尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大橋巨泉、千代の富士、マイケル・チミノ、竹田和平等ー2016年7月の訃報

2016年08月07日 22時52分48秒 | 追悼
 7月は重要な訃報が相次いだ。イランの映画監督、アッバス・キアロスタミ永六輔の追悼は個別記事で書いた。永さんの訃報が報じられたときに、次は大橋巨泉だねと言われたんだけど、ホントに数日後に亡くなるとは思わなかった。(永六輔は7日、大橋巨泉は12日、82歳)巨泉の訃報はものすごく大きく報じられたけど、僕は個別記事は書かなかった。参院選や都知事選がなければ書いたかもしれないけど、正直言ってそんなに思い出がないのである。

 大橋巨泉という人は、なんといってもテレビの人だった。60年代後半に「11PM」(イレブン・ピーエム)の司会で有名になり、深夜(当時の11時は「深夜」のイメージ)に「お色気」を基調に、競馬やマージャン、そして政治、社会も論じる番組を司会した。週2日のことだったとあるけど、そうだったか。これは非常に有名な番組だったので、僕も知っている(見た記憶もある)。だけど、当時はテレビは家に一台、お茶の間にあるという時代だから、子どもが夜遅くに見ることはできない。(ラジオは一人一台あったから、当時の「若者のメディア」はラジオの深夜放送だった。)僕にとっては、76年に始まった「クイズ・ダービー」の司会者として一番思い出す。それと「はっぱふみふみ」のコマーシャル。初婚はジャズ歌手のマーサ三宅、のちに離婚後1969年に14歳年下の女優浅野順子と再婚した。鈴木清順「けんかえれじい」で高橋英樹のあこがれのマドンナと演じていたあのひとである。

 月末に元横綱千代の富士九重親方(7.31没、61歳)の訃報が伝えられたのには、正直ビックリした。親方だった北の富士が今も元気にNHKで解説をしているのを見ると、やはり早かったかと思う。昨年には北の湖理事長が亡くなり、続いての訃報である。小さな体で「ウルフ」と呼ばれた力強い相撲は、80年代に大きな人気を誇った。横綱は1981年9月場所から、1991年5月場所まで。横綱在位59場所。(これは北の湖の63場所に続く2位で、白鵬は55場所目である。)優勝は31回で、当時は大鵬に次ぐ2位。(今は白鵬に抜かれて3位。)という偉大な戦績を残す大横綱なのだが、僕には今ひとつ印象が薄い。1988年5月から11月にかけての53連勝(横綱大乃国が破った)も印象にない。どうしてかというと、83年から91年まで「テレビのない生活」をしていて、やっぱりスポーツは新聞で見るだけでは強く印象に残らないということである。
 
 さて、アッバス・キアロスタミ監督は追悼特集がユーロスペースで行われるというが、他にも世界の映画監督の訃報が相次いだ月だった。マイケル・チミノ(7.2没、77歳、下左写真)は、1978年の「ディア・ハンター」が大評判になった。アカデミー賞作品賞、監督賞である。ベトナム戦争「敗北」後の「ベトナムもの」の代表である。だけど、やはり「アメリカから見た」という部分があった。そして、1980年に超大作「天国の門」を作り「大失敗」と酷評された。予算を超過しながら、回収不能なほど「米国史の闇」を描いた移民の悲劇で、一般受けしないような作品だった。だけど、僕は非常な傑作だと思った。最近デジタル版が公開されたけど、やがてすごい傑作と評価されると思う。「暗い」と言われても、3時間汎を超える映画が公開されたのは、そういう時代だったのだと思う。アメリカではもっとカットされ、2時間半の番だというが。以後も何作品かあるが、ほぼこの2作で記憶される監督。
 
 ブラジルの映画監督ヘクトール・バベンコ(7.13没、70歳、上右写真)はアルゼンチン生まれで、マヌエル・プイグの「蜘蛛女のキス」の映画化(1985)で世界的に知られた。た。ウィリアム・ハートがアカデミー賞主演男優賞を獲得し、自身も監督賞にノミネートされた。その他の映画は全然知らないが、あの一作で映画史に残るだろう。バベンコの追悼特集もどこかでやって欲しい。
 「プリティ・ウーマン」(1990)の監督、ゲイリー・マーシャル(7.10没、81歳)の訃報も。

 読んでないけど、ホロコーストの体験を書き続け、ノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル(7.2没、82歳)が死去。名前は知ってるけど、読んでない人は数多い。この人もその一人。

 ピアニストの中村紘子(7.26没、72歳)は、70年代頃には非常に有名な人だった。夫は作家の庄司薫で、作品の中に名前があったことから知り合ったというぐらい、一般的な知名度もあった。コマーシャルにも出てたし。でも、コンサートもレコードでも聞いてないから、ピアニストとしてはよく判らない。でも、大宅賞を受賞したノンフィクション「チャイコフスキー・コンクール」はとても面白い本だった。国際的な音楽コンクールとは、こういうものかと裏を見る興趣がつきない。

 愛知県の製菓会社、竹田製菓(現竹田本社)の創設者、竹田和平(7.21没、83歳)が亡くなった。竹田製菓というのは、「タマゴボーロ」で全国に知られ、その後「麦ふぁー」などを出した。だけど、そういう本業ではなく、多くの人が知っているんは「日本一の個人投資家」ということである。莫大な資産を日本の様々な会社の株に投資、半端でない投資額のため「会社四季報」なんか見れば、いくつもの会社の大株主欄に名前があった。単なる短期の上昇をねらうのではなく、長期保有を前提にしっかりした会社を独自の基準で選んで投資したから、「和平銘柄」と呼ばれて他の人も参考にした。そういう人も珍しい。本も多いし、一種の「社会貢献」でもあっただろう。

 翻訳家、英文学者の柳瀬尚紀(やなせ・なおき、7.30没、73歳)の訃報が8月になって掲載された。語呂遊びなど言葉遊びを駆使した翻訳を追求し、ルイス・キャロルやジョイスの翻訳をした。その前にエリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」をした人である。でも、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」なんか読んでないしなあ。「不思議の国のアリス」は誰の訳で読んでるんだか。でも、ロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」を訳した人でもある。これは読んでる人も多いだろう。
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