尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教科書検定基準「改正」問題

2014年01月08日 23時26分55秒 |  〃 (教育行政)
 「義務教育諸学校及び高等学校教科用図書検定基準の一部を改正する告示案に関する意見募集について」というパブリックコメントの募集を行っている。14日まで。

 これは中学や高校の歴史、公民等の教科書をめぐる問題である。「教科書問題」というのは戦後何度か、保守系政党が問題視して起こって来た。ここ10数年は「新しい歴史教科書をつくる会」というのができて、扶桑社育鵬社、あるいは自由社の中学歴史、公民教科書が作られてきた。(扶桑社は産経新聞の子会社で、育鵬社はさらに扶桑社の子会社。前記「つくる会」の分裂にともない、自由社版も作られている。)今までの中学教科書採択で、安倍晋三氏(首相)や下村博文氏(文科相)はこれらの教科書を支持してきた。そして、下村文科相が昨年11月25日に、教科用図書検定調査審議会総会に出席して、以下のような挨拶をしている。ちょっと面倒くさいが、引用しておきたい。(前記パブコメ画面の関連情報に紹介されている。)

 ○ 特に歴史については、光と影の部分があり、影の部分のみならず光の部分も含めてバランス良く教えることにより、子供たちが我が国の歴史について誇りと自信を持つことが重要であると考える。こうした観点から、検定基準については、特に社会科に関して、
通説的な見解がない事柄を記述する場合や、特定の見解を強調して記述している場合などに、よりバランスの取れた記述にすること
政府の統一的な見解や確定した判例がある場合には、それらに基づいた記述も取り上げられていること
といった内容を新たに盛り込むべきであると考える。

 これを受けた審議会で検討され、以下のような変更案がまとまった。
① 未確定な時事的事象について記述する場合に、特定の事柄を強調し過ぎていたりするところはないことを明確化する。
② 近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示され、児童生徒が誤解しないようにすることを定める。
③ 閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解や最高裁判所の判例がある場合には、それらに基づいた記述がされていることを定める。

 まあ、じっくり比べるほどのものでもない。全く同じと言ってよい。大臣挨拶が2点になっているのを3項目にまとめ直し、多少文言をはっきりさせているけれど、要するに同じ。このように、今回の「改正」というものは全く「政治的な動きを追認しただけのもの」ではないか。今まで何度かの検定で、前記の教科書は毎回多数の検定意見を付けられてきた。単純な間違いも多かったけど、要するに「通説に反する」記述が多く、「理解できない記述である」などという意見を付けられてきた。それでも「大東亜戦争」などという記述がある。「大東亜戦争」は確かに当時の政府の呼び名ではあるが、戦後の日本政府の立場ではない。となると、次回からはこういう記述はなくなるんだろうか。保守系言論人は、今回の「改正」に反対しないのだろうか。まあ、しないのだろう。それは「文科省は新基準を恣意的に運用する」と信じているからだろう。

 そもそも「通説があるかどうか」は誰が決めるんだろうか。それは「特定秘密保護法」で「そもそも何が秘密かが秘密」になっているのと似ている。「通説的な見解がない」と文科省の検定担当者が決める権限を持っているのだろうか。いや、今までもそのような問題で、何度も裁判が起こってきた。文科省の検定結果が覆されたこともある。しかし、検定基準に明記されれば、教科書執筆者は「文科省が何を通説と思い込んでいるか」を今以上に気にしなければならない。歴史学は自然科学と違い、誰もが目に見える形で実験することができない。史料は無数にあり、解釈次第では様々な説を立てることが可能である。「偏った見解」が一つでもあれば「通説がない」と文科省が言えてしまう。文科省に「ガリレオ裁判」における教皇庁のような「異端審問権」を与えてしまっていいのか。

 「政府の統一的見解」を書けというのに至っては、やはり文科省は「考えない国民作り」をもくろんでいるんだなという証明である。原子力発電、家族のあり方、近隣諸国との歴史問題…などなどは、様々な考え方が教科書に掲載され、それを基に「考える授業」が展開されるようにするというのが、本来あるべき姿だろう。でも、政府自ら「統一的見解を覚え込めばいい」と考えているのである。いつの時代の話だ。まあ、これが安倍政権の教育政策なのである。これからどんどんこういう「改悪」がひんぱんに起こってくるのではないか。それでも「パブコメ」なるものがある限り、言うだけは伝えておきたいと思う。
*パブリック・コメントの結果も知らされないまま、1月17日に検定基準の「改正」が決められた。ホント、単なるアリバイ作りにしか過ぎなかった。
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冬の日光旅行

2014年01月08日 00時31分57秒 | 旅行(日光)
 日光湯元温泉に旅行。年明け早々に行ったわけは最後に回し、ただひたすらのんびりする旅行。いつもは車で行くんだけど、冬はいろは坂が凍結すると嫌だから、電車とバスにした。つい最近も観光バスがいろは坂でスリップして何時間も通行止めになったばかり。まあ行ってみれば大丈夫そうな感じだったけど、でも天候ばかりは判らない。奥日光の一番奥、湯元温泉まで行けば、寒いだけでなく地吹雪のように雪が舞っていた。昼過ぎ発ののんびり出発で、東武日光駅に着くと、さすがに寒い。奥日光に泊るなら、バスのフリーパス券が半額の1500円になるのでお得。(ついでに言えば、自家用車で行っても、車を日光市内に無料で駐車することもできる。)

 最近定宿の「休暇村日光湯元」に入り、部屋から外を見ると雪が舞い寒そう。木々が葉を落としているから見通しがいい。風呂に行くと、全く湯船が見えない。カランに人がいるかどうかも見えない。気温の関係で、湯気が立ち込めもうもうたる状態。露天に行けば、顔に雪が当たる。行くたびに色が変わるにごり湯だけど、今回は内湯が白濁で、露天は青かった。(緑の時もある。)一日目は人が多くて撮れなかったけど、2日目の朝の風呂。2枚目が内湯、3枚目は温泉棟を廊下から。最後は部屋から外。
   
 食事はカニ鍋が基本で、お造り(エビ、マグロ、湯葉)、サケのホイル焼きなど続々と来るが、他にその場で天ぷらを揚げてる。蕎麦やごはん、サラダ、デザートなどは自分で好きな時に取りに行く。「ハーフ・バイキング」と言ってるけど、量や食べ時を選べるからいい。「天鷹」純米を一本。カニ鍋は食べた後、ご飯を煮込んで雑炊に。初めからそういうプランで卵が置いてある。皆うまいが、つい天ぷらをいっぱい取ってきたり、羊かんやケーキを食べてしまう愚は今回は犯さなかった。朝はバイキングだけど、「七草がゆ」もあったりして、今回も満足。「休暇村」に安いプランで止まるというと、食事はいわゆるどんなだろうと思うだろうから一応。

 翌日(今朝)はすっかり晴れ渡り、これなら「スノーシュー」ができたなと思ったけど、まあ今さら。スノーシューは雪上を歩く「西洋かんじき」で、レンタルしてくれる。前にやったこともある。戦場ヶ原スノーシューは一度は行く価値がある。何しろ「アニマル・トラッキング」(動物の足跡や糞など)がいっぱいなのである。今はほぼ鹿とウサギだろう。宿の周りにもいっぱいあった。バス停まで湖畔をめぐって少し雪道を歩く。1枚目の奥が裏から見た宿。2、3枚目は湯の湖。3枚目の向こうに見えるのは男体山。湯の湖は半分は凍結してるけど、宿の多い地域は温泉が湧いてて凍らない。そこに鴨がいっぱいいたけど、うまく写真にならないので撮ってない。この辺はラムサール条約登録湿地である。
   
 バスを中禅寺温泉で降りて、華厳の滝へ。今まで何度も見てるが、車だと駐車代がかかる。冬は見てないので、無料の観瀑台から見る。やはり迫力。凍ってるところもある。それから中禅寺湖まで歩くが、観光船もボートもなく店の多くも閉まってるから静寂。男体山もくっきり。バスのフリーパスを持ってると、日光レークサイドホテルでコーヒーとチーズケーキを無料で提供というので、これは寄って行きましょう。首都圏で貼ってる「日光女子旅」というポスターで出てるケーキだった。もっとも小さいけど。レークサイドは久しぶりに寄ったけど、湖がきれいに見えて気持ち良かった。
    
 バスはいろは坂をどんどん降り、西参道で降りて、軽く東照宮近辺を散策。東照宮と輪王寺、二荒山神社の共通券が去年無くなって、陽明門も修理中なので、金払って入る気はしない。無料区域だけ歩いて、少し気分に浸るだけ。特別公開していた「御仮殿」(下3枚目の写真)にはちょっと寄って行く。ここは本殿修理中などの時に神を移す場所だというが、修理中でもないのに常設されてる神社は全国でも珍しいとある。裏の方まで歩いて、「四本龍寺」という小さな三重塔があるお寺に行ったら、お堂に鏡餅があった。
   
 神橋まで下りて、ようやくお腹も空いてきた。金谷ホテルまで坂を登ってみるが、昔、ランチにそばを出していた和食処がない。パンを買って出て、結局ホテル下のそば屋。でもそこ「日光物産会所」は入ったことがなかったけど、登録有形文化財だった。金谷ホテルベーカリーなどが入っている建物である。天海和尚(1枚目)と板垣退助(2枚目)の銅像を撮って、駅へ。天海(1536?~1643)は異常な長命だった江戸初期の怪僧で、家康の側近だった。家康に「権現」号を贈り日光に改葬した人物である。ロープウェイが唯一残っている「明智平」という場所がいろは坂上にあるが、この「明智」は光秀のことで、天海の前半生に不明のところもあり、光秀が生き残り天海になったという俗説がある。まさか。板垣退助は戊辰戦争時に、日光攻撃の中心人物だったが、日光を焼かずに救ったということらしい。
   
 駅に向かう途中に、「日光総合支所」がある。合併前の日光市役所。行ったことがなかったけど、ここも登録有形文化財。明治から大正にかけ「大名ホテル」の名で建てられたが、中途で挫折。和洋折衷の入母屋造りの壮大な建物は、進駐軍に使われたりしたが、昭和23年以後は日光町役場となり、市役所、日光総合支所として使われてきたという、休憩所はないが、3階を見ることができる。ここは日光の住民には知られているだろうが、一般の観光客には「知られざる名所」だろう。僕も初めて。3枚目は旧議長室。最後は裏から見たところ。
   
 今回は関東の休暇村合同のダイレクトメールが会員に来た。会員は50歳以上を対象にした「Qカード」会員。その安いプランをさらに1000円割引にするというのが、今週なのである。さらにワインのお土産までくれるという。そこに「とちぎ券」という「3000円で5000円分になる」プレミアム券があって、これも使える。さらに加えて、会員のポイントも使ったので、(「とちぎ券」を買う時にカネ払ったわけだが、それは置き)当日の負担金は二人合わせて(酒一本入れて)7000円にならないという超お得な旅行だった。申し訳ないくらいの感じなので、今回はちょっと宣伝を入れて書いてみた。日光は超有名な観光地だけど、冬はいろは坂が大変でマイカーが少ない。でも雪見温泉、ウィンタースポーツ、ただノンビリなど、山あり、湖あり、世界遺産あり、美食あり。バスもいっぱい出てるので、子連れ、親連れですぐ行ける。
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初笑い 柳の家に春風が!

2014年01月05日 21時24分44秒 | 落語(講談・浪曲)
 近くのホールで新春落語会。西新井ギャラクシティで、柳亭市馬柳家喬太郎柳家三三(さんざ)に加えて、春風亭一之輔が入って四人会。春風は新春でもあるだろうけど、柳屋系の中に春風亭が一人という趣向。この顔触れはすごいな。という人ばかりが来てるわけでもないのが、地元のホール落語というもの。誰も名前知りませんみたいな人がかなりいた感じで、知らないながら皆受けて、大笑いしていた。ここはかなり新年の落語会に行ったけど、震災後に耐震化で閉まっていた。また始まってうれしい。

 前座は柳亭市弥という人で、その後に春風亭一之輔。「黄金の大黒」という噺だったと後で貼り紙を見たけど、マクラが面白すぎて他の印象が飛んでしまった。最初はベルリン大学落研の話で、これがおかしい。でもその後の「鉄道路線ネタ」が西新井では大受け。「東武野田線」(本人は野田出身だということで)と、他の東武線、あるいは他の私鉄、JRの「地域問題」。こういう話は多くの落語家が取り上げるけど、一つ間違うと問題発言になる。東京(あるいは首都圏)は「地域格差」が大きいので、「自虐ネタ」で取り上げる人が多い。一之輔は真打昇進を見て、その後はもう一回くらい見たかと思うが、ますます客をしっかりつかむ力をつけている感じ。

 続いて柳家喬太郎で「転宅」という話。泥棒が妾宅に忍び込み、すごむところを逆にたらしこまれてしまう。結婚約束までしてカネを置いてきてしまうが、翌日来てみると…という展開を男女演じ分け見事。休憩をはさんで、柳家三三は「粗忽の釘」。引っ越してきた大工が女房に言われて釘を打ちつけると、隣家にまで抜けてしまう。そのドタバタ騒ぎを面白おかしく演じる。この二人はあまり聞いたことがないのだが、しっかり客の心をつかんでいた。とぼけた展開をうまく演じて楽しんだ。

 最後に市馬師匠。うまいのは判り切っているが、最初の頃の大相撲の呼び出し、行司の声帯模写、続いて相撲甚句で、場内の心をつかんでしまった。面白い、うまいなどという声が周りから聞こえる。話は「妾馬」(めかうま)で、八五郎の妹つるが殿様に見初められ、殿中に上がって世継ぎを生む。兄の八五郎は殿に呼ばれて御殿へ向かうが、珍道中の末、酒を出されて酔っ払い都都逸をうたい、母を思い出しほろりとし…という噺。市馬だったか誰だったか、前にも聞いてるし、市馬師匠も何度も聞いてる。どっちかというと通好みの噺家なのかと思っていたが、今日は新春の客席に大受けしていた。声が通るし、酔っ払いの仕草が堂に入ってる。これはもう名人芸だと思う。

 寄席の初席は顔見世興行だから、ほとんどマクラのみでとっかえひっかえ出てくる。そこが面白いと言えば面白いけど、落語をじっくり聞くなら正月はホール落語の方がいいと思う。特に都心でやる通向き企画よりも、地元のホールでやる落語会がおすすめ。落語会にあまり来たことないお客が多い方が、新春気分が出る。お互いに。同じホールで聞いた落語家はかなりになるけど、新春じゃないけど、昔、春風亭柳昇を見に行って、その前に出てた春風亭昇太を「発見」した思い出がある。柳昇師匠は少しして亡くなり、昇太は「笑点」に出るようになってすっかり有名になった。まだ20世紀の頃である。
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映画「楽隊のうさぎ」

2014年01月04日 23時24分25秒 | 映画 (新作日本映画)
 中沢けいの原作を鈴木卓爾監督が映画化した「楽隊のうさぎ」が公開中。これは浜松のミニシアター、「浜松シネマイーラ」が中心になり、全国のミニシアターが製作に協力してできた映画で、上映も各地のミニシアターで行われている。東京では渋谷のユーロスペースで上映されているが、これは映画ファンなら見に行かないといけないと思い、見てきた。(ユーロスペースでは10日まで一日4回、24日まで一日一回16時から上映。その他、横浜シネマジャック&ベティ、名古屋シネマテーク、大阪の第七藝術劇場、札幌シアターキノ、新潟シネウィンド、金沢シネモンド、函館シネマアイリス、東北のフォーラム仙台、福島など各館、那覇桜坂劇場など名だたるミニシアターで上映されるが、各館の上映日程が違うので、もう終わっていたり終わりが近い所もあるかもしれない。)

 見た感想を一言で言えば、非常に心ふるえる「中学生映画」で、またすぐれた「音楽映画」でもあった。音楽系部活映画と言えば、「青春デンデケデケデケ」「スウィング・ガールズ」「リンダ リンダ リンダ」とか、高校の軽音系はあるけど、中学生の吹奏楽部は今までにないだろう。シロウトの中学生を集めてレッスンし、かれらの実際の音を使っているという。主役の男の子は中学1年で入部した時から、2年生で大会に出るときまで、本当に大きく成長していくのがまざまざと見える。そういう意味では、まれに見る音楽映画で、音楽ドキュメンタリ―とも言える。

 でもこの映画のベースは、中学生のあやうい心情を描く出すということにある。子どもたちの間にある強弱の差異や揺れ動く人間関係、教師の無神経や力量不足、親との難しい関係などが過不足なく描写されている。主人公の少年は最初とても「弱弱しい」感じで、集団の中で生きて行けるか心配な感じもする。まあ音楽映画なんだから(「いじめ問題」を描く映画ではないと知ってるから)、部活で何となく頑張れるのかなと予想して見るんだけど、この主人公は最初は授業が終わったら一刻も早く家に帰りたいという少年だった。それが最後の大会の頃には何という変貌を見せることだろう。この学校、クラスでは「荒れ」や「いじめ」が起こっても全く不思議ではない。それでも「学校に居場所がある」ということが、少年を成長させていくのである。

 では何でこの少年は吹奏楽部に入ったのか。彼にだけ見える「うさぎ」がいて、うさぎについて行ったら音楽室なのである。このうさぎは、その後もたびたび現れ、心迷う時、心弱る時に、言葉は発しないが仕草で励ましたり癒したりする。そういうファンタジックな設定になっている。この「うさぎ」をどう見るかだけど、まあそういう「導きのうさぎ」を心の中に持っているのは素晴らしいとも言える。でも実際に「目に見えるうさぎ」が校内を案内しているを見ると、これは「特別な能力を持った少年」なのかなという感じもしてくる。僕にはその描き方だけがよく判らなかった。

 中沢けいは、19歳(明大在籍中)に「海を感じる時」で群像新人賞を受賞した。1978年のことである。群像新人賞はその2年前に村上龍の「限りなく透明なブルー」が、翌年には村上春樹「風の歌を聴け」が受賞という黄金時代で、中沢けいも女子大生作家として有名になった。その後、結婚、出産、離婚を経験しながら、コンスタントに作品を発表し、2000年に「楽隊のうさぎ」を発表した。この小説は発表当時から評判になって、文庫になって今も読み継がれているが、僕は中沢作品を読んだことがない。プログラムを読むと、原作は大会参加を中心にした「部活小説」の側面が強いようだが、映画は限られたメンバー、限られたロケ期間(練習期間)で作られるから、それは無理。音源を生徒(役の子役)のものだけにして、顧問創作曲(音楽担当者作曲)で大会参加を目指すという構成にした。これが成功していると思う。

 浜松のミニシアターが企画、製作したというのは、浜松が「楽器の町」だからで、浜松に本社があるヤマハが全面的に協力している。浜松市はじめ地元の協力を取り付けて作られた。この映画を見れば、音楽はいいなあ、楽器を自分も手にしてみたいなあと思う人も多いと思うし、「浜松の楽器」をアピールしたことは間違いない。映画製作の中心となった越川道夫も浜松出身、監督の鈴木卓爾は磐田出身、音楽の磯田健一郎も出身は大阪ながら浜松北高出身という地元を熟知するスタッフで作られた映画である。

 鈴木卓爾監督(1967~)は「私は猫ストーカー」「ゲゲゲの女房」を作った人だが、浜松の自主映画集団に所属しぴあフィルムフェスティバルで受賞したこともあるという。NHK「中学生日記」の脚本を手掛けていたこともあるから、この映画はまさに適役という感じである。音楽の磯田健一郎(1962~)は、中江裕司監督の「ナビィの恋」「ホテル・ハイビスカス」で毎日映画コンクール音楽賞を受賞した人で、この映画では作編曲の他、生徒の演奏指導もしているという。映画の最後の出てくる顧問作曲という《Flowering TREE》もこの人の曲。ベースにパブロ・カザルスの「鳥の歌」へのリスペクトがある。

 主舞台となる音楽室は、作曲家の肖像がズラッと並んでいて、なんだか懐かしい。「吹奏楽部7か条」という「部訓」も貼ってあるのが中学生らしい。この音楽室の空間がとってもいいと思う。(もっとも吹奏楽部は多くの学校で決してユートピアではないのだが。)なお、映画の中で使われた曲を参考までに挙げておくと、スーザ「星条旗よ永遠なれ」、ドビュッシー「月の光」、ビゼー「アルルの女」、ヘンデル「王宮の花火の音楽」より、モーツァルト「13楽器のためのセレナード《グラン・パルティータ》より、磯田健一郎「打楽器のためのパターン」、ホルスト「吹奏楽のための組曲 第一番ホ長調」より、ムソルグスキー「展覧会の絵」より《ビドロ》、カタロニア民謡「鳥の歌」、スザート「ロンド《わが友》」、そして先に書いた磯田作曲の作品となる。
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