尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

死刑囚の恩赦問題①

2018年01月13日 23時14分41秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 このブログに書いてない問題はいっぱいある。もちろん世界のあらゆる問題について一人で独自の見解を述べるのは不可能だ。関心があまりない問題(SMAPの解散とか安室奈美恵の引退とか)もあれば、勉強してから書こうと思っているとなかなか大変だから書けない問題もある。いろんな人があちこちで論じているから、まあ僕はいいかなと思う問題もある。(僕が何か政治的な見解を書いても実現可能性はないのに対し、映画や本を紹介すれば見たり読んだりする人がいるかも…。)

 もう一昨年になるけど、天皇の退位問題が表面化した時も何も書かなかった。以上の理由の複合みたいな感じだが、基本的には関心がないし、実際の成り行きも事前にこうなるだろうなあと考えたのと大体同じあたりで決着した。ただ、退位・即位の時期に関しては、僕も含めて予想外だったのではないか。5月の連休に合わせてしまって「10連休」になるかもしれないという話。それはいいと思う人ばかりではない。病院や福祉施設などがどうなるか、今から心配な人も多いに違いない。

 天皇退位問題を聞いたときに、僕がまず思ったのは「昭和天皇の時のような死刑囚の悲劇を繰り返してはならない」ということだった。そりゃあ一体何のことだと言われるだろうが、その説明は後に回すことにする。要するに、新天皇の即位があれば、それを「国家的慶事」と考えて「恩赦」が行われるだろうということである。戦後に行われた「政令恩赦」は12回に及ぶというが、大規模なもの(「大赦」)が行われた例として、日本国憲法公布講和条約締結国連加盟昭和天皇大喪の礼がある。

 そこまで大掛かりではないが、皇太子結婚(2回)や明治百年、沖縄返還、天皇即位などに際しても恩赦として復権令が出された。復権というと、選挙違反等で公民権停止になっていた政治家が復帰できたりするので評判がよくない。前回は昭和天皇の葬儀に際して大規模な大赦があったので、天皇即位時は規模が小さかった。また今年は「明治150年」の式典があるらしいが、百年ならともかく恩赦を行うほどの盛り上がりにはならないだろう。今回は翌年に新天皇の即位が予定されているわけだから、恐らくは2019年にある程度の規模の恩赦が行われる可能性が高いと思う。

 天皇は日本国の「象徴」だが、政治的な権能は持たない。日本国の主権は国民にあるのだから、国民が選んだ国会議員が選出する内閣総理大臣が交代する方が重大である。そう考えると、天皇の交代で「恩赦」を行うということ自体がおかしいと考えられる。天皇が交代することは、果たして国家的慶事なんだろうか。天皇が死去し、新天皇が即位する。前天皇や新天皇の温情をあまねく国民に知らしめる一環として、罪あるものにさえ天皇の仁慈が与えられる。要するにそういうことなんだろうけれど、天皇に主権があった時期の名残りというべき慣習ではないか。

 僕はそう考えているけれども、だけど恩赦反対運動を行っても、恩赦は実施されるだろう。官僚は前例を踏襲するものだから、今から前例を調べて該当者のリストアップなどを始めているのではないか。この問題は関係する人が少ないから、ほとんどまだ論じられていない。そして、僕が思うに、恩赦が行われるのであれば、死刑囚に一括して恩赦を与え無期懲役に減刑して死刑廃止国になってはどうか。まあ、そういう主張もできるのではないか。ただし、僕も実現可能性を考えて書いているのではなく、やはりそれは無理なやり方なんだろうと思う。

 もともと日本では戦前戦後を通して、何人かの死刑囚に恩赦が与えられてきた。1911年に大逆事件の死刑囚24人のうち半数の12人に「明治天皇の仁慈」で無期懲役に減刑された事例が有名だ。戦後も何件かあるが、最近は絶えてしまったので知らない人が多いだろう。死刑を宣告された人は、執行されるか獄死するか、はたまた無実が証明され再審が開かれるか。とにかく生きてシャバに出るには再審以外はないと思っているかもしれないが、死刑囚にも本来は「恩赦のご仁慈」が与えられなければおかしい。(そういう恩赦という制度がある以上は。)

 ところで先に書いた昭和天皇死去に際しての「死刑囚の悲劇」とは何だろうか。あの「昭和最後の日々」を覚えている人も少なくなってきたかもしれない。昭和天皇の病気が1988年秋に公表され、全国では運動会などの行事をどうするか大騒ぎになった。実際に死去したのが翌1989年1月7日。だからかなり長い時間があったわけである。「昭和」は戦争と高度成長を含んで64年(実質は62年と2週間だが)続いたから、多くの人に「天皇交代」のイメージがなかった。そんな中で、獄中では天皇の死去、新天皇即位に際して大規模な恩赦が死刑囚にも行われるとうわさが飛んでいたのだ。

 もちろんどんな大規模な恩赦があっても、「恩恵を施して赦す」ためには、本人が「罪を認めて反省する」必要がある。だから、無実を主張している人には意味がない。本当に無実で一刻も早い人権回復が必要な人ほど、恩赦の恩恵に浴せない。そして、もちろん刑が確定していなければ恩赦の対象にならない。(罪になる対象そのものを一括して免訴にするようなケースでは、裁判の途中であっても、あるいは無罪を主張する人でも、裁判打ち切りという形で「恩赦」になることはある。)

 だから裁判の途中の死刑囚、一審あるいは二審で死刑判決を受け、高裁に控訴、最高裁に上告している人は、うわさを信じれば控訴、上告を取り下げて、自ら死刑を確定させた方が「有利」かもしれない。そう思う人が出てくる。自分は犯情が悪いから絶対に恩赦はないと思う人(殺害人数が特に多いなど)は、もともと関係ない。自分は事件への関わりが少ない(と自分で思う)死刑囚ほど恩赦に期待してしまう。しかし、そういう人は元々控訴審などで減刑される可能性だってあるわけである。3回は裁判を受けられるというのに、自らその権利を放棄してしまい、うわさに減刑可能性を賭ける。実際に上訴を放棄してしまい、その後死刑が執行された人もいるのだ

 そのような事例を指して、僕は「悲劇」と書いたんだけど、そのようなことはおかしかったと思う。それもこれも、天皇の重体報道が長く続き、どうなるのかが判らなかったことが大きい。今回は事前に判っているんだから、そのようなうわさが飛ぶこともないだろう。そして、前回は死刑囚の恩赦がなかったわけだが、今回は限定的に死刑囚の恩赦を実施してはどうかと思うのである。

 ここ何十年か死刑囚の恩赦がなかった理由に関しては、詳しくは次回に書くけど「もう一つの悲劇」があったことが大きい。だが、今回は事前に改元が判っている。昭和から平成へ、そして次の元号へ。元号制度の問題はさておき、昭和の時代から死刑囚だった人が何人もいるのである。再審もならず、執行もされず…。自民党内閣は積極的に死刑を存置し、執行しようとしてきた。それでも執行されないのは、なんらかの「執行できない理由」があるのである。それならば、死刑囚として年を重ねてほとんど獄死を待つような死刑囚には、今や国家の恩典として無期懲役へと減刑する措置があってもいいのではないか。死刑囚と恩赦に関する具体的ケースなどを次回に書きたい。
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