく責任を伴うと思えるのなら、なおのこと、きちんと見合う報酬をもらって仕事をしたい。
それは当然のことであり簡単なことではありませんか。
教職員ならそれは違うと言えますか?
教職員は、聖職と呼ばれるほど大事な仕事です。
なら、どうしてそれに見合う報酬を手当てしないでいられるのでしょうか?
財政改善のために、国家公務員の給与、退職金の引き下げに合わせるために、聖職に見合う報酬をカットする方を選択したというのなら、行政の考える教職員の聖職観などその程度のものだというしかありません。
今年度末まで退職金の引き下げの措置を待って、来年度から適用するのでもいいではありませんか。
もし行政に他の意図するものがあるのなら別ですが、そうでないのなら、あまりにも仕事と報酬の関係を軽率に考えているとしか思えません。
今回のことで教育現場で混乱が生じ、子供たちが悪影響を被るとしたら、その責任は行政が負うべきであり、教職員の倫理観の欠如などに問題をすり替えてはならないと考えます。
その中の多くが教職員であり、中には担任を持っている人までいるため、学校現場では多くの混乱を招いているという報道です。
その論調は、聖職である教職員が、卒業式や進学という大事な時期に職を放棄することに批判的であるように見えます。
あるケースでは、退職金が140万円も減額されるので、このまま年度末まで勤めても、2ヶ月分の給料を加えても、今月末に辞めて受け取る退職金の額より50万円以上も少なくなるそうです。
中には、住宅ローンを退職金で返す予定で、退職金が減ることは痛いので迷ったが、途中で投げ出すことは出来ないので途中退職しないことにした、という人の言葉が紹介されていました。
街頭のインタビューでも、退職者に理解を示す人と、逆に無責任だという人の両方の声を紹介していました。
さて、この問題は、お父ちゃんには極めて腹立たしい。
2ヶ月働いて50万円の持ち出しになる、損になるとわかっていて働く人が世の中にどれくらいいるだろうか?
あなたにも尋ねたい、そんな条件であなたは働きますか?
50万円以上も持ち出してまであなたは働きますか?
お父ちゃんなら絶対に働かない、たとえ仕事を途中で投げ出すことに後ろ髪を引かれ、悔いが残ろうとも。
自分の仕事が最後までやり遂げる意義が大きく責任を伴うと思えるのなら、なおのこと、きちんと見合う報酬をもらって仕事をしたい。
それは当然のことであり簡単なことではありませんか。
教職員ならそれは違うと言えますか?
教職員は、聖職と呼ばれるほど大事な仕事です。
なら、どうしてそれに見合う報酬を手当てしないでいられるのでしょうか?
財政改善のために、国家公務員の給与、退職金の引き下げに合わせるために、聖職に見合う報酬をカットする方を選択したというのなら、行政の考える教職員の聖職観などその程度のものだというしかありません。
今年度末まで退職金の引き下げの措置を待って、来年度から適用するのでもいいではありませんか。
もし行政に他の意図するものがあるのなら別ですが、そうでないのなら、あまりにも仕事と報酬の関係を軽率に考えているとしか思えません。
今回のことで教育現場で混乱が生じ、子供たちが悪影響を被るとしたら、その責任は行政が負うべきであり、教職員の倫理観の欠如などに問題をすり替えてはならないと考えます。