尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

瀬々敬久監督の映画「菊とギロチン」

2018年08月01日 22時50分28秒 | 映画 (新作日本映画)
 瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ、1960~)監督の大作「菊とギロチン」が上映されている。今年度屈指の問題作に間違いなく、早く見たかったけど、なにせ186分もあって時間が合わなかった。大正時代末期に実在したアナキスト系テロリスト集団ギロチン社」の面々が、当時実在した「女相撲」の一団と巡り合っていたら…。社会の底辺で生きる人々を奔放に描き出す渾身の作品。

 この発想は素晴らしいと思う。大正期のアナキスト群像のハチャメチャぶりはすごいし、「女相撲」というのは意表を突く。土俵の上を実力だけで生きる女たち。全くの空想ではなく、実際に1960年ぐらいまでは存在していたらしい。両者を結び付けるシナリオは面白いけど、実際の映像はどうだろうか。女性たちは生き生きとしているが、資金に困れば「リャク」(略奪)に走る中濱鐵東出昌大)、古田大次郎寛一郎)ら実在した人物たちはどうも今ひとつか。

 カメラは登場人物たちの焦燥を象徴するように激しく動き回る。同時代を生きる気分を盛り上げるが、少し動き過ぎか。結局はどっちも成功しなかった人々であり、見ていて辛い。物語としては、十勝川韓英恵)という朝鮮人、花菊木竜麻生=きりゅう・まい)という貧しい農村出身の二人が中心になる。十勝川は関東大震災時の朝鮮人虐殺をからくも逃れてきた。しかし在郷軍人の「自警団」に捕まり暴行を受けるが、ギロチン社の面々が助太刀して助け出す。

 花菊は夫の暴力を逃れてきたが、夫に連れ戻される。花菊に思いを寄せる古田が助けに行くが、体力でかなわない。そんなときに持っていた爆弾を使ってしまう。映画はこれらの出会いを、もうそうであるしかないような「底辺の連帯」として描く。今時にないような熱い志に貫かれた映画だ。ボロボロになりながらも、やっぱり相撲で生きていきたい花菊の心意気。木竜麻生という女優は要注目。「菊とギロチン」という「不敬なる題名」は、一応は「花菊とギロチン社」ということなのか。

 瀬々監督はかつて「ピンク映画の四天王」と言われた人である。その後一般映画に進出し、最近は「8年越しの花嫁」「友罪」など巧みな演出で人気映画をこなしている。代表作と言える「ヘヴンズ ストーリー」や「64」前後編など長大な映画を得意としている。今まではどっちかと言えば構成的にしっかりとした作品を作ってきたと思うが、「菊とギロチン」は流れゆくような一大叙事詩という感じ。長すぎると思うけど、こういう世界があるというのは見て欲しい。

 なお大杉栄一家虐殺事件を起こした当時の司令官、福田雅太郎は「戒厳令司令官」と言われているが、正式には「戒厳司令官」。映画にも出てくる和田久太郎に大杉の復讐で狙撃されたが未遂に終わった。(和田に関しては、、松下竜一「九さん伝」がある。)また自警団一味が十勝川に対して「天皇陛下の嫡子」と言ったように聞こえたけど、「赤子」の間違いだろう。嫡子だったら皇太子になっちゃう。この自警団の設定も史実というよりも、現代的関心から来るものに思えた。
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