尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「夫婦別姓」に対応しない自民党ー結婚の「規制緩和」が必要だ

2021年02月15日 23時06分21秒 | 政治
 森発言に関連して、日本の会議は結論が決まっていることを確認するシステムだと述べた。日本に数多くある「審議会」などは大体そういうもんだと思う。最近の例では「厚生科学審議会」の「感染症部会」で新型コロナ特措法の改正について諮ったところ、罰則を設けることに反対が多かった。しかし、罰則を設けるという原案が「概ね了承された」となってしまった。国会でその経過が問題視されたが、首相は問題ないと言っている。これが「日本の会議」なのである。

 しかし世の中には何事も例外がある。12月15日に自民党は「第5次男女共同参画基本計画」の政府原案にあった「夫婦別姓」の「対応を進める」という文言を削除した。その時の自民党の「会合」を調べると「内閣第1部会と女性活躍推進特別委員会の合同会議」である。原案を審議する会合には反対派が動員されたらしい。衛藤晟一山谷えり子高石早苗議員らが主導した。もちろん政府原案を与党がそのまま了承しなければならないわけではない。立法権を持つ国会議員が政府原案を変更するのは、「自由」で「民主」な党というべきか。
(自民党が「夫婦別姓」の文言削除)
 この会議のあり方にどういう意味があるのかはちょっと置いといて、ここでは「結婚制度の規制緩和」に関して考えてみたい。「選択的夫婦別姓制度」については、自民党保守系議員などを中心に右派の激しい反対がある。だから何となく「イデオロギー的問題」のように思い込まされている人もあるかもしれない。しかし、もともとは「法制審議会」の1996年の答申にあった民法改正案である。政府の正式な機関である重要な審議会で25年も前に出た答申がなぜ未だ立法化出来ないのか。そんなことは他の問題ではあり得ない。
(自民党の検討経過)
 自民党ではどのような経過をたどって「原案の文言削除」に至ったのか。それは上記画像に譲りたい。先に「結婚制度の規制緩和」と書いたことを説明したい。そもそも必ず結婚しなければならないとも思わないが、それでも「日本的世間」の中で生きている日本人は「結婚」という仕組みに入らないと不利なことが多い。結婚しなくても子どもを産むことはできるわけだが、諸外国と違って日本では「シングルマザー」を増やすことで少子化を止めるのは難しい。現実には「結婚しやすい環境」を作ることが大切だ。現実論としては僕はそう思っている。

 「結婚しやすい環境」とは経済的問題や働き方の問題、子育て環境の整備などが大きいだろう。しかし、それだけでなく「法的整備」も考えた方がいい。その一つが「選択的夫婦別姓」である。反対派が「夫婦同姓」じゃないと「家族の一体感がなくなる」など現実とは異なった認識を振りかざすのは困ったことだ。そもそも子どもが結婚すれば、男女のどちらか(現実には女性の多く)の姓が変わる。しかし、実家の親との固い絆は残る。結婚して姓が違った女性の子どもが実家の親を介護するのはよく見られることだ。(介護の女性負担の問題はあるが。)

 国際結婚離婚した場合など、親と子の姓が違う場合は今も実際にたくさんある。もし親子の姓が一致しなければ良くないというのなら、離婚も禁止しなければおかしい。離婚は禁止できるが死別することもある。死別した場合は再婚を禁止しなければいけない。そうじゃないと親子の姓が異なる場合が起きるではないか。もちろんそんなことは出来ないし、してはいけない。スポーツで考えると、1964年の東京五輪には女子のマラソン、サッカー、レスリング、重量挙げなどはなかった。この半世紀で女性の活躍場面はどんどん増えていった。

 だから未婚の段階で女性が経済、文化、政治などで活躍する人が出てきた。それは止めることは出来ない。そのため未婚時代のキャリアが結婚で中断されるという問題が起きた。理科系研究者の場合など途中で姓が変わると相当不利もあるだろう。それに一般女性でもたくさんのカードを持って毎日使っている。名義の変更はものすごく大変だ。だから政治家の場合など、例えば丸川珠代議員のように当選後に結婚しても以前の姓を使用している。(高市早苗議員も一時そうだったが、その後離婚した。)政治家はそれをきちんと法整備するべきだ。

 女性の再婚禁止期間をなくすという試案が法制審議会の「親子法制部会」で出された。これも当然のことだ。やがて「同性婚」も議論しなければいけない。これらは「結婚規制」である。もちろん「結婚制度」自体が国家の枠組で認められるということだから、「事実婚」でいいじゃないかという考え方もあるだろう。育児への援助において、親が結婚しているかしていないかで差別があってはならない。そういう原則のもとに、日本的世間の中で「多くの人が結婚しやすくなるための規制緩和」が必要なのではないかと思う。

 ちなみに僕は別姓論者ではない。同姓論者でもない。同姓にせよ、別姓にせよ、法律的に人が名乗れるのは「父の姓」「母の姓」「配偶者の姓」しかない。女性の多くが姓を変更している現実から、夫婦別姓とは「女性が父親の姓を使い続けられる制度」になる。でも子どもが大きくなって自分で母の姓(あるいは父の姓)を名乗ってはいけないのか。あるいは配偶者と合わせた「複合姓」を名乗ってはいけないのか。僕は同姓、別姓という以前に「子どもが自分の姓名を自由に変えられる制度」があるといいと思う。父の姓も母の姓も名乗りたくないという人だっているだろう。
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