イナズマ行脚から帰った西川くんはA.B.S.F.Cにもしばらくアクセスがなくて、もしや過労でぶっ倒れでもしてるんじゃないかと心配してたところ、今朝(じゃないな、未明に)、ようやく西川くんの書き込みがあった。
「実り多き旅」「貴重な経験、思い出深いキャンペーン」だったと。
そっかぁ。。。ホントにお疲れさま!
で、ちょっとは休めたかと思いきや、すぐ翌日から通常業務、つまりスタジオ籠もりだったと。
ほんとにもう、働きすぎなんじゃ……。
そんな忙しい時期に地方まわりだなんて……と考えていたら、ふと大事なことに気がついた。
7月1日、「びわ湖の日」!
それありきの今回のスケジュールだったのだと。
7月2日の読売新聞にこうあります。
それで、今日はちょっとお勉強してみたのです。(子ども向けの本で(^_^;))
1977年、流域に工場進出も増え一般家庭の生活も豊かになってきた時代、突然、琵琶湖に赤潮が発生した。それは工場や家庭からの排水が原因だった。そこで翌年、滋賀県内の消費者団体は環境負荷の少ない粉石けんを使おうという運動を起こした。行政も動き、1979年、滋賀県に環境室という部署が設けられ、リンを含む家庭用合成洗剤の使用禁止などを定める条例案が作られた。
これに対して業界側は憲法違反だと反論したが(今の日本でこんな主張したら社会からつるし上げ)、滋賀県は毅然と退けた(かっこいい!)。
そして「琵琶湖富栄養化防止条例」は全会一致で可決され、1980年7月1日から施行された。
これを記念して制定されたのが「びわ湖の日」。
この記念日に合わせて毎年、湖岸の清掃活動が行われるようになった、というわけ。
かいつまんで書くとこんな感じかな。(参考図書:「12歳から学ぶ滋賀県の歴史」)
洗剤が無リンのものに急に置き換わっていったのは私も記憶がある。
国民が環境問題を身近なものとして認識するきっかけになった出来事でもあったんだと思う。
今は無リンが当たり前。商品は環境にやさしいのが当たり前。環境対策をしない企業は生き残れない。
滋賀県は環境先進国だったのだ。7月1日はそれを象徴する大切な日だったのだ。
ところで、その後、世界の湖沼とも情報交換をしようという滋賀県知事の発案で1984年に「世界湖沼環境会議」が大津で開かれた(現在も継続して開かれている)。そして1986年、国際湖沼環境委員会(ILEC)が設立された。国際的な湖沼研究のメッカってことでいいのかな。
そのILECの場所が琵琶湖博物館のお向かい。
つまりイナズマロックフェスの会場のすぐそば!(≧▽≦)
そんな大事な場所だったのね。
ああ、そういえば。
去年、琵琶湖博物館に遊びにいったとき、聞きたいことがあったのでカウンターの質問コーナーに立ち寄ったら、応対に出てくれたのは、いかにも科学者という感じの、知的なひげをたくわえた大柄な白人の男性だった。
あまりにも想定外の人物が出てきて、どどどどうしよう、英語しゃべれないんですけど……と思ったら、日本語は普通に通じた。フレンドリーにどうぞ何でも質問してくださいと言うので、そこで帰るわけにもいかず、しょうがないから尋ねたのだ。
「さんまさんがテレビで言ってた“ペタキン”は本当にカネヒラなんですか?」
ごめんなさいっ! しょうもない質問でっ!
怒る様子もなく、しばしまじめに考え込む科学者。
あ、あの…そんな真剣に考えなくていいですから……。
「詳しい人がいるので呼んでみましょう」
内線電話をかけてくれて、「詳しい人」につないでくれた。
それが、松田さんだった。「あっぱれ」でペタキン問題にコメントをしていたご本人だ。
あやー、仕事中にすいません!
(先日西川くんが琵琶湖博物館を訪れたとき案内してくださった方。turbo会報vol.079のp.15にちらっと後ろ姿が載ってます)
恐縮しきりで話した質問の、松田さんの答えはというと、
「カネヒラか○○かという可能性がありますが、わかりません」。
そりゃそうだ。
松田さんはさんまさん言うところのペタキンを見てないんだから。
たははー。すいませんでしたー。
なんか、話が大幅にずれちゃいましたが、とにかくそういう場所だってこと。
なんか、あれですね。フェスのときはもう絶対ゴミとか捨てちゃいかんですね。まあそれは当たり前ですけど。何かしたいって気になりますね。何ができるかしら。水筒持参くらいしか思いつかないけど。
あ、そうだ! ライブに参加すれば収益の一部が寄付されるんだった!
ともあれ、LIVE EARTHのときのように、ライブも楽しみつつ、それと同時に環境問題を深く考える二日間になりそうです。
イナズマロックフェスまであと75日。
「実り多き旅」「貴重な経験、思い出深いキャンペーン」だったと。
そっかぁ。。。ホントにお疲れさま!
で、ちょっとは休めたかと思いきや、すぐ翌日から通常業務、つまりスタジオ籠もりだったと。
ほんとにもう、働きすぎなんじゃ……。
そんな忙しい時期に地方まわりだなんて……と考えていたら、ふと大事なことに気がついた。
7月1日、「びわ湖の日」!
それありきの今回のスケジュールだったのだと。
7月2日の読売新聞にこうあります。
彦根市で生まれ、野洲市で育った西川さんは、幼い頃から湖岸の清掃活動に参加していたといい、「命をはぐくんでくれる琵琶湖を大事にするのは当たり前。この日が、環境について考えてもらうきっかけになってほしい」と話していた。
それで、今日はちょっとお勉強してみたのです。(子ども向けの本で(^_^;))
1977年、流域に工場進出も増え一般家庭の生活も豊かになってきた時代、突然、琵琶湖に赤潮が発生した。それは工場や家庭からの排水が原因だった。そこで翌年、滋賀県内の消費者団体は環境負荷の少ない粉石けんを使おうという運動を起こした。行政も動き、1979年、滋賀県に環境室という部署が設けられ、リンを含む家庭用合成洗剤の使用禁止などを定める条例案が作られた。
これに対して業界側は憲法違反だと反論したが(今の日本でこんな主張したら社会からつるし上げ)、滋賀県は毅然と退けた(かっこいい!)。
そして「琵琶湖富栄養化防止条例」は全会一致で可決され、1980年7月1日から施行された。
これを記念して制定されたのが「びわ湖の日」。
この記念日に合わせて毎年、湖岸の清掃活動が行われるようになった、というわけ。
かいつまんで書くとこんな感じかな。(参考図書:「12歳から学ぶ滋賀県の歴史」)
洗剤が無リンのものに急に置き換わっていったのは私も記憶がある。
国民が環境問題を身近なものとして認識するきっかけになった出来事でもあったんだと思う。
今は無リンが当たり前。商品は環境にやさしいのが当たり前。環境対策をしない企業は生き残れない。
滋賀県は環境先進国だったのだ。7月1日はそれを象徴する大切な日だったのだ。
ところで、その後、世界の湖沼とも情報交換をしようという滋賀県知事の発案で1984年に「世界湖沼環境会議」が大津で開かれた(現在も継続して開かれている)。そして1986年、国際湖沼環境委員会(ILEC)が設立された。国際的な湖沼研究のメッカってことでいいのかな。
そのILECの場所が琵琶湖博物館のお向かい。
つまりイナズマロックフェスの会場のすぐそば!(≧▽≦)
そんな大事な場所だったのね。
ああ、そういえば。
去年、琵琶湖博物館に遊びにいったとき、聞きたいことがあったのでカウンターの質問コーナーに立ち寄ったら、応対に出てくれたのは、いかにも科学者という感じの、知的なひげをたくわえた大柄な白人の男性だった。
あまりにも想定外の人物が出てきて、どどどどうしよう、英語しゃべれないんですけど……と思ったら、日本語は普通に通じた。フレンドリーにどうぞ何でも質問してくださいと言うので、そこで帰るわけにもいかず、しょうがないから尋ねたのだ。
「さんまさんがテレビで言ってた“ペタキン”は本当にカネヒラなんですか?」
ごめんなさいっ! しょうもない質問でっ!
怒る様子もなく、しばしまじめに考え込む科学者。
あ、あの…そんな真剣に考えなくていいですから……。
「詳しい人がいるので呼んでみましょう」
内線電話をかけてくれて、「詳しい人」につないでくれた。
それが、松田さんだった。「あっぱれ」でペタキン問題にコメントをしていたご本人だ。
あやー、仕事中にすいません!
(先日西川くんが琵琶湖博物館を訪れたとき案内してくださった方。turbo会報vol.079のp.15にちらっと後ろ姿が載ってます)
恐縮しきりで話した質問の、松田さんの答えはというと、
「カネヒラか○○かという可能性がありますが、わかりません」。
そりゃそうだ。
松田さんはさんまさん言うところのペタキンを見てないんだから。
たははー。すいませんでしたー。
なんか、話が大幅にずれちゃいましたが、とにかくそういう場所だってこと。
なんか、あれですね。フェスのときはもう絶対ゴミとか捨てちゃいかんですね。まあそれは当たり前ですけど。何かしたいって気になりますね。何ができるかしら。水筒持参くらいしか思いつかないけど。
あ、そうだ! ライブに参加すれば収益の一部が寄付されるんだった!
ともあれ、LIVE EARTHのときのように、ライブも楽しみつつ、それと同時に環境問題を深く考える二日間になりそうです。
イナズマロックフェスまであと75日。