十二月大歌舞伎、夜の部、行ってきました。
玉三郎さん、海老蔵さん観てきました。
演目
一、菅原伝授手習鑑 寺子屋
一、粟餅
一、ふるあめりかに袖はぬらさじ
東銀座歌舞伎座 12月14日夜の部観劇
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
作 :有吉佐和子
演出:戌井市郎
出演:坂東玉三郎、中村獅童、中村七之助、中村福助、中村勘三郎、中村勘太郎、市川海老蔵ほか
あらすじ
文久元年(1861)横浜の遊郭、岩亀楼の芸妓お園(玉三郎)は、
病気の遊女亀遊(きゆう・七之助)と通辞の藤吉(獅童)との仲に気づく。
米人イルウスは亀遊に一目惚れして、
岩亀楼の主人(勘三郎)の持ちかけた身請け話を承知する。
これを通訳した藤吉、亀遊は藤吉との仲に絶望して自害する。
しかし、米人の身請け話を断り自害した攘夷女郎、と歪曲する瓦版が出回り・・・
作者の有吉佐和子さんは、社会派小説『複合汚染』で有名だけど、
『華岡青洲の妻』という戯曲もあります。
この「ふるあめりか・・」の主役お園は、杉村春子さんの当たり役だったんですって。
それを玉三郎さんが引き継いで、今回で九回目だそう。
あら、「欲望という名の電車」に続いて、また杉村春子さんですね。
う~ん、今ごろになって、杉村さんの偉大さに気がつきました。
玉三郎さんのお園さん、よかった。
ホント上手いね。芝居が深いです。
玉三郎さんは、お姫さまなんかのお上品な役よりも、イキなお姉さんがぴったり。
人情の機微を演じさせたら、最高です。
一幕では、窓を開けて白い空間を見せるだけで、海や空や船を想像させるのが、
いつもの歌舞伎の手書きの背景ではなく、新鮮。
「ふるあめりか・・」は歌舞伎座の歌舞伎演目だけど、言葉も日常語です。
普通の演劇と同じね。
いわゆる型にはまって、首を曲げて目を向いて、見得をきるような歌舞伎じゃないです。
評論家の方には、
旧態の歌舞伎ではないのが、お気にいらないのかな。
時代が変われば、歌舞伎も変わる~ですよ。
パンフには、
「『ふるあめりかに袖は濡らさじ』に見るお園の魅力」と題して、
石井啓夫さんの興味深い文章がのっていました。
「お園の魅力の根源は、紛れもない平凡な小市民的人間性であり、いかなる思想も魂胆もないことである。
陰に隠れた攘夷派のプロパガンダに巧妙に利用されただけだ。・・・
現代でもそれに似た話はいくつもあるだろう。・・・
総合すると日本の男社会の都合のよい筋書に帰するのではないか、という気がしないではない。」
有吉文学についても
「男社会への言い知れぬ諦観、いや苛立ちともいえる一種の冷笑・・・が有吉文学には貼り付いている。」
「・・みな男は大儀の名のもとに平気で女を犠牲にする。
女は愛のために犠牲を受け入れながらも、男のそんな真面目臭った姿には一様に、
滑稽をみているのである。」
そして、初の歌舞伎座公演についても
「男社会への反骨である有吉文学の神髄が逆照射されるのではないか、」
と期待されています。
ちょっと長々と引用してしまいましたが、おもしろいです。
最初の演目が、主人の若君を守るために、自分の子供の首を身替りにする。という、
「男の大儀のために女子供が犠牲になる」
そのまんまの、筋書きだったので、ちょっと笑ってしまいました。
あとは勘太郎さんの若侍久しぶりでした。
思誠塾の塾生役。
これイヤでも「新選組!」の試衛館のイメージですよ。
髪型がちょっと違うけど、う~ん、なつかしい。
それに勘太郎さん、声がステキです。
寺子屋の女形も、七之助さんかと思ってました。
メイクするとそっくりなのね。
亀遊の七之助さん、はかなげな感じが素敵。
きれいでしたね~
海老蔵さんもよかったですよ。
ふるあめりかでは、ちょい役だったけど、寺子屋では、準主役。
演技も与三郎の時よりも大進歩。
気持ちが目とか表情に表れて、やっぱりドラクル効果ですね。
盛り上がるとこでは、自然に涙ぐんでましたね。
まだ目を向く芝居が、多すぎるかもしれないけど。
あ、ちょっとエラソーでした
ラストは、背景に本物の雨が降る印象的なシーンで終わりました。
笑いっぱなしだけど、胸にじーんとくる場面も。
ちょっと泣けました。
玉三郎さんの当たり役、オススメで~す