尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

都教委、関東大震災の朝鮮人虐殺事件を否定

2013年01月25日 23時33分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 東京都教育委員会は高校生の日本史を必修化し、独自の日本史科目「江戸から東京へ」の教科書を作っている。(歴史地理の科目にある「日本史A」「日本史B」のどちらかを必修化しても良い。そういう高校がほとんどだろう。)これは市販もしている。この「江戸から東京へ」という「教科書」には、一部に偏った記述や誤解を招く箇所があるという批判がかなりあるが、僕はきちんと読んでないので細かいことは知らない。教科書の中身については、都教委のホームページに掲載されているので見ることができる。

 さて、1月24日の委員会で、この「教科書」の記述の一部が修正された。それもホームページに掲載されている。「修正1」と「修正2」があって、「修正1」は「領土問題」についてである。竹島や北方領土に関する記述は簡潔にすぎて、ほとんど一方的と言えるような記述になっている。そもそも「江戸から東京へ」という東京の独自科目にどうして「領土問題」の記述がいるのかも理解できない。そして、尖閣諸島に関しては、なんと「東京都が民間人所有の魚釣島など三島を購入することが発表されると、全国から約15億円の寄附金が集まった。」という、自画自賛的な記述がなされている。「購入すること」と書くのは、間違いではないのか。「購入を検討すること」だろう。都議会を通ってないから、決定事項ではない。勝手に都教委が都の購入を決めてしまっていいのか。これらも問題なのだが、僕が今書きたいのは「修正2」の方である。

 「修正2」は、明治天皇の写真を肖像画に変えたことと、「関東大震災の史跡のコラムの文言を修正した」ことである。「コラムの文言」なんてあるから、ちょっとした言葉の改定かと思うと、これがとんでもない「歴史偽造」を行っている。これに関しては、25日付朝日新聞東京版が伝えている。地方版なので読めない人が多いと思うので、掲載しておく。


 この「文言の修正」は以下のようなものである。①が②に変えられた
 「関東大震災の史跡を訪れてみよう」というコラムの中の解説文である。
①「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、大震災の混乱のなかで数多くの朝鮮人が虐殺されたことを悼み、1973(昭和48)年に立てられた。
②「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、震災発生50年に当たる1973(昭和43)年に立てられ、碑には、大震災の混乱の中で、「朝鮮人の尊い生命が奪われました。」と記されている

 碑の文言を紹介するという「中立的記述」を装っているが、その実は「虐殺」という表現を否定することが目的である。朝日新聞の記事によれば、都教委の高等学校指導課の担当者の言葉として、「いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する」としている。

 「イメージを喚起」ではなく、実際に虐殺事件は残虐なのだ。当然だろう。虐殺の主体となったのは、軍と警察、および朝鮮人に関する「流言飛語」を信じ込んで「自警団」を結成した民衆である。虐殺は東京に限らず、関東各県に広がっているのだが、一番多いのが東京であるのは否定できない。虐殺されたのは朝鮮人に限らず、中国人のリーダーだった留学生王希天中国人労働者500名ほど、無政府主義者大杉榮・伊藤野枝夫妻(と甥の少年)、亀戸警察で川合義虎、平沢計七ら労働運動家虐殺された亀戸事件、甚だしくは千葉県で行商をしていた香川県の被差別部落民が15人殺された福田村事件なども起こった。福田村事件などは、ほとんど知っている人がいないだろう。そういう風に日本人でも朝鮮人と間違われ虐殺された人が多くいるのである。劇団俳優座を創設した千田是也は、震災時に千駄ヶ谷で朝鮮人に間違われた経験から芸名を付けたというエピソードは有名である。(「千駄ヶ谷のコリアン」と言う意味)。一体朝鮮人が何人殺されたかは、もちろん完全には判らないが、震災後に行われた「調査」などでは6000名ほどとも言われる。

 「いろいろな説」なんて、どこにあるのか。資料集をきちんと読んでいるのか。この問題には様々な研究が積み重ねられていて、「虐殺はなかった」なんて説を歴史学の中で主張している人はいないだろう。現在の問題は、自警団の行き過ぎと言われて来たが(当時もおざなりながら裁判になった事件もある)、流言自体が警察が流したもので、治安当局による直接の虐殺の証言が否定できなくなっている。僕が推測するに、この軍や警察の関与が明らかになってきたことが、「虐殺」否定につながっているのではないか。極右の前知事が軍事力の強化を主張し、その流れの中で尖閣購入発言がなされた。そのような文脈をみれば、尖閣に関する記述挿入と震災時の虐殺否定は、連動していると思われるのである

 歴史と言うのは、「立場」によって見えてくるものが違う。今回の「修正」を見ると、都教委は「弱い者の立場」「殺されたものの立場」にたって歴史を見ることはしないと宣言したのと同じである。「いじめを苦にして生徒が自殺した」「体罰を苦にして生徒が自殺した」といったケースがもし東京で起こったとしたら、どうなるのだろう。関係者が「いじめではない」「体罰ではない」と主張したら、「いろいろな説があり、我々には判断できない」と言うのだろうか。そう言わないと首尾一貫しないだろう。東京都は、いじめ事件で「いじめられた側」には立たないと宣言したも同じである。歴史を直視できないということは、現在を見る目も曇らせてしまうのである。

 ところで、この問題は非常に重大な意味を持っていると思う。今年はちょうど関東大震災90周年の年である。今まで10年ごとに行われてきた追悼の記念集会が今回も計画されている。東京は五輪の招致を掲げているが、その決定は震災が起こった9月1日(防災記念日)の直後の、9月7日に行われる。東京の弱点をあげると、支持率の低さとともに大震災や原発事故のイメージである。東京は首都直下型地震が心配されるとずっと言われていて、学校でも防災訓練、宿泊体験なども行われている。教師は様々な機会に、はっきりしない情報に振り回されないようにという注意もしているだろう。その際、関東大震災時の虐殺事件のような人権無視の出来事を二度と起こしてはいけないという教訓があるのである。それに対して、「過去の震災時の負の部分を直視できない東京」というイメージは、国際化時代に逆行する。こういうことが東京のイメージに影響するのではないか。

 なお、「山田昭次著『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後」」を2011年9月に書いているので参照を。
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