百一年目の孤独 高橋 源一郎
作者が訪れたマーチン・ハウスという「子どもホスピス」。 ここは子どものうちから体に 障害や不治の病気を背負った、そして何時命が終わるか分からない子ども達の施設である。
『だが、彼らの世界を歩いていて、私は突然,気付いたのである。 中略 彼ら「弱者」と呼ばれる人々は、静かに、彼らを包む世界に耳をかたむけながら生きている。彼らは、あくせくしない。彼らには、決められたスケジュールはない。彼らは、弱いので、ゆっくりとしか生きられない。ゆっくりと生きていると、目に入ってくるものがある。耳から聞こえてくるものがある。それらはすべて、わたしたち、「ふつう」の人達が、見えなくなっているもの、聞こえなくなっているものだ。また、彼らは、自然に抵抗しない。まるで、彼ら自身が自然の一部のようになる。わたしは、そんな彼らを見て、疲れて座っているのだ、とか、病気で何も感じる事ができなくなって寝てるのだ、という。そうではないのだ。彼らこそ「生きている」のである。 中略 彼らが私達を必要としているのではなく、私達が彼らを必要としているのではないかと』
『このマーチン・ハウス では、25年の間に、1600人の子供たちが亡くなってきている。こんなに夥しい死に囲まれているのに、ここは、なんと清冽で、明るい場所なのだろうか。ここで、ひとびとは、たくさんの話をする。それも、ゆっくりと。それから、同時に、たくさんの沈黙を味わう。そして、静かに、また考える。ここでしか感じることのできない時間が流れている。 中略 あるスタッフが 語った。「世界中が、ここと同じような場所だったらいいのに」』
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