尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

韓国の映画監督キム・ギドクの死ー2020年12月の訃報③

2021年01月10日 22時49分11秒 |  〃 (世界の映画監督)
 韓国の映画監督キム・ギドク(金 基德、김기덕)が12月11日にラトビアの首都リガで亡くなった。59歳。1960年12月20日生まれだから、60歳目前だった。死因は新型コロナウイルス感染症とされる。何で遠いリガで死んだかと言えば、ここ数年来性暴力など様々な批判が起きて、韓国では映画が撮れる状態になく、ラトビアに定住する予定だったらしい。
(キム・ギドク監督)
 キム・ギドクの訃報は非常に難しい問題を提起した。映画製作に際して、女優に対する暴力があったことは韓国での報道によれば否定できない。しかし、問題はキム・ギドク個人に止まらないと思う。彼の作品は世界各地の映画祭で様々な賞を受けてきた。特に「嘆きのピエタ」は2012年のヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲得した。これは「韓国映画史上初の世界三大映画祭最高賞」である。(その後、2019年に「パラサイト 半地下の家族」がカンヌ映画祭最高賞を得た。)

 「個人的な問題はあるが、素晴らしい映画を作った監督」として評価すべきなのか。そもそもアートにおいて、作品と作者の関係を別個に評価出来るのか。そういう問題もあるけれど、その「嘆きのピエタ」という映画そのものが、僕には納得できなかった。主人公は天涯孤独に生きてきて、消費者金融の無慈悲な取り立て屋をしている。そこに「母」を名乗る老女が現れ、過去に捨てたことを謝罪するが、主人公は母と認めない。面白くなりそうな設定だとは思うが、暴力的描写が多くて付いていけない部分が多い。最終的に何が言いたいのかが僕にはよく判らない。
(「嘆きのピエタ」)
 2014年11月にシネマヴェーラ渋谷で「韓国映画の怪物ーキム・ギヨンとキム・ギドク」という特集上映が行われた。個別の新作公開はあったけれど、多分それ以後はまとまった特集はないと思う。今後もしばらくは行われないだろう。キム・ギドク映画とは何だったのか。それを客観的に検証出来るようになるには、かなりの時間が必要だと思う。キム・ギドクの映画はかなり見てきた。韓国映画(あるいは世界の映画祭で受賞したような映画)には関心があるが、最大の理由は多くの作品を上映した新宿武蔵野館の株主優待券を持っていたからだ。

 だから日本での初公開「悪い男」(2001、日本公開2004)も優待で見た。これは出来としてはそれなりだと思ったけれど、いくら何でも映画の設定はトンデモである。ヤクザが女子大生に一目惚れして、街中で強引にキスをする。軽蔑されながらも追い続け、「もの」にした後は彼女を売春宿に売り飛ばす。「悪い男」と言うんだからヤクザは「悪」なんだろうが、映画内では感情が判らない。「観客が見たくないものを描く」という映画もあるだろうが、この映画はそれを目指していたのだろうか。どうもそうでもなさそうだ。居心地の悪さを感じてしまう映画だった。

 2004年には秋に「春夏秋冬、そして春」(大鐘賞作品賞)が公開され、キネマ旬報で第9位に入った。(この年は「殺人の追憶」(2位)、「オアシス」(4位)、「オールド・ボーイ」(6位)と韓国映画がベストテンに4作品入選した。)2005年には「サマリア」(ベルリン映画祭監督賞)、2006年には「うつせみ」(ヴェネツィア映画祭監督賞)が日本公開された。この時期がキム・ギドクの映画に一番注目が集まった時期だと思う。しかし、女子高生の援助交際を描く「サマリア」、空き巣と主婦を描く「うつせみ」のどっちも、納得できる出来映えではなかった。「面白い題材」を扱いながらも、何か最終的に人の心を打つことがない。
(「サマリア」)
 キム・ギドクは高等教育を受けず、17歳から工場で働いた後に20歳になって海兵隊に志願した。5年間を軍隊で過ごし、軍生活に適応したと言われている。その後フランスに渡って、「羊たちの沈黙」「ポンヌフの恋人」などに刺激されて映画作家を目指して、低予算で「」(1996)を撮影した。このように映画界どころか、韓国社会の中でも独自の出自を持った監督である。彼の映画、あるいは実生活における「暴力」志向性は、生い立ちからも来ているだろう。また、軍体験や韓国社会に内在する文化そのものとも関連がある。だから、今すぐ客観的な考察は難しい。今後作品だけでなく、伝記的な事実も究明されてゆくのを待つしかない。

 ただし、彼も内心の苦悩を抱えていたのだとは思う。最初は「春夏秋冬、そして春」という田舎の寺に籠もる僧を描いた作品に、その事はうかがえると思った。僕はこの映画を初めて見たときは、美しい韓国の自然描写、厳しい修行などにかなり感動したものだ。その年の「オアシス」「殺人の追憶」には及ばないと思ったが、それでも苦悩する男の描写が心に残ったのである。しかし、シネマヴェーラ渋谷の特集で再見して、どうもこの映画も変な感じがした。最初に見た時は「悟り」を感じ取ったのだが、再見すると「偽善」に近いものを感じた。その後の作品を知っていることもあって、どうも今ひとつ心に響いてこなかった。
(「春夏秋冬、そして春」)
 その後の「」「絶対の愛」「悲夢」などは見たが、どれも感心しなかった。「悲夢」で自殺未遂シーンで実際に事故が起きかけて、3年間の隠遁生活を送る。その様子を記録映画「アリラン」(2011)を作って、カンヌ映画祭「ある視点」部門作品賞を受けたが、僕は見なかった。翌年に「嘆きのピエタ」を見たが、それ以後は無理に見なくていいと思っていた。作品完成度に問題があるか、一定の完成度があっても「不快感」が残る作品が多い。このブログでも書いてないと思う。「キム・ギドクのどこに問題があったのか」は非常に重大な論点を持っていると思う。具体的な事実関係はよく知らないので、ここでは触れなかった。しかし、彼の映画を見るだけでも、何か問題を抱えていることは判った。
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